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過 去 の 日 記
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2001年3月31日
昨夜から降り続いた雪のお陰で、リフトが埋まってしまうほど積もった。
人生この先、今年ほど雪かきをすることは、おそらくないだろう。
夜は知り合いのやっている居酒屋へ飲みに行く。飲みすぎ。
ただ、こういう店ができたということは、札幌に一年半住んだ意味があった
ということが多少なりとも言える。
2001年3月29日
ソウルから西へ1時間ほどのところに仁川という百万都市がある。
中国への国際航路が出ている港町であり、東京に対する横浜のような
位置関係だ。
3年ほど前に訪れたときは、あまりぱっとしない印象があったが、
今日、その仁川沖に新空港が開港した。ここ数年、香港、
クアラルンプール、上海と東アジアの各都市で巨大空港の開設が相次いで
いるが、日本にとって最も影響の大きいのが、ここだろう。
地方都市から海外へ出かける選択肢は、東京経由、大阪経由、ソウル経由と
三分されているが、成田は乗り継ぎが不便だし、関空も便数が少ない、
仁川も明らかにそこを狙っているようだ。
千葉の県知事が新しい人になったようだけれど、羽田対成田なんて
つまらないところで揉めている間に、東京対ソウルという大きなところで
負けてしまいそうな不安が、少なからずある。
かくいう俺も、NRT−ICN−ANCという旅立ち経路もアリかなと、
ふと思いついたりしているのだが。
NRT=成田、ICN=仁川、ANC=アンカレジ
2001年3月28日
スキー場の一日。
7:45 出勤。事務所でタイムカードを打刻、勤務場所を確認する。
8:00 8人乗りスカイキャビンに乗って、山頂駅へ。
そこから、勤務リフトまで自走で下る。
8:30 雪かき、誘導チェーン張り、搬器の搬出など準備作業。
9:00 リフト営業開始。
基本は30分交代での乗客係。
持ち場によっては一人だったり、暇でずっと小屋の中にいたり。
リフト券を検札したり、リフトを減速したり、停めたり。
12:00 弁当がリフトに乗って運ばれてくる。250円。
16:30 営業終了。自走で麓に下る。
ナイター勤務の日は、第1リフトへ。
17:00 終礼。
19:00 ナイター終了。搬器収納。
21:00 定山渓方面のゲート閉鎖。
半年もしたら忘れそうなので、記録。
2001年3月26日
週を追うごとに、街の景色から雪が消えていく。
昨日と今日、この2日間が札幌で最後の休日だ。
昨日の夜は、会社の後輩と飲みに行った。ひどいときは毎日のように
飲みに行っていたことが懐かしい。
今朝、住民票の転出をした。札幌へ来てしばらくは転入手続きを怠って
いたため、登録上札幌市民でいたのは約10ヶ月だ。
マンションに置き去りにしていた夏タイヤと自転車を積みこむ。
積み込めるか少しだけ心配だったが、どうにか収まった。
昼、後輩のお見舞いに病院へ。昨日入院の話を聞いて驚いたが、
彼女も突然俺が来て驚いていたかもしれない。顔が1.5倍くらいに膨れて
いて痛々しかったが、話しているとごく普通でほっとする。
先々週祖父を見舞ったときのことを思い出してしまう。
午後は札幌市内をぶらぶらと回り、街の風景を何枚か写真に収める。
大学入学のため八王子を離れたときから、引越しのたびにそれまで住んでいた
街の景色を撮るというのは、なんだかお決まりの習慣になっている。
札幌での更新は、たぶんこれで最後。
2001年3月24日
本日プロ野球パリーグ開幕。セより一週間早い。
今日のテレビ欄、しかし中継があるのは、日テレ系札幌テレビでの
巨人Xヤクルトのオープン戦のみだった。
そんなものかと思いながら、新聞をめくっていると、テレビ朝日の
広告が目についた。そこには「本日12:55よりパリーグ開幕戦 西武X
ロッテ(二元中継 日本ハムX近鉄) ※一部地域では放送されません」
と書いてあった。
なぬ。
きっとこっちで放映されるパは、札幌ドームで行われる試合くらいなの
だろう。
2001年3月23日
ロシアの宇宙ステーション「ミール」が南太平洋に落下した。
15年間に渡り、86331回も地球を周回したという。その何回目かは
分からないが、秋山さんが搭乗したとき、空を飛ぶその姿を見たことを
覚えている。
子供の頃、90年代のうちにアメリカかソビエトが有人の火星飛行を実現
させるだろうなどと言われていた。今年は2001年だ。
