ふねしゅーの日本探訪/其の拾漆 子連れドライブ信越旅行 出雲崎・寺泊
佐渡島からの金の荷揚げで栄えた天領、出雲崎を訪ねて
日本海を望む天領地 妻入りの町並みが残る出雲崎
最終日3日目、この日は日本海側を走って、関越道から帰るという予定。まずは最寄りの妙高ICから、北陸道の西山ICまで高速を使い(ここも休日1000円の恩恵で半額くらいになる)、出雲崎へ向かう。出雲崎は江戸時代、佐渡からの金が荷揚げされる港として天領地とされていた。当時の妻入りの街並みが残されているという話で、面白そうだなと思ったのだ。日本海を見渡す国道352号に道の駅があり、駐車場はほぼ満車、なんとか停めることができた。出雲崎はほかに、日本の石油探索発祥の地であったり、芭蕉や良寛ゆかりの地であったり、果ては演歌歌手ジェロの歌の舞台であったりと、色々と細かな観光要素があるらしい。
【出雲崎/日本海の眺め】
【出雲崎/石油探索発祥の地】
といって大半の人が楽しんでいたのは、海の景色だ。日本海にせり出すように観光桟橋が造られており、その先端まで歩いていくと、欄干およびその支柱に無数の鎖が括りつけられている。ハート型の錠前が付けられ、男女2人の名前やメッセージが記されていたりして、どうやらここは恋愛成就(祈願)の地として、人気があるようなのだ。実際、私たちが訪れた午前中に来ているのは家族連ればかりであったが、普段の日、夕暮れ時にでもなればたぶんカップルで賑わうのだろう。
【出雲崎/桟橋の鎖】
一方、国道から一本山側に入った道が妻入りの街並み。なるほどたしかにしっとりと古めかしい家が軒を連ねていて雰囲気があるが、200メートルほど先にENEOSの巨大なオレンジ色の看板が目立っていて、ちょっと残念。
道の駅や海岸沿いの大賑わいとは裏腹に、歩いている観光客もほとんどいなかった。高田の雁木造りもそうだったが、こういう昔の街並みというやつは、存外日本の各地に細々と残っていて(たいていは古い建物の間に新しいビルが建ったりと虫食いの中途半端になって)、それだけで人を惹きつけるのは難しいのだろう。
そうしているうちに腹を空かせた長男が、「ごはん」と言い出す。今少し待て。今日の昼飯場所は決めてある。
【出雲崎/妻入りの街並み】
【出雲崎/妻入りの街並み】
魚のアメ横、寺泊 肩透かしの小渋滞で帰路に就く
出雲崎から日本海に沿って走る。道沿いには季節営業の海の家や民宿などがちらほらと並び、夏は海水浴客で賑わうのだと分かる。十五分くらい走っただろうか、車は寺泊に到着した。市街に入り、車が増えて渋滞となる。「魚のアメ横」と呼ばれる魚市場や食堂が集まった界隈があるという事前情報だったが、いったいどこにあるのだろうとハンドルを握りながらキョロキョロしていると、前方にそれらしき看板の並ぶのが見えた。手前向かい側にだだっぴろい駐車場もあった。食事時、ほぼ満車になっていたが、運良く出ていく車を見つけ、そこに停めることができた。
【寺泊/魚のアメ横】
「魚のアメ横」は、どこか奥まったところにあるだろうと思っていたのだが、そうではなく国道に面して、一列に店が並んでいた。近隣の港で水揚げされた様々な海産物が発泡スチロールの箱に入れて売られている。買ったばかりの箱を抱えて歩いている客も多い。
どの店もたいてい二階が食堂になっているようで、どの店も同じように行列して混んでいた。子連れで行列に並ぶのは大変なのだが、ほかにも小さな子供を連れた家族はけっこういた。長男も食べられるようにと焼魚の定食と、刺身の定食をたのむ。「値段の割には……」と妻はあとで少しぼやいていたが、舌の安い私には充分美味しかった。まあ、多少観光料金もあるのかもしれない。
食後、市場をひと回り。非常に活気があり、日本は魚文化の国であることを感じる。焼き鳥のように、イカやサザエやつぶ貝などを串焼きにして売っている屋台がいくつも出ていたが、こういうB級グルメが案外うまい(長男的にはまずかったようであまり食べてくれなかったが)。
【寺泊/魚のアメ横み】
以上で、今回の旅程はほぼ終了。佐渡が一望できる弥彦山スカイラインを経由したが、子供が二人とも爆睡していたため、交替でお手洗いを済ませただけで下山。そのまま最寄りのインターチェンジを目指し、帰宅の途につくことになった。
ちなみに恐れていた帰りの大渋滞。行きの混み具合から推定しても、いつ始まるか、何キロ続くか、家に着くのが何時になるのか、どきどきしていたのだが、信越道との合流前後で多少渋滞していたものの、その距離は肩透かしを食らうほどに、ちょびっとであった。
【弥彦山から日本海と佐渡の眺め】
翌日、おおむねご機嫌の2歳の長男に対し、0歳の長女は極めて不機嫌で一日中激しく泣き喚いていた。2歳児はすでに非日常の刺激を多いに楽むことができるけど、0歳児には負担が大きかった模様。ちょっぴり申し訳なかったなと思った旅の終わりであった。
【関越道/越後川口SAの展望台から】