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世界ブランド TSUKIJI (築地)の集客パワー

和食文化の発信地を移転・分断させていいのか




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 今、築地が熱い。朝、都営地下鉄大江戸線の築地市場駅を訪れると、英語にフランス語、韓国語に中国語と、実にさまざまな国の言葉が耳に飛び込んでくる。厚めの上着を着込み、切符の自動販売機や、駅構内の浮世絵を描いた壁画をカメラに収めている人も多い。

「世界最大級の魚市場」

「東京でもっとも旅行者を引き付ける場所の1つ」

 海外でもっとも読まれている英文の日本情報サイトが築地を紹介するうたい文句である。築地は浅草や秋葉原と並んで、東京でも有数の外国人に人気が高い町であり、多くの旅行者が築地市場を目当てにやって来る。

 江戸時代、1日に千両のお金が落ちると言われるほど栄えた場所が3カ所あった。浅草の芝居小屋と、吉原の遊郭、そして日本橋魚河岸である。築地市場はその魚河岸の伝統を引き継ぎ、関東大震災後に現在の場所に開設された。

 面積は23ヘクタール、1日平均3350トンの魚や野菜が入荷し、およそ21億円が取引されている(05年実績)。名実ともに、日本最大級の市場であり、食の拠点である。周囲の道路をターレと呼ばれる荷運びの軽車両が走り回っている光景は、独特の雰囲気がある。

 場内に足を踏み入れると、そこはさながら1つの町だ。面積の大部分は水産部と青果部に分かれた業者の売り場が占めるが、一角に並ぶ関連事業者棟には多くの食堂や商店が軒を連ねる。診療所があり、郵便ポストもあった。

 昼時になると、食堂には長蛇の列ができる。国内外から訪れた多くの観光客が、ガイドブックを片手に店先のメニューを眺めつつ並んでいた。

 余談になるが、知る人ぞ知る、かの牛丼チェーン吉野家は、築地市場の中に1号店がある。狂牛病問題で牛丼の販売が中止された時期も、1号店だけは国産牛を使用し牛丼を提供していることが報じられたが、発祥は市場で働く人たちのための食堂だったのだ。

 市場で売っているのは魚や海産物だけではない。食に関するものとして、陶器や漆器、そして魚をさばくための刃物もまた、大小さまざまな品が並べられている。店先で包丁を研いでいる様子を、台湾からとおぼしきカップルが興味深そうに見つめていた。

 さらに、北側に隣接して、「場外市場」と称される店舗群が広がっている。「場内」が本来プロの市場とすれば、「場外」はより一般客向けだ。寿司(すし)屋に鰻(うなぎ)屋、乾物屋に佃(つくだ)煮屋と並ぶ狭い路地は、これまた観光客に溢れ、まるで迷路のようでもあった。

 自ら歩いてみると、築地が外国人旅行者に人気が高い理由もうなずける。私がその立場であれば、異国の町を訪れた際に、スーク(アラビア語で市場の意)なり、メルカド(同じくスペイン語)なり土地柄を感じさせる市場は、絶対に外せない場所であるからだ。近代的な百貨店やショッピングセンターにはない、個性があり風情がある。

 ソウルには南大門市場、バンコクには水上マーケット、イスタンブールにはグランバザールがあるように、東京には築地市場があるというわけだ。独特の磯のにおい、醤油(しょうゆ)の香り、市場の一角に建つ神社の鳥居も、日本らしさを感じさせる。

 そんな東京都内でも有数の観光名所・築地が、豊洲への移転問題に揺れている。東京都のホームページなどを見ると、移転は既定路線となっているが、反対の声は根強い。移転先の豊洲の土壌が汚染されているというニュースが報じられたこともあって、一般にも注目されている問題である。

 場内には「移転反対」のビラが貼(は)られ、場外には「私たちは移転しません」の横断幕。むろん食の安全は市場にとって最重要であるが、もう1つ観光や文化の発信という観点も、移転問題を考えるにあたっては必要ではないだろうか。場内市場と場外市場が一体となって、観光客を魅了している築地である。これを分断してしまうのは、あまりにもったいない。

 外国人旅行者が増えすぎたために、市場の機能に支障が生じているという難点もあるが、これは日本の食文化に対する関心の裏返しでもある。秋葉原が漫画・アニメ文化の聖地なら、築地は和食文化の聖地。TSUKIJIブランドは、今や世界にその名を轟(とどろ)かせているのだ。

(2008年4月17日掲載)

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