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和が薫る東京ミッドタウン  未来都市と伝統文化は融合できるか



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 世界のあちこちを旅行で訪れると、グローバリズムの進行に比して、世界はどんどんつまらなくなっているのではないかと、感じることがある。

 無機質な高層ビル街、交差点を行き交う車の波、携帯電話を手にする人々。マクドナルドにコカコーラ、トヨタやボルボ、ノキアやサムソンといった国際的企業の看板群。程度の差こそあれ、アジアでもヨーロッパでもアメリカでも、あるいはアフリカでも中南米でも、先進国か発展途上国かにかかわらず、都市部において一様に見受けられる光景である。

 とりわけ、最もその「没個性化」を感じてしまうのは、近代化の波に洗われる大型の商業施設、ショッピングコンプレックスなどと呼ばれる類である。そこでは地域の伝統など価値はなく、経済的な効率と、先進的なイメージが優先される。とりわけ中進国や途上国においては、先進国的=欧米的なものこそ憧れであり、豊かさの象徴なのだ。

 しかし、私はそんな盲目的に世界中が欧米化を目指す時代は、そろそろ終わりになるのではないか、また終わりにすべきであると考えている。それぞれの国や地域の特色を生かしつつ、発展していく方向性を見いだすべきなのだ。

 私はこの連休、今年3月末に開業したばかりの東京ミッドタウンを訪れた。旧防衛庁跡地の広大な敷地に建設された超近代的な複合施設であるが、その内装やデザインに共通して貫かれているのが、「人気の北欧風」でも「南欧的なロハス」でもなく、実は「和の伝統」である。

 公式ホームページや案内パンフレットには、「日本の心と伝統を受け継ぐ」、あるいは「日本のデザインを世界に広める拠点」などと書かれている。私は普段、六本木など滅多に行かないのだが、最先端の都市設計に、いったいどんな風に和の意匠が施されているのか、興味があった。

 地下鉄の六本木駅を降りると、すぐに54階建てのミッドタウンタワーがそびえているのが見える。なんでも都庁や六本木ヒルズをしのぐ、都内で最も高いビルであるらしいのだが、その手前で観光客の被写体となっていたのは、竹の群生であり、巨大な吹流しだった。

 さらに建物の中に入ると、全体的に木目調の内装で、和紙をあしらった行灯のような装飾が、吹き抜けの回廊を飾っていた。また、説明されないと分かりにくいが、館内にある滝や水の流れは、清水寺の音羽の滝や、鳥居をイメージしているとのこと。

 隣接する檜町公園も、かつては江戸の町が一望できたという起伏ある地形に、灯籠や渓流が配され、風流な庭園のしつらえになっている。晴天に恵まれたこともあり、多くの家族連れが弁当を広げるなどして、都心の休日を楽しんでいた。

 正直言うと私は、こういう作り物的な箱庭の伝統美よりも、歴史の裏打ちがある古都の町並み的な場所のほうが好きだ。しかし、それはあくまで旅人の視点であり、豊かになりたい、発展したいと願う人々の憧れにはなりにくい。

 その点を踏まえて印象を述べれば、東京ミッドタウンの狙いは、大いに成功していると見えた。現実離れした高級感を保ちつつ、かつ未来的な「和」が見事に表現されていたからだ。エレベーターの内装にまで木が使われるという徹底ぶりだった。

 残念だった点を強いて挙げるとすれば、こういう場所の例に漏れず、カッコつけたカタカナ語に溢れていたことくらいか。「広大なオープンスペースがクリエイティビティを呼び覚ましてくれる」などといわず、言葉の面でも日本語の美しさで表現してくれたら、もっとよかった。

 ともあれ、真に伝統を受け継ぐものは、浅草や、あるいは京都や奈良に任せて、こういった伝統の味わいを残した未来の都市景観も、また充分に意味がある。

 近代化と引き替えに、固有の文化を失いつつある国や地域は少なくないが、その傾向に対し、伝統文化はカッコイイという考え方を、日本発で発信できたら、どんなに世界中の人々を勇気づけることができるだろうか。欧米とは異なる歴史文化に立脚した日本だからこそ、成し得る発展の提案である。

 東京ミッドタウンは物価が高く、何も買うことはできなかったが、そんな大いなる幻想にも似た期待を抱かせる休日だった。

(2007年5月5日掲載)

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