アセアン・ツアーコンテストその1 カンボジア/アンコール遺跡&音楽学校(2009年春)
「アセアン東西回廊を自転車で走る~ベトナム・ラオス・タイ400キロの旅」
という企画で審査員特別賞を受賞した。
他の受賞者と一緒に、1週間の受賞記念ツアーに招待されて、
カンボジアとタイを訪れることになった。
トラベルジャーナル紙掲載記事はこちら(PDFファイル)
カンボジア王国 (Kingdom of Cambodia) |
人口 | 1350万人 | 面積 | 18.1万km2 |
首都 | プノンペン | 宗教 | 仏教(上座部) |
言語 | カンボジア語 | 通貨 | リエル |
旅行期間 | 2009年3月20日~2009年3月23日(4日間) | ||
訪問経路 | (日本)~(タイ)~シェムリアップ~(タイ) |
3月20日 バンコク経由、まさかのフライトキャンセルで
タイ航空でバンコク、経由してシェムリアップへ向かうという初日の予定。経由地のバンコク・スワンナプーム空港で、思わぬ小事件があった。シェムリアップへの乗継便が、なんとフライトキャンセルになっていたのだ。いつもの個人旅行なら、自分でどうにかしなければならないのだが、今回はツアー、アセアンセンターの職員の方がバンコクエアウェイズのカウンターで全て交渉してくれて、およそ1時間後の次の便に乗れることが分かった。なんのことはない。乗客があまり集まらなかったためだろう、2便あったのを1便減らして集約しただけであったようだ。
【バンコクエアウェイズのラウンジ】
面白かったのは、バンコクエアウェイズのラウンジが使えたこと。これは特にフライトキャンセルのお詫びというわけではなく、元々エコノミークラスしか設定がないため、(ビジネスやファーストではなくとも)誰でも利用ができるのだそうだ。そのことを知っている人はほとんどいないのだろう。ラウンジは閑散としていたが、軽食無料、インターネットも使えて快適であった。
そして夜のシェムリアップ空港着。10年前に利用したことのある空港だが、あまり記憶にない。税関に職員がおらず、用意していた申告書を提出しないまま、空港の外に出てしまった。
【シェムリアップ空港到着】
3月21日 自転車でアンコール遺跡を周遊
今回の受賞ツアーは、受賞者それぞれのアイデアが各所に盛り込まれている。私の自転車旅行という企画は、アンコール遺跡をレンタサイクルで、という具合で、早速ツアーの2日目つまり初っ端に登場した。用意された自転車はマウンテンバイク。変速もちゃんと付いていて悪くないが、細かなサイズ設定がなく、女性参加者にはちょっと大きすぎたようだ。サドルに座ったときに足が地面に付かず、ホテル前で試走する段階から乗るのに苦労していた。
そんな彼女たちを尻目に、「問題ないですよ」と簡単に乗りこなしてみせるのは、各参加者よりも一番小柄なカンボジア人の女性ガイド。発展途上国ではたいていそうだが、子供用自転車やいわゆるママチャリのような気の利いた自転車がなく、誰もが小さいときから大人用の大きな自転車に三角乗りをし慣れているからだろう。日本人がなぜ乗りこなせいのか、怪訝そうであった。
【アンコール遺跡の検問所】
ともあれ出発。シェムリアップの市街から遺跡方面へ。以前訪れたときはバイクタクシーをチャーターしたのだが、そのときの記憶とは沿道風景が違う。街道沿いにずらーっと建ち並ぶホテルや土産物屋、韓国資本や中国資本が増えているとも聞いた。
やがて遺跡エリア内に入ると、そのような商業建築物はなくなり、緑のジャングル一本道となる。たしかその途中の道端に小さな検問小屋があって、入場料を取られるんだなと記憶をたぐり寄せていると、突如サービスエリアのような巨大施設が現れた。観光バスやらタクシーやらが密集し、たいそう賑わっている。その場で写真を撮って1日券が作成された。
【タプロム遺跡入口】
アンコール・ワットを囲むお堀の右手を進み、最初に目指すのは遺跡に根っこが張り巡らされていることで有名なタ・プロム遺跡。シェムリアップの町を出てから、ざっと1時間は走っただろうか。まだ午前中の早い時間とはいえ、日差しはきつく、気温は暑い。着いたところでまず休憩といきたかったが、みなさん意外と体力があって、すぐに遺跡観光となる。
タ・プロムからアンコール・トム、そしてアンコール・ワット。走って、観て、走って、観て、走って、と忙しい。遺跡の周囲でジュースや土産物を細い腕にぶら下げて売りにくる少女たちは相変わらずで、遺跡の中で勝手にガイドを始めてくる兄弟には今回は出会わなかった。
「ごめんよ。いらないんだ」
観光客が増え、ホテルやレストランが林立して町の景色が様変わりしても、昔と変わらない貧しい影がある。昔と同じように、冷たく断らざるを得ないところに、思わずもの悲しさを感じた。
【アンコール・トム遺跡】
シェムリアップの町まで戻って、ざっと30キロくらい走っただろうか。半日で30キロはたいした距離ではないが、その合間に炎天下歩いての遺跡観光であったことを考えると、丸一日費やしてのスケジュールでも充分だったように思う。
ま、そもそも自転車旅行と、レンタサイクルでの遺跡観光は、似て非なるものであるが。そう思って甘く見ていたから、余計に疲れた。
孤児院を兼ねた音楽学校で、伝統楽器を体験
午後はカンボジアの伝統楽器を体験しようという主旨で、音楽学校へ。シェムリアップ郊外の、幹線道路から少し離れただけであるが凸凹道に揺られて到達した、そこは孤児院を兼ねているという学校だった。庭に青々としたマンゴーの木が茂り、幼子から10代後半の青年まで、ざっと20人ほどの子供たちがいる。ここで共同生活をしつつ、楽器や伝統舞踊を習得し、やがてホテルやレストランなどの舞台でその腕を披露し、職業につなげていくということなのだろう。
【孤児院を兼ねた音楽学校】
子供たちが親を失った原因は内戦(およびエイズ禍)であり、音楽や舞踊などカンボジアの伝統文化もまた、内戦(ポルポトの粛清)により弾圧され多くが失われたそうだ。そんな歴史の影は、説明をされるとそうかと分かるが、聞かないと分からない。子供たちが楽しく楽器を演奏し、踊りを習っているという和気藹々とした雰囲気だ。
太鼓や、コーントムと呼ばれる環状の打楽器を叩き、孔雀の舞という踊りを教わった。たかが数時間、旅行者がこのような場に来て、何を覚えられるわけでもない。カンボジアの楽器はおろか、日本の伝統楽器だって、私はほとんど触れたことすらない。
とはいえ、最後に手を振って見送ってくれる子供たちの表情を見ていると、学校が存在する背景を含めて考えさせられる機会としては、ありなのかもしれないと思った。
【孤児院を兼ねた音楽学校】
夕食は典型的な旅行者向けのレストラン。舞台があり、先程音楽学校で見た孔雀の舞いも演じられていた。
レストランは食べ放題だったため、お腹はいっぱいになったが、心が満たされないので、夜になって屋台街に繰り出し、安飯と安ビールをむさぼる。
【屋台の食事】