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自然の凄さを学び、暮らす人々を応援するために 2000年に噴火を起こして住民が一斉に避難した三宅島を11月に訪ねた。 05年2月には住民の帰島が始まり、続いて同年5月からは観光客の受け入れも行われている。釣りやダイビング、イルカやクジラの観覧など魅力的な観光資源はあるのだが、いかんせん噴火が完全に収まったわけではなく、まだまだ復興は道半ばといった状況だ。 最大の理由として考えられるのが、未だに噴出が続いている有毒性火山ガスの存在だ。風向きの関係で二酸化硫黄濃度が高くなりやすい島内の2つの地区は、依然高濃度地区として滞留が禁止されている(交通手段が三宅島一周道路しかないため車での通過はできる)。当然そこに住んでいた元住民は、帰島しても自宅に住むことはできず、仮住まいを続けるほかない。噴火以前4000人近くいた人口は、今年10月1日時点で2910人までしか回復していないという。
また、高濃度地区内に位置する三宅島空港は閉鎖されたままであり、東京から島へ渡る手段は1日1便の船(竹芝から往路22:30発5:00着、復路14:20発20:30着)のみである。さらに高濃度地区以外の地域でも日によってガス濃度が高いことがあり、訪れる観光客にもガスマスクの携帯が義務づけられている(実際に着用している人は少ないが、ガスへの耐性は個人差あるので注意が必要)。このことも観光客が伸びない原因になっているのだろう。 実際に島を巡ってみると、随所に噴火の爪痕を実感できる。空き家のまま放置された民家や黒々とした溶岩流の塊、そして真っ白く立ち枯れした木々が、被害の甚大さを伝えている。 一方で自然の生命力と、そこで生きる人々の強さを感じることもできる。私は昨年から何度か島を訪れているが、感動するのは白い枯れ木に混じって新しい緑が増えていることだ。こういう言い方に語弊がなければよいが、天災というのはどうしても防げない部分があり、自然のすごさと人間のちっぽけさを感じてしまうのだ。
そこで古来より人々がどうしてきたのかといえば、第1にはただ手を合わせ祈ることである。三宅島には小さな島とは思えないほど神社が多い(人口比で日本一とも言われている)。豊漁を願い、豊作に感謝し、時として山や海の怒りを鎮めようと祈った人々の謙虚さがそこにある。高濃度地区のほど近く、泥流にずっぽり呑み込まれた椎取神社の鳥居が残り、その隣には真新しい社が建てられていた。これからも島と共に生きようとする島民の決意の表れだろうか。 自然の偉大さを学びに、そこで暮らす人々の応援の気持ちを込めて、ぜひ一度三宅島を訪れてみてはいかがだろうか。 (2006年12月04日掲載)
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