中国/上海&北京旅行その2 水上都市蘇州(2006年秋)
9月16日 網の目のような運河 水上都市蘇州へ
東洋のベネチアと謳われ、風光明美な運河の街として知られる蘇州。上海から80キロの距離にあり、充分に日帰りも可能だ。私たちは列車で往復することにした。ところが、自動化された上海地下鉄の便利さとは裏腹に、この列車利用が誤算だった。窓口が大混雑の上に、直近の便は満杯ですぐ乗ることができず、結果として駅で2時間近く待たされることとなった。
上海-蘇州間の近距離列車も、北京や広州のような遠方に向かう長距離列車も、いずれも同じ窓口で乗客をさばいているため、効率が悪い。しかも英語はほとんど通じない。
地下鉄の使いやすさに油断していたが、やはり中国。社会主義的なお国柄というか、旅行者にとっての面倒さが、こんなところで顔を出した。
私たちの手にした切符は無座。何が入っているのか巨大な荷物を抱えた人々と同じ列車に乗り込み、2階建て車両の階段に座り込んで、乗務員が熱湯入りのやかんを抱えてやってくる様子などを眺めていた。
1時間ほどで蘇州に着く。鉄道駅は市街地の北にあり、中心部からは少し離れている。周辺人口600万を数える大都市であるが、上海のように地下鉄はなく、また見所は点在しているため徒歩のみでの観光は難しい。
駅前に降り立てば、さっそくツアーや宿の客引きが集まってくるが、「不要」「不要」と呪文のように唱えながら突き進み、貸自転車屋を探した。自分の足で自由に観光したいのであれば、自転車は最適の手段である。ちなみに中国語では「自行車」と書く。
三国志で知られる呉の孫権が建立したという八角9層の北寺報恩塔や、明清代の貴族や有力者たちが趣を競って築いた数々の庭園など、蘇州には歴史的な見所が多い。そしてまた、市内に張り巡らされている無数の水路と、水路の周囲に浮かぶようにして立ち並ぶ集落と、そこに生活する人々の風景が、最大の観光要素である。
その中で中心繁華街の観前街が意外と良かった。ただの小洒落た商店街かと思っていたが、真ん中に建つ玄妙観が印象に残った。
3世紀来の歴史を持つ立派な山門が残り、さらに奥に建つ本殿の三清殿は、中国の木造建築として3番目の大きさを誇るという。殿内には生まれ年の干支に応じた羅漢像がずらりと並んでいて、参拝客は中国式に膝を折って祈りを捧げていた。私も自分の干支の前で手を合わせた。
ちなみに玄妙観は仏教の寺ではない。道教の寺院である。日本でお寺と神社が混在しているように、中国でもまた仏教、道教、儒教が混然として漠たる宗教観を構成している。
そんな玄妙観の界隈は広場になっており、さらに周囲には飲食店や土産物屋が軒を連ねていた。大勢の人で賑わうその雰囲気は東京でいうなら浅草寺か。高層ビルも立ち並ぶ大都市蘇州が、そもそも門前町として発展したことをうかがわせた。
蘇州市街は外城河と呼ばれる四方の堀に囲まれているが、その堀を越えた郊外にも見所はある。隋の煬帝が築いたことで知られる京杭大運河、北京と杭州を結ぶ全長1700キロに及ぶ運河は、万里の長城に匹敵する人類史上最大の土木工事であり、1400年後の今でも現役で水運を担っている。
その京杭大運河に架かる宝帯橋という唐代の古橋が、蘇州中心部から南に10キロほどの、新興住宅街や繊維関係の工場群を抜けた先に残されている。非常に分かりにくい場所にあり、道すがら私たちは何度も「騙された」のではないかと思ったほどだ。
橋と運河と寂れた石像や石碑、あとは土産物屋も売店も何もない。地元の人が何人か暇そうにたむろしていたが、私たち以外に観光客らしき姿は見当たらなかった。
しかし、眼前の運河に何10隻も連なった数珠つなぎの貨物船が往く姿は壮観であり、船上にはためく洗濯物の脇で上半身裸で佇む男の姿はなんとも絵になっていた。このような場所を観光地として好むかどうかは、おそらく人によって意見の分かれるところであるが、郊外の庶民の生活を垣間見つつ、中国の悠久の歴史に思いを馳せたい人にはおすすめである。
帰り道はちょうど夕暮れ時。工場の建物群から、徒歩や、あるいは自転車に乗った工員たちが、三々五々家路についていた。