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 過 去 の 日 記 
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2001年1月30日

 設置したばかりの掲示板が、突然使えなくなりました。
 無料掲示板の管理者によると、
『今回のサーバダウン、まことにご迷惑をおかけしました。 以前にも申しましたとおりgラフィックの異常増加 (攻撃とは断定できません)です。
 なかにはデータの破損をしている掲示板もあるようなのですが、 12月30日以前に作成された掲示板、ログについては再生が可能です。 データの再生につきましては繧Aナウンスするので暫くお待ちください。 それ以後に作成された掲示板やログは残念ながら 全てを保証することは不可能です。(利用規約第5条を参照してください)』
...だそうです。
 本日午前中までの確認では、某静岡県と某カナダ国からの2件の書き込み しかなかったと思いますが、上記の説明から察するに、せっかくいただいた 文章は消えてしまったようです。誠に申し訳ありません。  I'm sorry for BBS error and disapperance of your message because the server was downed.
 とりあえず、今日は面倒くさいので再登録手続はいたしません。
 明日ないし明後日にやりますので、懲りずにまたお立ち寄り下さい。

2001年1月29日

 バイト先の人が、とある登山家の言葉を、名言として教えてくれた。
「本当は臆病な 僕のような青年が たった一人で登っていたら  助けてやろう たとえ僕が死んでも」
 その登山家は、雪崩の事故ですでにこの世にはいないらしい。
 その言葉を聞いたとき、語感が少し重すぎる気がして、 俺はあまり好きになれないと思った。
 だって、自分が死んでしまったら全てお終いじゃないか。
 でも、世の中にはこんな話もある。
 ホームから転落した赤の他人を助けようとして、韓国人の留学生と、 カメラマンの男性が亡くなってしまったという。

 こんな文章を書きながら、俺はひと月ぶりにワンダフルを見てる。 
2001年1月27日

 ゴンドラの山頂駅を降りてすぐ、僕は思わず声をあげそうになった。
 午前八時四十分、まだ人影まばらなスキー場。
 右手には手稲山、正面には朝里峠、そして褐色の山並みの向こうに石狩湾。
 ここまではごく普通の好天時に見える風景だが、今朝は、曇りがちな その先の空までが晴れていた。
 石狩湾のさらに奥、洋上に浮かぶ暑寒別の山々がまるでかき氷のように 見える。雪をかぶった林の彼方に小樽の街並みが望め、さらにその 向こうには、やはり山が白く連なっていた。
 マイナス十度を超える寒さ、その中に佇み、僕はリフトに乗ってくる お客様の相手もそぞろに、蒼い空と海の眺めに見入っていた。
 今日来た人は当たりだな。僕はそんなことを考えた。
 国際スキー場は、海のない札幌の、さらに山の中にある。そんな場所から、 海だけでなく、湾を越えてその向こうの山までが見えるのだ。 毎日いる僕でさえ、滅多に見られない景色だ。
 昼をすぎると、さすがに少し雲が出てきた。石狩湾の海上にもやがかかり、 暑寒別の山麓を隠した。逆にそれが、まるで山が空に浮かんでいるような ふうに見えて、不思議な眺めになった。
「あれは湖ですか?」
「海です、日本海です。あれは石狩湾で、こっちが小樽です」
 おそらく本州から来たのだろう。たかがアルバイトの分際で 自慢げに答えている自分に、僕はあとで、ふとおかしくなった。

 さらに天気がいい日は、大雪山旭岳(150kmはある)が見えるらしい。 そしていささか眉唾だと思ったのだが、かつて一度だけ、利尻岳(250km くらいある)が望めたことがあるという。後日人づてに聞いた話である。
2001年1月25日

 今日は給料日。HISから最後の給与明細が届いた。
 一つ考え違いをしていたのは、本給は当月払いのため先月払われており、 今月もらえたのは職能給やその他の手当だけだったこと。とはいえ、 保険料などの控除が少なく、また、それとは別に退職金もあったので、 スキー場のバイト代よりはずいぶん多い。
 離職率が尋常なく高いうちの会社で退職金が出ると知ったときは、 正直言ってかなり驚いた。三年未満の勤続者には出ず、三年半だと微々たる ものではあったが、退職金という概念自体まるきり存在しないと 思っていたから。なんだかんだで、11月末で辞めたあとに、 給与・賞与あわせて総額60万円以上が振り込まれている。 今やってるバイトなんて、4か月みっちり働いて多分50万いかない。
 正社員とアルバイトの経済格差を痛感する今日この頃。辞めたことを 後悔するつもりはないし、納得のいかなかったことは今後とも忘れずに いると思うが、学んだこと、教わったことも多く、お世話になりましたと 言いたい。
 先日、近畿日本ツーリストと日本旅行の合併話が報じられていた。 旅行業界はJTBとの二強時代に入る、なんて論説もあった。 厳しい競争は続くと思うが、HISには、是非もっといい会社になって、 がんばってほしい。