インターネットや携帯電話、あるいは遺伝子操作の技術なんていうのは、
こわいほど急速に発展しているが、それに比べると宇宙開発の速度は
明らかに鈍っているような気がする。
アメリカのスペースシャトルが何機も打ち上げられ、短期の宇宙飛行を
繰り返す間、ミールはずーっと宙に浮かんでいた。冷戦時代を越えて
飛びつづけていたその功績は、もっと称えられてもいいと思う。
日本に被害をもたらす確率が1億分の1であるとか、アメリカのタコス屋
が海に標的を浮かべたとか、そんなお祭り騒ぎなニュースばかりめだって
いたことが、少し残念だった。
2001年3月22日
昨日いったん冷え込んだが、今日はまた暖かい。融けた雪が凍って、
また融けて、おまけに降る雪が強風で飛んでしまうため、雪質が明らかに
落ちた。
今年は寒かったぶん降雪は少なく、暖かくなると融けだすのが速いらしい。
「このぶんだと5月までもたないかもしれない。久しぶりに連休がとれる
んじゃないか」とパトロールの社員の人が言っていた。ちなみに、
予定だとGWの5/6までスキー場は営業をしている。
国際スキー場には第一、第三、第四と3つのリフトがある(第二はない)。この日初めて、第三リフトの上(降り場)を担当した。久しぶりに一日が経つのが早かった。
強風のため、ナイターまたまた中止。おそろしい確率だ。
2001年3月20日
春分の日。暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったもので、この日、
スキー場で+5度、札幌市街は+11度。
暖かさの反面、風がやたらに強く、ナイター営業は中止。
同室の人が突然昨日で辞めてしまい、今日から個室。気楽だ。でも暇だ。
2001年3月19日
先月の事故で破損したリアバンパー、用事が重なり、交換部品を頼んだ
まま修理できずにいたのだが、今日やっと換えてもらった。
その作業の最初にタイヤを外すのだが、4つあるネジのうち1つが
特殊な形状をしたナット(キーナットと呼んでいたように思う)に
なっており、てこずった。というのも、そのキーナットに対応するキーが
必要だと言われ、俺が、そんなものがどこにあるのか分からなかったから
である。
車を買ったとき、チェーンやら工具やらを一緒にもらい、後ろに
入れっぱなしにしていたので、そこにあるのかと思ったが、なかった。
スタッドレスに履き替えたときは、車検と同時期だったこともあって、
まとめてタイヤ交換を頼んでしまったため、キーナットの存在なんて
気にしなかったのだ。
しばらく考え、俺は思い出した。そういえば、サイドブレーキの後ろに
ある小物入れ(ちゃんとした名称があるのだろうけど、知らない。ふだん
MDを入れてる)に、謎の部品が入っていて、何に使うものか分からない
まま入れっぱなしになっていたことを。
ついでに、後部の荷物をいろいろ漁っているときに、いままで存在に
気づかなかった格納スペースに気づき、その中にジャッキがしまわれて
いることを知った。今日まで、自分はジャッキを持っていないと思って
いた...
我ながら、こんなんでよく半年以上乗っていたな。世の中のおばさん、
お姉ちゃんドライバーの大半も、似たようなものだろうとは思うけど。
俺はかりにも工学部出身なのに...
午前中は車の修理で終わり、午後。黄熱病の予防接種を受けたいと
思い、俺は白石区の保健所を訪れた。国によっては黄熱病の予防接種を
受けたことを証明するイエローカードの所持が、入国に際し必要とされて
いるからだ。東京へ帰ってからでもいいのだけれど、札幌のほうが
街の規模的に動きやすいし時間もあるから、と考えていた。
ところが、下調べ不足といえばそうなのだが、黄熱病の予防接種は
一般の保健所では受けられないとの話だった。検疫所でなくてはだめで、
しかも、なんと、札幌ではなく小樽にあるという。港があるから
だろうか?
この時点で、半分は東京でやろうと思っていたのだが、一応教わった
電話番号にかけてみた。手続きに必要な事柄を聞いておいたほうがいい
だろうと思ったし、実は札幌国際スキー場からは、小樽市街のほうが
距離的には近いからだ。
ところが、担当者が今日は休みなので、あさってかけ直して下さい、との
やる気のない回答。エイチ・アイ・エス時代、「あいにく担当がお休みで」
とか、「現地が祝日のため」とか、よく言い逃れに使ったけど、いざ
自分がされるとむかつくなあ。検疫所に何名いるのか知らないけど、
黄熱病について分かる人材がたった一人しかいないのか?
