映画『ドラえもん』~なぜ「博士」が「牧師」に変わったか?
国民的アニメに宗教色が感じられる設定変更への違和感
『ドラえもん』といえば、日本人でおよそ知らない人はいないのではないかと思われるほどの国民的漫画であり、アニメである。原作者である藤子・F・不二雄氏の没後もその人気は衰えず、2年前にアニメの声優陣が交代したことは社会的ニュースにもなった。私もまた、少年時代よりドラえもんが大好きで、今でも何冊かの単行本が本棚と押し入れに眠っているし、初期の映画作品の内容はおおかた諳(そら)んじているほどだ。
今春公開の映画『ドラえもん のび太の新魔界大冒険~7人の魔法使い~』は、数あるドラえもんの映画作品の中でも最高傑作の呼び声高い、『ドラえもん のび太の魔界大冒険』のリメークするである。
脚本家に『ホワイトアウト』で有名な真保裕一氏を迎え、さらに女優の相武紗季氏など、何名かの人気芸能人をゲスト声優として配していることでも話題を呼んでいる。
過去の名作が再作され、再び人の目に触れること自体は歓迎すべきことだろう。私も生まれたばかりの息子がもう少し大きかったら、彼をダシに真っ先に見に行きたいところだ。
ところが、テレビなどの予告宣伝を見て、大きな違和感を感じたところが1カ所あった。
魔界を研究している「満月博士」という重要な脇役が、なぜか「満月牧師」と肩書を変えられ、しかも森の中にある彼の屋敷が教会になっているのだ。
魔学博士がなぜ牧師に? 牧師という呼び名も、教会に掲げられた十字架も、連想するものといえばキリスト教である。キリスト教が悪いというわけではないが、25年以上も前からドラえもんに親しんでいた身としては、容易になじめない設定だった。
原作からすれば必要のない変更である。特に子どもを対象とした作品であることを鑑(かんが)みれば、宗教的な用語や設定は避けるべきではなかっただろうか。
私は、この疑問を配給元の東宝にぶつけてみた。ほどなくアニメ製作会社、シンエイ動画の増子相二郎プロデューサー名義で、次のような回答が返ってきた。
『原作をリニューアルするにあたりパラレルワールドをもう少し詳しく描きたい。現実世界と魔界という二つの世界がシンクロしていて、かたやブラックホールが接近して来てかたや魔界が接近して来ているという地球の危機をドラえもん達が救う。魔法の世界の満月牧師と、現実世界の満月博士はシンクロしていて、魔法の世界の美夜子と現実の世界の美夜子ともシンクロしている。それが分かりにくいと思い博士と牧師というように名前を差別化しました。
それは脚本家、監督、チーフプロデューサー会議の総意として決定しましたが、大変難しいギミックであり作品として充分消化できたかどうか問題は有るとは思います。命名が宗教的であるか否か、ドラえもんにふさわしいかどうかは充分検討した上で上記メンバーにて決定した次第ですので御了解頂ければ幸いです。』〈※注:美夜子とは、満月博士(ないし牧師)の娘のこと〉
「現実世界」と「魔法世界」の区別を付けたかったという趣旨は一応、理解できる。しかし、それならば天文学者と魔学博士という対比で充分であり、あえて牧師や教会を登場させる必然性はなかったのではないだろうか。
これが西洋発の映画なら、まだその文化的背景に合うのかもしれないが、あくまで日本を舞台としたドラえもんには、どうにも不自然である。
いや、最近の欧米の風潮からすれば、特定の宗教を連想させるものは、対象が子どもであるアニメ映画においては、むしろ避けるかもしれない。例えば、昨年、世界中でヒットしたファンタジー映画『ナルニア物語』の内容が宗教的であると論議を呼んだことは記憶に新しい。
以上のような疑問と懸念を、私は再度投げかけることにした。日数はかかったが、あらためて増子氏より回答が得られた。
『特定の宗教の宣伝をする意図など全くもって、さらさら有りませんが。そういう考えを持たれた方がいらっしゃったという事は、私の注意が至らなかったのだと思います。以後作品創りに反映させて頂きたいと思いますので、暖かい目で見守って頂けたら幸せです、宜しくお願い致します』〈※注:「暖かい目」とは、辞書通りの意味以外に、ドラえもんに出てくるギャグの意味を込めたものと思われる〉
増子氏のおっしゃるように、ドラえもんの新作映画に一切の宗教的思惑はないのだろう。しかし、繰り返しになるが、相手は感受性が豊かで、かつ充分な判断力のない子どもたちである。影響力が多大な国民的アニメだからこそ、製作側にはより慎重な作品づくりを心がけてほしかった。
(オーマイニュース2007年3月22日掲載)
※本記事は、2009年に終了したインターネット新聞「オーマイニュース」に掲載されたものの再掲です。