2001年1月24日

 今日は旧暦の元旦である。日本では廃れてしまっているこの旧正月だが、 アジアの国々(中国、台湾、香港、韓国、および華人の多いシンガポール、 マレーシアなど)では今なお重要な意味を持ち、 新正月以上に盛大に祝われる一年で最大のお祭りとなっている。
 HISのアジア班にいたころ、この旧正月はけっこう重要だった。 ホテルや現地の交通が混み合う、観光名所やオプショナルツアーの一部が 休みになる、デパートやレストランの多くが閉まる、 当然現地の手配会社も休みになるから緊急の対処ができない、など。
 旧正月であることを言い忘れたがために、帰国後のお客様から、 「食事も買い物もなにもできなかった!」と苦情になってしまうことが、 たびたびあった。むしろ異国の正月を体験できて面白いことのほうが 多いだろうと俺などは思うのだが、それは価値観の問題で、とりわけ お客様相手となるとどうしてもこっちが弱い。なかには、しっかり楽しんで きたであろうくせに、ゴネ得を狙って文句を言ってくる方々もいるから。
 ところで、日本ではなぜ旧正月がなくなってしまったのだろう?  旧暦から新暦に代わったのは明治時代で、おそらくは脱亜入欧の一環で あったのだろうとは思うが、残っていれば正月が二度あるわけで、 なかなか嬉しいことだったのに。
 この期間、日本とアジアを結ぶ国際線は、アジアから日本への旅行者で 混み合う。北海道は近年、台湾人や香港人からの人気が非常に高まっているが、 旧正月から札幌雪まつりにかけてのこれからのひと月弱が、 来訪者の最多期となるらしい。
 今後アジアとの交流が深まるにつれ、旧正月の存在が日本で復活 する、かも..  

2001年1月22日

 この前札幌の地下街を歩いていたら、30周年が云々という貼り紙を 見かけた。どうやらその地下街ができて、今年で30年目になるらしい。 なるほど、そんな古くからこの地下街は できていたのか。
 何気なく感心したその直後、俺は少々愕然とした。よく考えると、 30年という年数は、自分の年齢ともうそんな大差ないではないか。 やばい。(念のため、実際は3年違うが)。

 最近、世の中進歩しているなあと思うことがある。インターネット然り、 携帯電話然り。昔はあまりそんなことを思うことはなかった。テレビにせよ、 自動車にせよ、飛行機や、新幹線や、ロケットでさえ、俺が生まれる前から 存在していた。ポルノグラフィティだって、 「僕らの生まれてくるずっとずっと前にはもう、アポロ11号は月に 行ったっていうのに」と歌っているではないか。(ちなみにアポロ11号 の月面着陸は、たしか1969年)。
 ともあれ、今年は平成13年、平成生まれが中学生になる時代である。
 お互い、歳はとりたくないですな。

2001年1月20日

 最近テレビで映画を2本見た。「インデペンデンス・デイ」と 「エアフォース・ワン」。
 知らない人のために説明すると、 前者は異星人の攻撃を受けた地球が滅亡の危機に瀕する話、 後者はテロリストに乗っ取られた大統領機の話。 どちらも米国大統領が活躍し、尊敬すべき存在として描かれ、 そして"America as No.1"の匂いがぷんぷんとする。
 アメリカのこういうアメリカ的なところは嫌いだけど、でもその反面、 だからアメリカって、実際に世界一でいられるんだろうなとは思う。
 日本で、総理大臣を二枚目の主人公にした映画なんて、 想像がつかないでしょ?

