やがてハボロネに着いた。
町のはずれにキャンプ場があり、
僕はそこに泊まった。
ハボロネは首都とはいえ、
人口わずか13万人余りの小都会。
中心街は日本で例えるなら、
さしずめニュータウンの駅前といった雰囲気だった。
駐車場が周囲にあり、商店街は歩行者天国で、
銀行、郵便局、2軒のスーパーがあり、
本屋、薬屋、ファーストフード、
さらには民芸品や携帯電話を並べた露店が続いていた。
まだアフリカでありながら、
だんだんアフリカでなくなっていく。
そんな印象があった。
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ボツワナ共和国
(Republic of Botswana) |
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人口 |
172万人 |
面積 |
58.2万km2 |
首都 |
ハボロネ |
宗教 |
キリスト教、伝統宗教 |
言語 |
英語、ツワナ語 |
通貨 |
プラ |
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旅行期間 |
2002年4月18日〜2002年4月25日(8日間) |
訪問経路 |
(ジンバブエ)→フランシスタウン→ハボロネ→(南アフリカ) |
ボツワナ入国
人口密度の低い乾いた国
なぜか検問が多い
タイヤも靴も消毒させられ走る
南回帰線を越えて
マラリア危険域を脱す
人口13万人の首都
郊外都市のようなハボロネ
のんびりしていたボツワナ
アフリカ最後の国境へ
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南アフリカ共和国
(Republic of South Africa) |
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人口 |
4483万人 |
面積 |
122万km2 |
首都 |
プレトリア |
宗教 |
キリスト教、ヒンドゥ教、イスラム教 |
言語 |
英語、アフリカーンス語、ズールー語 |
通貨 |
ランド |
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旅行期間 |
2002年4月25日〜2002年5月25日(31日間) |
訪問経路 |
(ボツワナ)→マフィケン→キンバリー
→モッセルベイ→アグラス岬→ケープタウン〜(トルコ) |
南アフリカ突入
雰囲気が少しずつ変わる
中部の都市キンバリー
ダイヤモンド鉱山で栄えた
逆方向に動く太陽
日増しに涼しくなる5月
地平線を追いかけ
ひたすら走る毎日が続く
アパルトヘイトの現実
黒人居住区で過ごした夜
年 |
月 |
日 |
国 |
できごと |
距離 |
2001 |
05 |
26 |
日本 |
旅立ち 空路アラスカへ |
0 |
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08 |
05 |
メキシコ |
トゥーラ手前 |
5000 |
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09 |
04 |
グアテマラ |
強盗事件発生 自転車を失う |
6940 |
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10 |
05 |
イタリア |
二台目の自転車を購入、再出発 |
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11 |
11 |
トルコ |
イスタンブール手前 |
10000 |
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14 |
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日の丸作ってW杯予選トルコサッカー観戦 |
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2002 |
01 |
01 |
イラク |
バグダッドにて年越し |
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02 |
17 |
スーダン |
ゴタ〜ガラバート間 |
12000 |
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03 |
15 |
ケニア |
赤道通過 |
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24 |
タンザニア |
自転車にて入国(ナマンガ) |
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28 |
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サーメ〜モンボ間 |
14000 |
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04 |
03 |
ザンビア |
鉄道にて入国(ルサカ) |
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09 |
ジンバブエ |
自転車にて入国(ビクトリアフォールズ) |
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10 |
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ビクトリアフォールズ先 |
15000 |
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18 |
ボツワナ |
自転車にて入国(フランシスタウン) |
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21 |
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ディノクエ〜ディベテ間 |
16000 |
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25 |
南アフリカ |
自転車にて入国(マフィケン) |
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05 |
01 |
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ブリッツタウン〜ビクトリアウエスト間 |
17000 |