第7章 東へ/2002年5~9月 あらすじ
トルコ共和国 (Republic of Turkey) |
人口 | 6784万人 | 面積 | 78万km2 |
首都 | アンカラ | 宗教 | イスラム教(スンニー派) |
言語 | トルコ語 | 通貨 | トルコリラ |
旅行期間 | 2002年5月26日~2002年8月9日(76日間) | ||
訪問経路 | (南アフリカ)~イスタンブール→アンカラ →シワス→エルズルム→ドゥバヤズット→(イラン) |
イスタンブールの休日 欧州と亜細亜の交差点
半年ぶりに戻ってきたイスタンブール。
一年間の自転車旅行にいささか飽いて、
僕はしばしの休憩を決め込んだ。
日本語を話す宿娘のエリフや、
久しぶりに再会した旅の仲間や、
また新たに集った個性豊かな曲者たちと、
過ごすイスタンブールの休日。
観光もせず移動もせず
だらだら過ごしている状態を沈没という。
自転車を漕ぎ続けることを忘れ、
怠惰で楽しい沈没の日々。
ワールドカップ狂想曲 歓喜の古都、連日の宴
W杯サッカー日韓共催。
朝起きてから夕方まで、テレビ観戦の毎日。
日本代表を応援し、
韓国人旅行者と会っては韓国代表を応援し、
トルコ代表が勝った日には
街じゅうがお祭り騒ぎとなった。
勝ち続けるトルコ、
日本戦のときには宿にテレビカメラが来た。
夕方になると
僕たちはグラウンドへ繰り出して、
将来のトルコ代表とサッカーをした。
アジア横断の長い道 シルクロードの旅、始まる
暑い夏がやってきて、
僕は再び自転車に乗った。
ボスポラス海峡を越えるとアジアの旅。
首都のアンカラを過ぎると、
景色は荒涼さと雄大さを増してくる。
ヒッタイトの古代遺跡を訪ね、
アナトリアの大地を東へ走る。
トルコの人々はみな明るく親切で
片言覚えたトルコ語が役に立つ。
トルコ東部、クルドの夢 イサクパシャ宮殿
東部の中心都市エルズルムを過ぎると、
いよいよ国境の町ドゥバヤズット。
クルドの人々が多く暮らす地方。
ノアの箱船伝説で有名な聖山アララット、
クルド人知事の建てたイサクパシャの宮殿、
隕石の墜落したクレーターなどもある。
この先イランに入るとお酒が飲めない。
おいしいトルコ料理とも
慣れ親しんだゼロの多い紙幣とも、
これでお別れか。
そして僕はまた国境を越える。
イラン・イスラム共和国 (Islamic Republic of Iran) |
人口 | 6490万人 | 面積 | 164.8万km2 |
首都 | テヘラン | 宗教 | イスラム教(シーア派) |
言語 | ペルシア語 | 通貨 | リアル |
旅行期間 | 2002年8月9日~2002年9月16日(39日間) | ||
訪問経路 | (トルコ)→ダブリーズ→ラシュト→テヘラン →イスファハン→ヤズド→バム→ザヘダン→(パキスタン) |
高原の道、イラン入国 通算走行距離2万キロ
イランに入国した。
スーダン以来の読めないアラビア文字。
酒屋のない町。
黒ずくめの衣裳に身を包んだ女性たち。
よりいっそう荒涼とした風景。
北西部の大都市ダブリーズに向かう道。
アラスカからの総走行距離が、
ついに二万キロの大台、地球半周に達した。
これからも走り続けるのだ。
遥か遠い日本を目指して。
カスピ海沿いの村 イラン一般家庭にて
世界一広いという湖が一目見たくて、
僕は進路をカスピ海に向けた。
乾いた高原の台地から、
緑溢れる農村地帯へ。
そんな途中の村で、
真面目な青年ホゼフに出会い、
イラン人の一家にお世話になる。
外では黒チャドル姿の女性たちが、
家の中ではみな元気で、
僕が外国人だからと物おじすることもなく
嬉しい体験だった。
サファビー朝の栄華 イスファハンは世界の半分
再び標高千五百メートルのイラン高原。
巨大な首都テヘランで数日を過ごし、
乾いた砂漠を数日走ると、
往時世界の半分と謳われたイランの古都、
イスファハンに辿り着いた。
王のモスクや宮殿が囲むイマーム広場。
昼間は暑すぎてがらんとしているが、
夕方になると噴水周りに人が集まった。
広場の半分は駐車場になっていて、
国産車のペイカンがずらりと並んでいた。
ヤズド旧市街 時間の止まった中世世界
イラン中央部のヤズド。
ゾロアスター教の総本山として知られ、
町中にはゾロアスター教の拝火神殿があり、
郊外にはかつて鳥葬に使われた沈黙の塔がある。
特筆すべきは旧市街。
迷路のように入り組んだ路地は、
中世世界がそのまま保存されていた。
町を一歩出れば、乾いた道のりをひたすら走る。
夜はときに満天の星を眺めながら、
沿道の砂漠にテントを張った。
アルゲバム遺跡 ここから始まる大砂漠
州都ケルマンを通過し、
遺跡の町バムにやって来る。
パキスタンへと向かう拠点でもあるこの町で、
しばらくぶりに多くの旅人とも出会った。
バムから東は広大な砂漠が続いているが、
そこを自転車で走るのだと言ったら、
お前はクレイジーだとみんなに言われた。
しかし宿の情報ノートを読むと、
僕より以前に砂漠越えに挑んだ
先人チャリダーたちの熱い言葉が綴られていた。
8リットルの水タンク携え 1000キロの砂漠を往く
アジア横断の最大の難所バロチスタン砂漠。
これまでは一・五リットルの
ペットボトル二本程度で凌いできたが、
到底足りないだろうと判断し、
八リットルの水タンクを購入した。
ぎらつく太陽。
まっすぐに伸びる産油国イランの舗装路。
百キロ何もない砂漠が続き、
軍の駐屯地で水を分けてもらい、
道端にポツンと建つ礼拝所で休憩した。
パキスタン・イスラム共和国 (Islamic Republic of Pakistan) |
人口 | 1億4872万人 | 面積 | 79.6万km2 |
首都 | イスラマバード | 宗教 | イスラム教(スンニー派) |
言語 | ウルドゥ語 | 通貨 | パキスタンルピー |
旅行期間 | 2002年9月16日~2002年10月19日(34日間) | ||
訪問経路 | (イラン)→クエッタ→サッカル→ムルタン→ラホール→(インド) |
渇きとの戦いは果てなく続く パキスタン入国
バムから三百キロほどで国境を通過。
砂嵐吹き荒れる国境の村クイ・タフタン。
食堂の飯は早速カレーであり、
その点だけは嬉しくなるが、
パキスタン側に入ると、
道は狭く、舗装状態も劣悪になった。
ここから先、仕入れ済みの情報によれば、
百キロ間隔で村がある。
八リットルの水を頼りに、
ペダルを踏む自分の力だけを信じて、走る。