2001年1月18日

 最近ことのほか寒い。スキー場なんぞで働いているから感覚が麻痺して いるのだろうと思っていたけど、新聞やテレビのニュースなどを見ると、 やはり今年は格別寒いらしい。何日か前、沖縄以外は全国すべて最低気温が マイナスになると、天気予報のお姉さんが嬉しそうに言っていた。
 でも、ふだん雪があまり降らない地方の雪のニュースを見ると、 なんだかちょっぴり羨ましい。この感覚、地元北海道の人には分かるかな?
 今朝の新聞で、シベリアから釧路へ越冬しにやってきたオオハクチョウが、 あまりの寒さに羽が凍りついて動けなくなってしまっているという記事が 載っていた。暖かさを求めて南下してきたはずなのに、まるで騙された 気分だろう。来年から来なくなってしまうのではないか、そんな要らぬ心配が ふと脳裏に浮かんだ。
 札幌は今月、まだ三回しか気温がプラスになっていない。週末から少し 寒さが和らぐようなので、期待しよう。

2001年1月17日

 健康保険、厚生年金、雇用保険。3か月前には正式名称も ろくに把握していなかったこれらの用語に、最近翻弄されている。
 転職経験者の知人からは失業保険の手続はしておいたほうがいいと アドバイスを受けていた。古本屋では「きょうからの無職生活マニュアル」 という素敵な本を百円で見つけていた。会社からもらった書類で 保険は任意継続ができるということを知っていたし、同時期に辞めた 同期もそうすると言っていた。
 それでひとまず問題ないと思っていたら、ぜんぜんだめだった。
 保険を任意継続するつもりだったから、勝手に保険証は持ったままで いいと思っていたら、総務から早く返せ、なくしたなら紛失届けを出せ と催促が来た。任意継続は、まず保険証を返してからの手続らしい。
 バイト先の人に何気なく聞いてみたら、バイト先の会社で加入したほうが いいんじゃないと教わった。ちなみにこの人は30代前半で、 けっこう詳しく、色々と教えてくれた。こういう話はやっぱり年輩者だね。 んで、バイト先にその旨申し出た。
 今日年金手帳を持ってきてと言われ、持っていった。そしたら今日、 今度は退職証明書が必要だと言われ、明日持っていく。 そもそも、HISでの余った有給消化中に今のバイトを始めたため、 二重雇用というか、なんだかややこしい状態であるらしい。 バイト先の総務の人も、本当はこういうのだめなんだよねえと 苦笑していた。
 たかがバイトで社会保険に入れるのはたぶん有り難いことなんだろうけど、 なんだってこんな面倒くさいんだろう。
 早く新しい保険証くれ。歯医者で必要なんだ……

 この文章読んで意味がちんぷんかんぷんだった方、 特に転職やフリーター生活を考えている場合は、 保険と年金について、も少し学んだほうがいいかもしれません。 俺は人のこと言えないけどね。

2001年1月15日

 きょうぼくわ、まえのかいしゃのこおはいとスノオボオドにいきました。
 まちあわせのほんやのばしょをまちがえたおかげで、1じかんも しゅぱつがおくれてしまいました。さっぽろにきのくにやがたくさんある なんてしらなかったです。
 はじめはちょうしよくすべっていたのですが、なんかいめかのときに、 はげしくころんで、あたまをうってしまいました。 まぶたのうらにみどりいろのひばながとんで、きがついたとき、 ぼくはゆきまみれでたおれていまちた。
 そのあともなんぼんかすべりましたが、 あまりスピイドをだせなかったです。
 ひらがなぱっかりでよみにくくてごめんなさい。あしたまでにはきっと、 かんじをおもいだせるとおもいます。  

2001年1月14日

 藤子・F・不二雄のSF短編に「気楽に殺ろうよ」という作品がある。
 食欲は、個体の維持を図るための欲求であり、利己的で卑しい。 それに対し性欲は、種の保存を目的とした欲求であり、より貴い。 主人公のサラリーマンがある朝目覚めると、 そこはそんな価値観が支配する世界に変わっていた。
 例えば、町なかに食堂やレストランの類は見当たらない。 こっちの世界でいうポルノショップみたいな存在だからだ。 あるいは、他の異性と食事をともにすることが、最もいけない浮気の形態 だと考えられていたりする。
 とはいえ、フリーセックスが描かれた漫画というわけではない。 話はもっとブラックな方向に展開する。
 性欲=子供を作る(人を増やす)ことがおおっぴらになっている その世界では、逆に人を減らす行為=殺人についての 倫理観もまた逆転している。いわゆるできちゃったカップルが 育てられない子供を捨てたり、単に他人を殺すということが、 ごく普通のこととして認められている。
 主人公は最初、そんな世界に戸惑うが、やがて種の存続のみを大事にし、 個の生存を軽んじるというその考え方に慣らされていく。 そして、奥さんに「そんなに嫌いなら殺しちゃえばいいのに」 と、恨みに思う相手の殺人を勧められ、翌朝、ナイフを携えて家を出る。
 ところが、そこで世界は元に戻っており、背景の通りには食堂が 軒を連ねている..というオチだ。

