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既存媒体では成し得ない市民メディアの新境地に期待 オーマイニュースを毎日のように読んでいて気づくことは、オーマイニュース自身を論じる記事が非常に多いことだ。オピニオン会員の廃止に関わる賛否の記事、市民記者のあり方を問う記事、記事を書く際の工夫についての記事、2ちゃんねるなど他のインターネット媒体と比較しての記事、あるいはオーマイカフェに出席した感想記事など、実に多岐に渡っている。 そのようなオーマイニュース自身を題材とした記事が、いったいどのくらいあるのか調べてみた。12月13日現在、「オーマイ」を検索語として抽出し、記事の題名や内容からおおよそ判断して数えてみたところ、93件という数字になった。記事総数が3000件あまりと考えると、これは相当な割合である。市民参加型のオーマイニュースそのものが記事の対象であり、外部メディアから報道されるだけではなく、市民記者の内部から論議が沸き起こっているのである。 正解がないのが正解──。なんだか禅問答のようだが、決まった答えがないのが、子育てなのだろう。 ちなみに、93件の記事の月ごとの内訳は別表のとおり。創刊、オーマイカフェの開催、ひと言欄の改定と、オーマイニュースの動きに呼応して、記事の切り口もさまざまに変化している。また、この種の記事は「ひと言」の数も多く、相対的に閲覧数も多い。 なぜ、既存の媒体と異なり、オーマイニュースは自己を論じることが可能なのか。それは投稿する1人ひとりの市民記者が、オーマイニュースと直接の利害関係を持たないからだ。 一般のマスコミでは、所属記者が上層部を批判する記事を書くことはほぼ不可能だろう。しかし、オーマイニュースにおいては容易だ。なぜなら、市民記者が編集部の方針とは異なる記事を書いても、それで仕事をクビになる心配などないからだ。もちろん、記事が掲載されるかどうかは編集部の裁量なのだが、これまでのところ編集部は、批判意見も受け入れて掲載している。その最たる例として、菅谷徹氏の「絶筆宣言!」が挙げられる。 オーマイニュースの編集委員である佐々木俊尚氏は自身のブログでこう書いている。 「かなりあちこちで『内部批判の暴露原稿みたいなものを外部のメディアで書いて、頭がおかしいんじゃないか?』と非難されてきた。だがこうやってオーマイニュースの問題点をパブリックな場所で表出していくことで、どこかで何かの可能性を見いだすことができるのではないかと思っているし、そう信じたい」 また、市民記者のてつ氏は、音羽理史氏の記事「佐々木俊尚さん、ほんとうにそれでいいんですか」に対し、そのひと言欄の10番で次のように述べている。 「僕は佐々木さんの意見、結構聞けるところもあるっていうか聞かなきゃいけないところもあると思うし、佐々木さんのような内部告発者(インサイダー)の存在、そしてこういう佐々木さんの発言が出来るようにしているオーマイって嫌いではない。佐々木さんも最後にエールを送ってるしね。内部告発者がいて、またその告発者とまた話せる組織なんてめったにないと思うけどね」 中には、こういった議論を否定し、もっと普通の記事を書くべきだという意見もある。しかし、私はそうは思わない。 仮にも「市民みんなが記者だ」を標榜して始まったオーマイニュースである。その試み自体が新しく、その一挙手一投足がニュースになるのだ。オピニオン会員の廃止を巡る騒動に象徴されるように、オーマイニュースは混迷を続けているようにも思えるが、そこで交わされた幾多の論議は、きっと今後のオーマイニュースにとって大きな糧となるだろう。また、そうしなければならない。 その点を踏まえ、最後に編集部に1つ提案したい。 オーマイニュース自身に関する記事の分類が、「社会」「ライフ」「エンタメ」と統一性がなくバラバラなのは、非常に分かりにくい。いっそ思い切って、「オーマイニュース」という専用のカテゴリを設定してみてはどうだろう。そこに限って、市民記者以外の読者から匿名で意見を募るというのもいい。そうすることにより、市民メディアの将来に向けて、さらなる議論の熟成を図れるのではないだろうか。 (2006年12月15日掲載)
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