中央ヨーロッパ旅行その2 ポーランド/ヴィエリチカ&ワルシャワ(2006年春)
5月7日 世界最大の岩塩採掘場 ヴィエリチカ
クラクフから近郊電車で小一時間。ヴィエリチカという小さな町に、巨大な地下迷路が広がっている。十三世紀の半ばから前世紀まで稼動していた、世界最大規模の岩塩採掘場である。ただの岩塩鉱山ではなく、塩の迷路には、塩で造られた彫像や、礼拝堂や、地底湖など見所が盛り沢山。英語ツアーによる見学だったが、十二分に楽しめた。
死海、ウユニ塩湖と並ぶ、世界三大「塩」決定である。
焦土から蘇った ワルシャワ旧市街
クラクフから首都ワルシャワまでは、急行列車で三時間ほどの道のり。ワルシャワ中央駅の駅前には、スターリンが贈ったといわれる巨大ビル、文化科学宮殿が山のようにそびえ建ち、旧社会主義国家の面影を強く残していた。
そこから三十分ほど歩いていくと、突然狭く古ぼけた街並に突入する。第二次大戦後の焦土に再建されたという、旧市街の古い建物群である。
日本は戦争で焼けたから古い建物が残っていない、というのが、いかに嘘か。
復興された城壁と 午後八時の落日
今まで三度訪れたヨーロッパは、いずれも秋ないし冬。日が長い季節に訪れたのは今回初めて。夏時間の効果で、午後八時でもまだ明るい。日没が望める城壁の界隈では、多くの市民が憩っていた。
最後の夕食はぜひポーランド料理を味わおうと、看板見つけて店に入ったら、餃子屋だった。中国の餃子がロシアを経てピエロギと呼ばれて広まっている。こんなところでもユーラシアを感じた。
5月8日 東欧の寂れた雰囲気残す 川向こうの市場
短い旅行の最終日。ワルシャワ発が午前十一時で時間がない。惜しむように早起きをして、ヴィスワ川を渡った対岸の市場へ。競技場を囲むようにして立つ市場は、ポーランド人のおじちゃんおばちゃんと、華僑とおぼしき東洋系の顔立ちと、そして驚くほどに黒人が多かった。
売っているのは布地や文房具など日用品。売り子から声をかけられることはなく、なんとも活気がない寂れた雰囲気。土産のお菓子を大量に仕入れた。
5月9日 一週間の旅路を終え 東京へ
帰りもまたモスクワ経由。今度は四時間の乗り継ぎ、とても暇。せめて空港の外に出られれば、市街地に行って戻って来られるのに、ウォッカを買って飲むくらいしかできず。
そして日本へ。税関では荷物を開けられることなく通過。
一週間髭を剃らずにいたし、汚れたパスポートは判子だらけだから、止められる可能性が高いと覚悟していたが、あっさり行けたのは夫婦者の信用度?