ふねしゅーの日本探訪/其の伍 隅田川花火大会
喧嘩と花火は江戸の華、現代に続く夏の風物詩
7月29日 三百年近い歴史 隅田川花火大会
亨保年間、八大将軍徳川吉宗によって 行われた水神祭をきっかけとして、 始まったと言われる川開きの花火。 「たまや~」「かぎや~」の呼び声は、 ときが流れた平成の時代にも続き、 最も歴史ある花火大会として、 百万人の人出を集めているという。浅草界隈はどこもかしこも大混雑で、 浅草寺の境内には屋台が並ぶ。 浴衣姿の男女も多く、 外国人観光客の姿も多い。
車両通行止めの街道 これが都会の花火か
花火大会開始の一時間程前から、 主要な通りは車両通行止めとなる。 それを知って地元の人々は、 通りの真ん中に敷物を引き、 あるいはテーブルやイスまで出して、 ビルの合間の眺めのいい場所を占拠し、 打ち上げが始まる時間を待っていた。今までに知っている花火大会といえば、 わりと田舎の、 川べりだったり、湖畔であったりしたので、 こうしたビル街で観覧する人々は初めてで、 なんとも特別な感じがした。
外国人旅行者も集まる 安宿の屋上
四月末の前回の続きで、 今回も外国人バックパッカーが集まる山谷の安宿にやってきた。 浅草界隈に出かけている旅行者が多いのか、思ったよりも人数は少なかったが、 屋上では花火大会を観ながらの宴が催されていた。海外でも花火がないわけではないが、 純粋に花火の技術や美しさとしても、 庶民文化としての定着度を考えても、 日本の花火がおそらく世界一だろう。
7月30日 意外に旧跡多い 山谷界隈を歩く
江戸時代きっての発明王、平賀源内。 エレキテルで有名な奇才源内の墓が、 実は山谷にある。吉野通りから明治通りを東に五分程歩き、 少し中に入ったところにひっそりと。 しょぼい記念碑くらいしか残っていないだろうと さして期待していなかったのだが、 わりに立派な門構え、 くぐると、さして広くはないのだが、 木々がこんもりと茂ってそれなりの風情。 最後は罪人として処刑された源内が、 今は静かにこの地に眠る。
ここは大江戸 町人文化の発信地の一つ
江戸の時代、 一日で千両の大金が動いたといわれる場所が、 全部で三ケ所だけあった。 一つが日本橋の魚河岸、 一つが浅草猿若町の芝居小屋、 そしてもう一つがここ吉原。 浅草と吉原、三つのうち二つまでもが、 山谷から徒歩圏内の近くにある。現代までも続く日本最大の花街吉原、 その入口、吉原大門の交差点は、 拍子抜けするくらいに普通の交差点だった。 ばんばん通り抜ける車を横に、 見返り柳がしんなりと立っている。 かつて吉原で遊んだ客が、 名残惜しそうに後ろを見返る、 その様子から見返り柳と名付けられたとか。 後半はまったく花火と関係ない話題で、失礼。。