ふねしゅーの日本探訪/其の拾肆 金沢
百万石の城下町金沢は、京都をしのぐ観光先進都市だった
百万石の城下町 石川県・金沢
北陸の古都金沢。現在は石川県の県庁所在地、 かつては加賀百万石の城下町。 一石は一人が一年間に食べる米の量を表すから、 つまり百万人を養えるだけの経済力があったということ。
実際、かつては江戸、大坂、京に次いで、 日本で四番目に大きな町だったとか。
表玄関の金沢駅は、北陸新幹線の開通を控え、 まるで空港のような近未来的な装い。 正面にそびえる門は、鳥居を模しているかと思えば、 伝統的な鼓をイメージしているとのこと。
駅周辺はビルの立ち並ぶ平凡な地方都市の顔。 しかし、歩いてゆくにつれ個性ある街並みが見えてくる。
旧町名復活の主計町 歴史ある街並みが残る
表通り沿いに、ぽつぽつと古めかしい家屋。 金沢は「こまちなみ」と称して ちょっとした古い町並みでも保存していると 聞いたことがあったが実際にそのとおり。さらになにやら工事をしていると思いきや、 金沢城のお堀の復元工事であった。 近代化で失われたものを、取り戻そうという動きが、 市内の各所で見られるのである。
さらに象徴的なのが、旧町名の復活。 1962年に住居表示法が施行され、 住居表記が○○何丁目というように合理化、 日本各地で古い町名が消えてしまった。 その流れを、日本で初めて逆流させたのが、金沢だ。
浅野川沿いの主計町(かずえまち)が第一号。 70年に尾張町二丁目の一部にされてしまったのが、 地元の熱意と、長い協議の甲斐あって、99年復活。
今その動きは、全国に広がろうとしている。
浅野川の対岸には 茶屋街、東山ひがし
会社の旅行で訪れたのは桜の季節。 浅野側を挟んでは、お祭りが催されていた。 屋外の舞台で狂言が演じられ、 これまた多くの観覧客を集めていた。思った以上に外国人観光客も多い。 白川郷と同様に、 やはりちょっとツウの外国人は、 情報を仕入れて金沢まで足を伸ばすのだろう。
そして茶屋街、東山ひがし。 全国に80ヶ所指定されている 重要伝統的建造物群保存地区である。
主計町から浅野側を挟んで東山ひがし、 面的に整備された観光地の魅力がある。
日本三名園の一つ 加賀藩の兼六園
そして有名な兼六園。 元々加賀藩の庭園であり、日本三名園の一つ。 修学旅行で訪れたことがあるのだが、 全くといってよいほど記憶にない。庭園自体の美しさもさりながら、 眺望のいい高台に位置しているのが不思議。 周囲の町並みと、卯辰山を展望することができる。
園内には高低差があり、池や流水や噴水がある。 どうやってここまで水を引いているのか、 その水利技術にも感心してしまうところである。
兼六園から、かつてお堀だったという 百間堀通り挟んでは、金沢城公園が広がっている。
以前は大学のキャンパス 金沢城公園は整備進行中
戦前は陸軍の司令部が置かれ、 戦後は金沢大学のキャンパスにされた。 つい最近の1995年に大学が移転、 翌年から金沢城址公園として整備が始まった。私が修学旅行で訪れたのは1990年、 どうりで金沢城の記憶が全くないわけである。
菱櫓、五十間長屋などの第一期復元が終了し、 城址公園は、金沢城公園と改称された。 現在は第二期復元工事が継続中であり、 市民の協力を募っていた。
その内容は、一口5000円で、 壁板ないし平瓦を1枚買ってもらうというもの。 購入者の名前がそこに刻まれ、完成後は、 城門の一部として将来に残るというわけだ。
「城下町金沢の文化遺産群と文化的景観」として、 世界遺産登録を目指す金沢。
文化財が「点」で保存されるだけの観光地が多い中、 金沢は回遊性が高く街歩きの魅力があった。 行政と市民が一体となった街づくりもまた、 他の市町村が見習うべきところではないだろうか。