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編集部の対応こそが、全ての鍵を握っている 本記事の主題はズバリ、なぜ市民記者は辞めてしまうのか、である。 私は創刊1周年の特集記事として、「それでも私がオーマイニュースに期待する理由」を投稿し、冒頭で「市民記者としての活動を半分停止した状態である」と書いた。私は「半分」と書いたが、中には「ほとんど」停止している人や、あるいは「完全」に辞めてしまったという人も、少なからずいるだろう。 前半部では、編集部から提供された具体的なデータをもとに、市民記者の実働数について検証する。そして後半部では、実際にオーマイニュースを離れてしまった元・記者に伺った話を中心に、私個人の意見も交えて批評したい。 実働している記者はわずか3% 表1を参照されたい。これは、8月11日から9月10日の1カ月間に掲載された記事と、その執筆記者の数を、編集部発のものか否かで区別し、集計したものである。 24.2%、つまりおよそ4本に1本が、編集部員、もしくは編集部の依頼によるプロライターの記事であることが分かる。 また、1カ月間に1度でも記事を書いたことのある市民記者の数が、わずか110人であることも分かる。もちろん中には、2カ月ないし3カ月に1本程度の割合でしか記事を書かない記者もいるだろうが、その人数を考慮に入れても、8月14日時点で3682人といわれる市民記者の全登録数には遠く及ばない。110を3682で割ると、その解はわずか3%、倍で考えても6%である。 圧倒的多数の残り94%は、一度も記事を投稿したことのない記者なのだろうか? あるいは何度か記事を投稿したものの、今はオーマイニュースから去ってしまった記者たちなのだろうか? 先日の1周年式典などにおいても、4000人弱という登録数だけが大きく語られていた印象があるが、編集部は、その実働数が3〜6%に過ぎないという事実を、もっと深刻に受けとめる必要があるだろう。 トップ記事の44%は編集部発 何気なくオーマイニュースを見ていると、いつもトップ記事が編集部発の記事ばかりであるように思えるときがある。 表2はその真否を検証したものであり、具体的には9月1日から9月10日に掲載された記事の最高掲載位置を集計している。これより、オーマイニュースの顔ともいうべき1面トップ記事の掲載比率は、編集部発の記事が44.4%を占め、市民記者発のものは55.6%に過ぎないことが分かる。 辛うじて市民記者の記事が半数を越えているのであるが、「市民みんなが記者だ」を合言葉に創刊された市民記者メディアとしては、いささか看板倒れではないだろうか。 表1で指摘したように、市民記者の実働数は非常に少ない。編集部は自ら記事を発信するより前に、どうしたらもっと市民記者からの投稿が増えるか、その点にこそ全精力を注ぐべきである。 編集部+常連記者で8割の記事 表3は、1人の市民記者が1カ月に何本の記事を書いているかを、掲載本数別に示したものである。 編集部発も含めた統計になるが、月10本以上のハイペースで記事を投稿している記者を超常連記者、月4本(週1本)以上の投稿を常連記者と仮に定義するならば、1カ月の掲載記事総数のうち、超常連記者が4割を占め、常連記者までを含めると実に8割となる。 ちなみに私も常連記者の範疇に入るのだが、上述の1周年記事の中でこう書いた。 「創刊から1年も経たないうちに、編集部の考えに合った人たちしか記事の投稿をしなくなってしまったのだとすれば、それは市民メディアとして体をなしていないわけであり、大変に由々しき問題である」 「プロ記者と常連市民記者をあわせると、掲載記事の全てが占められているのではないかと思える日もあって、新たな市民記者が登場しているのだろうかと、その行く末が心配にもなってしまう」 約50名の常連記者で8割の記事が占められている現状。その原因はどこにあると、編集部は考えているのだろうか? 約束を守らない編集部は信用できない 現状分析は以上とし、以下その原因を探っていきたい。そのためには、記事投稿をやめてしまった元・記者の意見を聞くのが一番である。私はそう考え、昨年12月以来記事の投稿がない田村圭司記者に連絡し、意見を聞いてみることにした。 田村氏は何冊かの著作を持つプロのジャーナリストであるが、市民記者メディアとしてのオーマイニュースに大きく期待を寄せ、昨年だけで合計8本の記事を投稿していた。また、一時期は関西版勝手カフェの開催を提唱されたこともあるから、その名前を覚えている方も多いのではないだろうか。私自身は、一度大阪の事務所に伺って、お話をさせていただいた縁がある。 