2001年3月18日
先週東京(横浜)に帰ったとき、やはりこっちは暖かいなあと感じたが、
今週末は北海道も好天に恵まれ、気温が上がった。
友達と支笏湖を経て登別まで遊びに行った。路面はほぼ乾いており、
特に苫小牧から白老のあたりは路肩にも雪がまったくなく、驚いた。
北海道にも、いよいよ遅い春が来たという感じだ。
夏よりも冬、暑いより寒いが好きで、だんだん暑くなっていく春は
あまり好きではなかったのだけど、冬が深いぶん、やっと雪から解放される
のかと思うと、掛け値なしに嬉しい(もっとも、あと2週間しかいないけど)。
ちなみに、印象的だったのは支笏湖の景色。不凍湖であるはずの支笏湖
が凍ったとしてニュースになっていたけど、たしかに真っ白く結氷していて
きれいだった。もうすぐ融けてもとの水面に戻ってしまうのだろうけど。
2001年3月16日
FM(ノースウエーブ)を聴いていたら、韓国の音楽情報を紹介する番組
をやっていた。仕事中にもかかわらず聞き耳をたてていると、
J−POPならぬK−POPを3曲ほど流すほか、ソウルの街の情報や、
韓国の文化について触れられていた(ビビンバは漢字で骨董飯と書き、
どうのこうの、とか)。
それだけ。
2001年3月15日
今日の新聞に、北海道とサハリンを橋で結ぶ計画の調査会設置が検討されて
いるというニュースが載っていた。ロシアはサハリン−大陸間の架橋も構想
しており、実現すれば日本からシベリア経由でヨーロッパまでが陸続きに
なる、とか。
そういう話は嫌いじゃないけど、さすがに眉唾だ。
似たような話で、九州から韓国へ橋かトンネルを通すという構想がある。
戦争中から発案されていて、のちの新幹線計画の土台になったなんて話は
有名だけれど、もしどっちか造るとすれば、断然こちらだろう。
宗谷海峡と対馬海峡の現在の交通量なんて、比較にならないだろうし。
ちなみに、宗谷海峡に橋を架ける場合の建設費は、7兆円が見込まれている
とのこと。いったいどこからそんなお金が出てくるんだか。
2001年3月12日
十日ほど前からプロ野球のオープン戦が始まった。スポーツニュースでも
連日、野球の話題が伝えられている。
圧倒的に多いのは、大リーグのイチロー&新庄について。
イチローはともかく、ごく平凡な実績しかない新庄が成功すると、
日本人選手のアメリカ流出に加速度がつくのではないかと懸念されているが、
シーズン前のニュースの日米比率を見ると、すでに少し心配だ。
今までは日本のプロ野球が大きく報じられて、その最後に付け加えるように
その日の野茂や長谷川の成績が伝えられていたが、最近は、まずイチローや
新庄の話題があって、おまけで長嶋監督(しかも選手ではなく、監督!)
が出てくるような感じだし。
おとといからJリーグが始まったが、サッカーの場合、W杯や日本代表に
ばかり注目が集まり、ふだんのリーグ戦は、どうしても盛り上がりに
欠けている(俺自身、コンサドーレが勝ったらしいことは知っているけど、
あとはほとんど興味ないし)。野球も同じようになると予想するわけでは
ないが、有り得ないとも言い切れないような、そんな気がしている。
2001年3月11日
空は青く、風は優しく、陽射しは暖かく、庭の梅の花は綺麗に咲いていた。
早起きをして新聞を取りに行った朝も、四つに組んで相撲をした午後も、
未来を語り星を眺めた夜も、いとこみんなで笑い遊んだ日々も、
すべては想い出の中。
この日、最後の挨拶をした。
2001年3月10日
人は生まれるとき、自分は泣き、周りの人が笑う。
人は死ぬとき、自分は笑い、周りの人が泣く。
2001年3月9日
今までの人生で、一番悲しい日。
2001年3月8日
北海道だけかもしれないが、夕方の五時からオーバータイムという
ドラマの再放送をやっている。反町と江角が出演し、男女の友情と
恋愛が描かれたドラマで、とりたてて話題になったわけではなかったけれど、
個人的には好きだった。台詞のやりとりがテンポよく面白かったのと、
反町と江角の関係が親友で終わった結末が印象に残っている(かのロンバケ
で、視聴者の意見が殺到して脚本が変更になり、キムタクと山口が結ばれた
のとは対照的に)。
「私も世界人類に入っているかなあ」
「入っているでしょ」
(世界人類の幸せを願うと書かれた)お地蔵さんに泣きつく江角と、慰める反町の会話より。
2001年3月5日
祖父の見舞いで訪れた横浜の病院にて。
病床で、見るからに痩せ細った祖父が、途切れがちの声で言った。
「おれは、いきるのか、しぬのか」
その深刻な質問に対し、俺は言葉に詰まる。
なんと言って答えればいいのか、分からなかった。
「ハムレットみたいなこと言うのね」
真実にうっすらと勘づいているだろう祖父に、笑って答える祖母。
「じょうだんいって、ごまかすな」
「生きてもらわないと困るわよ」
祖母が優しくなだめるように言った。
2001年3月4日
朝から平均で秒速30メートルという暴風。
スキー場は朝から閉鎖。ここまでひどいのはここ数年でも初めてだと、
ベテランのバイトの人も言っていた。
昼間、札幌市内は雨。夜から雪。
千歳空港に着くと、案の定飛行機は遅れていた。
2001年3月3日
2月25日の日記の答。
どのカバンを選んだかというのは、あなたの女性観を表します。
「あなたはカバン屋で新しいカバンを買おうとしています。
次のうち、どのカバンを選びますか」
1.丈夫で長持ちしそうなカバン
2.いろんな機能が付いていて便利そうなカバン
3.おしゃれで個性的なカバン
異性観ではなく女性観なので、女性の回答の場合は、自己願望として
考えてみて下さい。
ちなみに、俺が選んだのは2番でした。