タイ・プーケット子連れ旅行/3日目 シレイ島の海洋民族モーケン
船上生活を続ける謎の海洋民族モーケン族が暮らしている。
噂によれば2004年の12月、万単位の被害者を出したあのスマトラ沖大地震の際、
彼らは事前に大津波の到来を察し、あらかじめ高台に避難していたため、
ほとんど死者を出さなかったのだという。
8月4日
謎の海洋民族モーケン族が暮らす シレイ島訪問記
プーケット滞在三日目、ついに晴れた。
ホテルの部屋から青空を確認し、私たちは今日もパトンビーチを飛び出すことを決めた。昨日と同様にソンテウに揺られて、まずはプーケット・タウンへ。
【プーケットタウンの東、唐辛子の山】
【シレイ島へ渡る橋の上より】
プーケット・タウンに到着した私たちは、長男をベビーカーに乗せたまま、東に向かって歩き始めた。本日の目的地は、ある意味今回の旅行で一番楽しみにしているシレイ島、謎の海洋民族モーケン族の人々が暮らすといわれている島だ。とあるガイドブックのコラムに載っているのを見つけたのだが、その後インターネットなどで調べても、情報量はとても少なかった。
鋭い日射し、まったくバリアフリーではない歩道、早速額に汗が滴るが、気持ちよく歩く。
同行者がいた。パトン・ビーチからのソンテウで偶然隣に座った年輩のアラキさん夫婦。最初はお互い現地の人だと思っていて、英語で話しかけられたのだが、日本人だった。なんでも定年後、マレーシアのペナン島に暮らしているのだという。どうりで立派に日焼けされているわけだ。
(しかし、私たちが現地人に見えたのは、なぜ?)
(赤ん坊連れで、ソンテウなんかに乗っていたからか?)
ご夫婦はプーケットはもう十回くらい来ているが、シレイ島は初耳だという。私たちの話を聞いて、一緒についてくることになった。
【たくさんの猿たち】
【セブンイレブン、シレイ店】
「小一時間歩くと思いますよ」
地図を見ると、プーケットタウンの中心部から東の町外れまで三キロくらい。その先に橋があり、渡ればすぐにシレイ島だった。その橋までは、商店や住宅が連なるのどかな道が続き、おおむね予定通りであった。
ところが、橋を渡ってからも、道はまっすぐ続いていた。しかも見た限り、その先がかなり長い。軽く一キロくらいあるだろうか。両側にはマングローブが茂り、その先には人工的な木道が伸びて小型の船舶が見えた。
さらに先には、マングローブの林に猿たちが棲む一帯があった。小さな展望台があり、猿の像が並び、果物の屋台が出ていた。車やバイクが何台か脇に停まって、地元の人たちの憩いの場になっているようだった。
そこからもう少し歩いて、ようやく突き当たり。驚いたことに、そこには馴染みの看板の店があった。パトン・ビーチはもちろん、プーケット・タウンでも、何軒もその店舗を見かけていたのだが、よもやシレイ島にまで進出しているとは。恐るべしセブンイレブン!
【シレイ島の学校】
【一本の木】
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辿り着いたモーケンの村 海を見渡す山上の寺
セブンイレブンを横目に右折すると、両側に店舗が並ぶ普通の集落。緩やかなカーブの先に学校があり、子供たちの賑やかな声が聞こえてきた。しかし道はまだ、その先も続いている。「Sea Gypsy Village」との標識を頼りに歩いていくしかない。
結局プーケット・タウンから二時間くらい歩いただろうか。最後は分岐の道で道を尋ねた車に乗せてもらい、五百メートルほどを走って、モーケン族の村到着となった。
海岸沿いの小さな村落。高床式の家並みが続いている。村の入口には小さな祠があり、海辺には幾艘もの小舟が係留されていた。砂浜には巨大な鳥かご、これは魚を捕らえるための装置のようだ。鳥かごの横では女性が座って何やら作業していたが、顔が白く塗られている。舞妓さんのような真っ白なおしろいではなく、太く筋状に塗られているのだが、モーケン族特有の化粧であるらしい。
私たち以外に観光客らしき姿はない。日本人にはほとんど知られていない一方、物好きな欧米人がけっこう来ているのではないかと思ったが、そうではなかったようだ。
レストランは一軒、島の入口から看板を出していた海鮮料理の店があったが、経営者は村の人ではなく、華僑であるようだった。ただ、料理に供される材料は、紛れもなくモーケンの人々が海で捕ってきたもの。海に面した店のテラス、私たちが食事をしている間、何人かの男たちが、入れ替わり立ち代わり海から現れては、捕りたての魚や蛸を水揚げして、その場で現金を受け取っていた。
