タイ・プーケット子連れ旅行/2日目 最大寺院ワット・チャロン
しかしおとなしくビーチリゾートを楽しんで、満足するような私たちではなかった。
ソンテウと呼ばれる、トラックを改造した乗り合いバスに揺られ、島内各地を縦横無尽に駆け巡る。
さあ、とりあえずどこから攻めようか。
8月3日
プーケット島の中心市街 その名もプーケット・タウン
プーケットはマレー語で丘を意味する「ブキット」が語源の島。インド洋の交易拠点として古くから栄えていた。また錫やゴムが主要産業とされ、中国人やポルトガル人が多く住むようになったといわれている。
プーケット島内巡りで、まず私たちが訪れたのは、そんなプーケットの歴史の中心、その名もプーケット・タウンである。プーケット・タウンは人口五万人ほどで、プーケット最大の町。交通の要衝でもあり、パトン・ビーチをはじめ島内の各ビーチとは、ソンテウと呼ばれる乗り合いバスで結ばれている。
【プーケットタウンの市場】
【プーケットタウン、時計塔】
もちろんタクシーなりトゥクトゥクをチャーターするという豪勢な方法もあるが、私たちは迷わずソンテウを選択した。パトン・ビーチの南端に乗り場があるという情報を得て、そこから乗車。ところが私たちを乗せたソンテウは、その後時速10キロほどののろのろ運転でビーチ沿いの道を走り、随所で乗客を拾っていく。乗降自由であり、宿泊ホテルから最も近い場所で待てばよかったのだ。
ソンテウはトラックを改造して、荷台部分に木製のベンチを並べた乗り物。長男は大喜びであちこち眺め回している。利用客の大半は地元の人だが、途中で何人かの白人客も乗り込んできた。パトンを離れても、途中の集落や郊外型ショッピングセンターなどで頻繁に乗降があるため、プーケット・タウンまでは一時間近くかかった。
プーケットは夏が雨期であり、この日も冴えない空模様。プーケット・タウンに到着して適当に歩き始めたところ、強い雨が降り始めた。その後、止んで、また降っての繰り返しであり、軒先で雨宿りを繰り返しながら歩く。
ロータリーに建つ時計塔はポルトガルの影響か。付近には中国寺院、その向こうにはモスクとおぼしき建築も見えて、この町の歩んできた歴史と多様な文化がほんわかと感じられる。面白かったのはパイナップルが載せられた祭壇を頻繁に見かけたこと。妻は「お供え物じゃないの」と言うが、私には神様として祀られているように見えた。商店の看板には漢字が書かれていたから、華人の風習なのだろうか。
【昼食カオ・マン・ガイ】
【ソンテウに乗って】
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プーケット島の最大寺院 その名はワット・チャロン
プーケット・タウンから再びソンテウに揺られて二十分、私たちが訪れたのはプーケット最大の寺院ワット・チャロンである。十九世紀後半に起こった錫鉱山で働く中国人労働者の暴動を鎮めた、高僧ルアン・ポー・チャエムが祀られている。
タイ様式の立派な本堂にはひっきりなしに参拝客が訪れ、霧吹きで塗らした紙(お札だろうか)を、高僧たちの像に貼り付けていた。また、箸のような棒と、鰹節のような形をした石を叩いている人がいて、なんだろうと怪訝に思ったのだが、あとでおみくじの一種だと分かった。本堂の一角に番号の記された棚があり、そこでおみくじを引くのだ。日本の神社やお寺と同じように、外の木の枝には無数のおみくじが結ばれていた。
【ムエタイをテレビ観戦する男たち】
【ワット・チャロン全景】
たびたび長男を驚かせていたのは、爆音である。これは華人文化の影響だろう。爆竹を爆発させるための、アリクイの巣のような形をした専用の小さな塔があり、何分かに一度、空気をつんざくような轟音と火花を散らしていた。中国人の暴動を鎮めたことが始まりのお寺だが、華人にも篤く信仰されているのが面白い。
爆竹は多少うるさかったが、寺院というのはのんびりくつろげる空間である。ベビーカーに載せられての移動ばかりでは疲れてしまう長男も、しばし休息のとき。売店で売られていたココナッツジュースを与えてみると、美味しそうに飲んだ。「思った以上にさっぱりしてるんやな」初めて飲むという妻が、少々意外そうに言った。
ワット・チャロンの園内にはもう一つ、大きな仏塔があった。インドのブッダガヤ(ブッダが悟りを開いた地)に建つマハーボディ寺院を模したと思われる様式で、天高くそびえている。内部は、各階に黄金の仏像が並んでおり、登ることもできた。
【激しく打ち鳴らされる爆竹】
【ワット・チャロンの象の像】
ワット・チャロンからの帰り道。来たときと違って、ソンテウのターミナルはないから、流しのソンテウが来るのを待つしかない。何分くらいで来るか分からないので、街道沿いに佇んで、走ってくる車の一台一台をつぶさに確認する。そんな私たちをじっと見ていたおばちゃんが、「タクシー?」と話しかけてきた。私が「ソンテウを待っている」と断ると、おばちゃんは嘘か誠か「ソンテウなんて来ないよ」なんてことを言う。
ああ、なんとも懐かしい感覚だ。
私は今までに、世界の様々な国で、このパターンで待って、「乗れなかった」ことは一度もない。だが、いつだって、実際にお目当てのバスが視界に見えてくるまでは、本当にこの場所で待っていて正解なのだろうか、永遠に待ちぼうけなのではないだろうか、と不安にもなるのだ。
三十分に一本、いや下手すると一時間に一本か。そんなことを考えながら、時計の長針がぐるりと半周した頃、やっぱりちゃんとプーケット・タウン行きのソンテウはやって来た。手を挙げれば、しっかり目の前に停まってくれた。
【帰りのソンテウ】
【ドラゴンフルーツを食す】
かくしてプーケット・タウンで市場に寄って、ドラゴンフルーツを調達、パトン・ビーチ行きのソンテウに乗り換えて、ホテルに帰る頃にはすっかり夕暮れ時になっているのであった。
さあ、明日はどこへ繰り出そうか。