 つい最近、仙台の病院で殺意をもって患者に投薬するという事件が 発覚した。一連の少年犯罪、通り魔的な殺人事件の数々は、 記憶に新しいどころか、頻繁に起こりすぎて、 逆に我々の感覚を麻痺させている。
 南米かどこかのネズミは、個体が増えすぎると、種の保存本能が働き、 盲目的に海に飛び込み集団自殺するらしい。
 ヒトはどうだろう?
 故藤子Fの描いた「架空」の世界に少し近づいている気がして、 ちょっと恐い。

 なお、上記の漫画については、手元にないため、記憶に基づいて 記述しました。内容に相違がありましたらお詫びいたします。

2001年1月11日

 札幌国際スキー場は連日の吹雪。 毎秒20メートルを越える強風で、昨日も今日もリフトが止まった。
 昨日の第三リフトの乗車人数はのべ16名、今日の第四リフトは いくらかましだったけどそれでも50名程度。 それでも一部リフトの停止にとどまり、全面閉鎖にならないのは、 バイトの人件費が既にかかってしまっていることと、 来ているお客様にリフト代を返金しなくてはいけないからだろうか。
  そんな札幌国際は第三セクターの運営で、収支は赤字らしい。
 俺としては、バイト代がちゃんともらえて、ただで滑れれば、 とりあえずはどうでもよいのだけど。

2001年1月9日

 3日前、↓の文を書き終えて、飲み会に出かけようと 地下鉄駅に向かったときのこと。なにげなく聞いた携帯の留守電に、 こんなメッセージが入っていた。
緊急事態です。すぐに電話を下さい」と。
 いつになく真剣なその声の主は、大学時代の先輩だった。
 誰かが事故にでも遭ったんじゃないか。 俺の脳裏にそんな暗澹たる予感がよぎった。 あまりにその口調が深刻そうだったからだ。
 今から千歳へ向かっても、最終便には間に合わない。 時計を見て、とっさにそんなことすら考えた。
 果たしてその翌日。
 俺は二人の偉大な先輩方を車に乗せ、 小樽からニセコへ向かう冬道を快走していた。
 緊急なことなどなにもない、怠惰な休日が始まった……

2001年1月6日

 最近新聞を読んでいて、 16年前の科学万博のポストカプセルに関する話題をたびたび目にする。 当時投函した葉書が、 2001年1月1日に配達されるというものだ。 今日の投書欄には、亡くなった息子から親宛てに届いた、なんていう ちょっと泣ける話もあった。
 そんな記事を読みながら、俺も出してればよかったななどと思っていたら、 なんと今日、実家からそのポストカプセルに出した葉書が届いた。 鉛筆書きの下手っぴな字で、モンシロチョウの40円切手が貼られていた。 すっかり忘れ去っていたその内容は…… ☆つづく☆

2001年1月4日

 1月4日、今日をもって27歳になりました。
 自由人として迎える21世紀を記念して、ホームページを開きます。


 21世紀になった。
 とはいえ、毎日が劇的に変わるわけではない。 ただ、自分に関して言えば、会社を辞めたことにより、 時間ができた。
 だから、ホームページを開いてみた。
 実は前から作ろうと思っていて、 ジオシティのホームページ登録は去年の六月にしていた。 何ヶ月か更新しないと削除されると書いてあったので、 もう消えているかと思っていたけど、残っていた。
 札幌に住み、さらにスキー場なんかでバイトをしていると、 気温の感覚がおかしくなるらしい。 今日なんて、零下七度、雪が舞っていたのに、暖かくさえ感じた。
 去年、札幌の街なかでもっとも寒い日の最高気温が、 たしか同じくらいだったと記憶している。
 ふと天気予報を見れば、東京の最高気温は十度、 那覇にいたっては十八度(たぶん、平均より寒い)。
 日本て、小さいように思えて、実はけっこう広い。
 世界は、もっと広い。
 だから、春になったら……



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