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古くは平安時代に貴族の行事として始まり、豊臣秀吉がその晩年盛大に行ったことでも知られ、徳川吉宗の時代に庶民にもその文化が広まったとされるお花見。 我が家では生まれてもうすぐ2か月という息子を連れ出し、いざ初めてのお花見に出掛けた。 生後1か月を過ぎたお宮参りを皮切りに、彼はすでに何度か外の世界を体験している。しかし、喧騒とした外界が恐いのか、外出のたびにいつも押し黙って目を閉じ、寝てしまっていた。これは我が子だけが特に臆病だということではなく、赤ちゃんはたいてい同じらしい。お宮参りのときに他の赤ちゃんを観察しても、意外なほどみなおとなしかった。 そんな経験を踏まえての花見は、近所の某園地へ。東京での桜は、おそらくこの週末が最高の見頃。大勢の花見客がやってきていた。しかし案の定、満開の桜をよそに、目をしかとつむっている息子。たしかに音楽や人の声などやかましいのだが、やはり警戒しているのだろうか。 私たちは一本の桜に目をつけ、その下に敷物を広げた。私はビールを、長期禁酒中の妻はジュースを、それぞれ手に持って乾杯する。 夕暮れ時、空の色が刻一刻深みを増し、桜色がますます映えてくる。 「おい、せっかくの花見なんだから、お前も見ろ」 ダメ元で息子を揺り動かす私。と、面倒臭そうに、恐る恐る、ついに彼はその目を開いた。 「お、起きた」 「あ、ほんまや」 いったん目を開けると、意外にそのままご機嫌で、息子はじっと満開の桜を見つめ始めた。 生まれて間もない赤ちゃんはひどい近眼だという。まだ親の顔すら識別できないような段階だから、実際は桜などほとんど見えていないのかもしれない。それでも、両目をぱっちり開いて宙を見つめている様は、その美しさにびっくりしているようにも見えた。 妻は授乳とおむつ交換のため、しばしば席を立つ。私はビールに続いて持参した日本酒をラッパ呑み。子に倣って寝転んで見る夜桜が一番きれいである。 ときおりぐずったものの、概して息子はご機嫌で、周囲の大人たちよりも、ずっと真剣に桜を愛でていた。去年の今頃は存在すらしなかった我が子、初めて見る日本の春はどう映っているのだろうか。 私たち両親はそんな風流な彼に釘付け。さながら「花より団子」ならぬ「花より赤子」である。。。 しかし帰宅後、やはり緊張が溜まっていたのだろう、息子は火が点いたように泣きだした。おっぱいをねだり、うんちを大放出、その後もとにかく暴れまくってくれた。 もし喋ることができたなら、きっとこう言いたかったことだろう。 「花よりおっぱい」だと。 (2007年4月4日掲載)
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