くりくり目玉の長男は、相変わらず女子従業員に大モテ。しかし色気より食い気、辛目の味付けにもめげず、魚や蟹をぱくついていた。
【モーケン族の村】
【海上に浮かぶ舟】
商売を終えたモーケンの男は、すぐに海に飛び込み、華麗に泳いで沖合いに停めてある自分の舟に戻る。あれ、さっき受け取ったお金はどうしたのだろうと思ったら、男はさっとかぶっていた帽子を脱いだ。帽子の裏に紙幣をしまっていたのだ。
見る限り、漁をするのは男たちだけではないようだ。小舟を操っている人たちの中には、明らかに女性もいた。さすが海洋民族、男も女も、みな海の上が似合っていた。もとよりカナヅチなど一人もいないのだろう。
食事を終え、村の道を、来た方向に戻っていると、向こうからおばさんの運転する一台のバイク。バイクの脇にはサイドカーならぬリアカーのような荷台が取り付けられて、小さい子供たちが数人乗っていた。僕は村に来る途中の道沿いに学校があったことを思い出した。モーケン族の子供たちもあの学校に通っており、こうしてバイク・リアカーで送迎されているのだ。
【島の海鮮料理】
【村の家並み】
さて。その学校の裏手に山があり、その山頂にお寺がある。アラキ夫妻とはここで別れ、私たちはシレイ寺を目指した。といっても舗装された道がちゃんとあり、十分程度歩けば、入口の階段に辿り着く。ふもとの学校から、子供たちの声が聞こえてくるくらいの距離だ。
本堂に入ると、大きな涅槃仏。日本の仏像は立像もしくは大仏のように座しているものがほとんどだが、タイは横になっている涅槃仏が多い。ブッダが入滅すなわち亡くなったときの姿を現したものだが、修行中の立像、悟りを開かんとするときの坐像よりも、全ての教えを説き終えた寝仏のほうが、重要だと考えられているのだろう。
特に予備知識なく訪れたため、どんないわれや歴史のあるお寺かは分からなかったが、境内がテラスになっており、海に浮かぶ島々や岬の眺めが素晴らしかった。吹き抜ける風は心地よく、歩き疲れた足を休めることができた。
一方長男にとっては、ベビーカーに揺られて欲求不満の体力を、発散する機会となった。知らない人相手にはからきし弱気で、話しかけられただけでも泣いてしまうほどなのに、なぜか動物には強気の彼、テラスで寝ていた猫をビシビシ叩いていじめて(じゃれあって)いた。
【山上のシレイ寺】
【涅槃佛】
モテモテ男 生まれて初めての淡い恋
さて、問題は帰り道。プーケット・タウンからここまでは二時間かけて歩いてきたが、同じ道を歩いて戻る気力はない。しかし公共のバスは走っていない。先程別れたアラキ夫妻は、町へ戻るというレストランのオーナーの車に運よく乗せてもらったのだが、私たちはどうしたものか。タクシーやトゥクトゥクすら見かけない島なのだ。
答えは、ヒッチハイク。「まさか子連れでヒッチするとは思わんかった」とは妻の弁。
でも、簡単にはいかなかった。地元のおっさんが話しかけてきて、乗せていってやるというのだが、有料かつ車ではなく、バイク! こっちではバイクの二人乗り、三人乗りは当たり前で、子供を乗せることもまったく珍しくない。とはいえ、一歳半の長男を抱いたまま、バイクの後ろにまたがる挑戦心はなかった。
【お寺からの眺望】
【寺院内で一休み】
かくして車をつかまえるのに三十分ほど苦戦したが、最後は女性ドライバーが乗せてくれて、ほっと安心。プーケット・タウンからは、昨日と同じようにソンテウに揺られ、パトン・ビーチへ。
ちなみにソンテウの車内、帰宅途中の学生で混みあっていたのだが、その中に高校生くらいの女子と、小学校高学年くらいの男子の姉弟がいた。まあ、弟くんのほうはおいといて、私たちを驚かせたのはお姉さんのほうだ。両親以外にはなつかない、人見知りの激しい一歳児であったはずの長男が、なんと彼女にデレデレの表情を見せたのだ。
「×××!(長男の名前)」
ソンテウの最前列で、進行方向の景色をじっと見つめている長男、しかし彼女から黄色い声で呼ばれるや、なんともしまりのない笑顔で振り向くのだ。彼のこんなにも嬉しそうな表情は、親にも見せたことのない「男の顔」であった。 しかし、楽しい時間は儚い。まもなく姉弟は、バイバイと手を振って、ソンテウから下車していった。そのときの長男の顔といったら、唖然呆然、なんともいえぬ未練を含んでいた。
意外なところで生まれた彼の初恋は、あっけなく終わったのであった。