しかし、田村氏は今年になってから一切記事の投稿をしておらず、また2月頃からはサイト自体ほとんど見なくなったと言う。その理由について、こう断言した。 「約束を守らない編集部は信用できない」 田村氏が最後に投稿した記事は「不就学児童を知っていますか?」という記事であり、その文中に「子ども」という単語が登場する。実はこの言葉、投稿文では「子供」だった。しかも、編集部との事前の協議で、田村氏は漢字の混ぜ書きはしたくないという持論を説明し、編集部はこれを了承、「子供」として掲載することを約束したのだという。 そう約束したにもかかわらず、蓋を開けてみると、「子ども」に直されて掲載されていた。しかも、そのことについて事前にも事後にも、編集部から一切の説明はなかったそうである。漢字表記など些細なことだと思う方もいるかもしれないが、田村氏が問題にしているのは、約束を破られ、しかも何の連絡もなかったこと、コメント欄に質問を書いても無視され、いまもって、そのままである点だ。 「今まで色んな編集者と付き合ってきたが、こんな扱いは初めて。左か右かといった主義主張の問題以前に、基本的なコミュニケーションが成り立っていない」。続けて「市民記者のサイトであれば多種多様な考えを持つ人達が市民記者として集うのであり、その個人個人の物の考え方が示されてこそ有意義であり、本当の意味での市民記者サイトになるのではないか」と疑問を呈している。 肝腎の市民記者への応対がおろそかになっていないか ここで私は、あえて編集部を援護する意味で、「編集部は相当忙しくて、手が回らないみたいですよ」と言ってみた。田村氏の指摘はもっともであり、私も一社会人として同感なのだが、同時に編集部からとんでもない深夜にメールが来ることも知っていたからだ。 しかし、田村氏は厳しく言葉を続けた。 「1日あたりの記事の掲載数が20本としましょう。これは、私に言わせれば1人で処理できる量ですよ。市民記者はみんな、実名を出して、それぞれの考え方で記事を書いているわけです。最低限『てにをは』を直して文章を整えることは必要ですが、どうもそうではなくて、変なところで気を使っている。読みやすいように直すのではなく、意に沿わない内容を検閲しているという印象です。連絡はくるものの『○○の部分は削除しますよ』と居丈高に修正するのは頂けない」 編集部がどこまで記事を修正してよいかというのは、意見の分かれる部分かもしれない。先日の編集委員の会合で元木編集長は、「編集者の立場として、まったく手を入れないということはできない」と述べていた。それは考え方として、一理あると思う。 ただ私自身は田村氏の意見に近く、明らかに文法が間違っている場合や、事実関係の錯誤がある場合を別として、原文ママで載せるべきだろうと思っている。そして、最低限それでも修正が必要な場合は、当然記者の了解を求めるべきである。市民記者は、何より実名を晒して記事を書いている。意に沿わぬ編集をされるくらいなら、掲載を辞退したいという人だっているだろう。しかも、誰が編集を担当したのか、読者には(場合によっては記事投稿者本人にも)分からない仕組みになっているのだ。 つまるところこの問題も、編集部の真摯な対応能力が問われているのである。 去った人の声を今一度聞き、戻ってもらえるよう努力しよう 批判ばかりを連ねたが、最後に解決策を一つ提案したい。もし編集部にその気があれば、明日にでも始められることだ。 それは、オーマイニュースを去った人の意見を聞くことだ。私が今回田村氏に尋ねたように、以前は積極的に投稿していたが、ある時点を境に記事を書かなくなってしまった市民記者、あるいは退会してしまったことが明らかな元・記者に対し、その理由を聞いてみてはいかがだろうか。そして、どうすればオーマイニュースに戻ってきてもらえるのか、頭を下げて調べてみよう。 何人かに意見を聞くと、だんだん傾向が分かってくるはずだ。改善できるところは改善し、さらに多くの人に尋ねてみよう。表1に基づく私の推定では、3000人以上の幽霊記者、脱会記者がいるはずである。 もし彼ら全員が実働記者として、1人平均1カ月に1本の記事を投稿してくれたら、それだけで月に3000本、現行本数の5倍をしのぐ大盛況となる。 オーマイニュースがどうあるべきか、その答を持っているのは、毎日このサイトを見ている愛読者や常連記者ではなく、むしろ何らかの理由で愛想を尽かし、すでに去ってしまった彼らではないだろうか。 (市民記者編集委員 07年9月−11月) (2007年9月22日掲載)
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