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グアテマラで覚えた不快感とイラク戦争加担への疑問 世界中を震撼させた9.11事件から5年が経過した。日本ではちょうど夜のニュースの時間帯であり、多くの人が「生中継」で見たと、私はずいぶん後になって知った。当時、私は自転車旅行の途中でグアテマラにいた。 5年前の9月11日の朝、私はアンティグアという町のスペイン語学校にいた。かつてスペインの中米支配の総督府が置かれたこの町には、中南米を旅する旅行者向けの語学学校が多くあり、私は1週間の短期で通っていた。 授業は学校の中庭で行われており、事件の第一報は、隣家の婦人から伝えられた。話を聞いた若い女の先生は、なにやら神妙な顔つきで、Guerraという単語を連発した。 辞書を引くと、『War(戦争)』とあった。 彼女はさらに、パレスチナの飛行機がニューヨークを攻撃したらしいと、言葉を続けた。私は意味がよく飲み込めなかった。 9.11事件は、こうして私のもとに知らされたが、情報は交錯しており、断片的だった。
【ニューヨークの世界貿易センタービル跡地】
翌日そして翌々日、地元の新聞を見て、私はおおむね何が起こったのかを理解した。燃えさかる世界貿易センタービルの写真と、指を突き立てるオサマ・ビン・ラディンの写真。『我々は戦争に勝つ』などという扇動的な見出しがあった。 しかし私が目を疑ったのは、『新・真珠湾』という別の見出しだった。さらには、『カミカゼ』という文字も紙面に躍っていた。 何とも言えぬ不快感が臓腑に残った。 その後にインターネットやCNNで接したアメリカ国内の報道でも、同様の表現が使われていたのを目にした。 やがてアメリカは報復としてアフガンを攻め、イラクにも侵攻する。一連の戦いを、ブッシュ大統領は第2次大戦の対日戦争になぞらえ、真っ先にこれを支持する小泉首相の姿があった。 まもなく小泉首相は退陣する。私はあながち彼のことが嫌いではない。従来の政治家に比べれば魅力があり、期待感があった。靖国参拝についても、基本的には賛成である。しかし、イラク戦争への加担だけは、どうしても支持できず許せない点である。 今なおイラクでは毎日のようにテロが起きている。何人死んだ、何人殺されたというニュースを目にするたび、私は心がよじれる思いがする。 また別の記事に書きたいと思うが、グアテマラから4カ月後に、私は開戦前の、まだ平和だったイラクを訪れている。イラクは歴史の深い国であり、人々は誇りを胸に笑顔で生きていた。 小泉首相にとって、靖国に参り、先の大戦で命を落とした兵士のために祈る衿持と、9.11を真珠湾攻撃になぞらえられ、「カミカゼ・アタック」とまで称され、なおアメリカに従う卑屈さが、いったいどこで交差するのだろうか。 退陣を機に、是非そのあたりの考えを説明してほしいと思う。 (2006年9月11日掲載)
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