ニューカレドニア子連れ旅行/第4日 バスに揺られて街を飛び出す
ローカル交通手段を駆使して、自由に歩き回りたいというのが最大の希望。
しかし、バス網が発達していないニューカレドニアでは、
ヌーメア市街の脱出が意外と大変で。。。
8月14日
バスに揺られて街を飛び出そう!
昨日の雨は朝にはすっかりあがっていた。良い天気になりそうな、気持ちのいい青空だ。
四国と同じくらいの広さがあるというニューカレドニアの本島グランドテール島、首都のヌーメアだけに収まっていてはもったいない。ぜひ、その外に飛び出したいというのが、この旅行を決めたときからの、願いであり狙いであった。
問題が1つあった。それは島内の交通網が脆弱であるということだった。地球の歩き方に載っている時刻表では、ブーライユやラフォアといった比較的距離の近い地方都市に、1日数本の長距離バスが出ているようだったが、実際観光案内所でもらった時刻表では減便されていて、日帰りでの利用は無理だった。
残された選択し、それは中距離バスだった。ヌーメアと郊外の町を結ぶ中距離バスが、1時間に1本ほどの頻度で5路線ほど運行されていた。ほとんど情報がないので、どのバスに乗ったら楽しいのか見当もつかなかったのだが、地元のミネラルウォーターの商品名にもなっているモンドールを目指すことにした。
モンドール。モンはフランス語で山、である。ヌーメアに隣接し、美しい山を望むちょっとした町なのだろうと、私たちは淡く期待していた。素朴な郊外の町や村を訪ねてみたかったからだ。
【ヌーメアの中距離バスターミナル】
【終点から歩き始める】
ヌーメア市街の一角に中距離バスCARSUDの発着場があった。白い車体のきれいなバスだ。終点まで乗って400太平洋フランである。乗客はざっと20人くらいだろうか、大半がメラネシア系カナックの人々だ。うちの娘と同じくらいのかわいい女の子もお母さんと一緒に乗っていて、時々こっちをじっと見つめていた。
市街を出発して、まもなく巨大なショッピングセンターに着く。フランス系スーパーのカルフールやマクドナルドがあり、巨大な駐車場を有していた。地元の人たちはここに買い物に来るのだ。
ショッピングセンターを離れ、まもなく空港方面へ向かう高速道路と分岐すると、車窓の景色は期待していたような鄙びた田舎の雰囲気になった。緑が多く、小粒な家や商店が沿道に並び、学校や教会が建っているのが見えた。何度かバス停での乗降を繰り返し、乗客の人数は少しずつ少なくなっていた。
終点はモンドールという町である。何となくそう思い込んでいた考えが、実は全く間違いだと気付いたのは、バスの中に誰もいなくなり、運転手が「お前ら、どうするつもりだい?」と両手を広げて、あきれたような表情を見せたときだった。そこはたしかに終点。しかし、町はなかった。店の1軒もなく、歩いている人も皆無で、山と、海があった。道はその先も続いていたが、バスはここで折り返しであるようだった。
しばし唖然。よほど来たバスにまた乗って、折り返し戻ろうかとも考えたが、天気はいいし、空気はさわやかで気持ちがいい。今まで来た道の途中に村がいくつかあったことは確かなので、しばらく歩いてみようと決めた。
終点からしばらくは、フランス系の白人の別荘地なのだろうか。左手にビーチが広がり、右手にはポツポツと別荘らしき家が続く。歩いている人は、やっぱりいない。ときおり自家用車は通過する。たぶん、バスに乗ってここまで来るのは、別荘で働く家政婦くらいなのかもしれないと思った。
少しして別荘地を離れ、1本道は海から遠ざかり、上り坂になった。小高い丘を越えていく道は、素晴らしい眺めだ。右手の山がモンドールだろうか。小川のせせらぎを越え、向こうには広がる海が見下ろせた。
と、私たち以外に歩いている人がいた。やたらガタイのいい男たち。後ろからやってきて、「ボンジュール」と言うや、あっという間に追い抜いていた。実はこの後、彼らがさらに仲間と合流し、その人数が増えているのを目撃したのだが、フランス軍の若い軍人たちだったようだ。訓練の一環なのか分からないが、モンドールには海軍の基地が置かれていたのだ。
丘を下って、再び平坦な道。先程のリゾート別荘地とは違って、カナックの人々が生活するローカルな雰囲気があった。バス停があって、そういえばここで何人か下車していたっけと思い出す。
店があれば、食料を調達して腹ごしらえをしたかったのだが、無い。幸い水やお菓子は充分に持っていたので、子供たちを飢えさせることもなく、歩き続ける。1歳の娘はベビーカーに揺られ、妻に渡された黄色や紫の花びらを手でもてあそびながらご機嫌、3歳の息子はときおり肩車をせがむものの、大半の道のりを自分で歩き、また時々通過する車の台数を「13! 14!」と数えては、やっぱりご機嫌だった。
【途中の集落にて】
【地元の子供たち】
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2014年カナキー独立?
学校らしき敷地の横を通りがかったとき、呼びかける声がした。 「ボンジュール!」「コンニチハ!」 日本語が交ったことに驚いた。ニューカレドニアでは、町の案内表示など色んなところで日本語を見かける機会があったが、まさかこんな田舎に来て、地元の子供たちが片言とはいえ、単語を知っているとは。
小学校の高学年くらいだろうか、真っ黒に日焼けした子供たちが、最初は遠くから手を振っていたのだが、あっという間にこちらへ駆け寄ってきた。ただ、悲しいかな、彼らの言葉はフランス語で私たちは理解できず、彼らも英語はほとんど分からなかった。3歳の長男はちょっとビビっている。
「サヨナラ!」また片言の日本語を振りまいて、子供たちはまたあっという間に駆け戻っていった。
これ以上どこまで歩こうか、そう思案をし始めた頃、分岐が現れた。ヌーメアは真っすぐだ。右へ行くと、どこへ行くのかよく分からないが、「◎American Chappell」と書かれた案内看板があり、歴史的な見どころを示すマークが付けられている。
おっ。何がアメリカなのか分からなかったが、ヨーロッパ人がこの島にやって来て、最初の頃に建てた歴史的な教会が残されているのだろう。距離は近いようなので、それを見てから、バスをつかまえてヌーメアに帰ろうということになった。
果たして教会は、白い外観の古びた木造で、民家に庭先のようなところに建っていた。教会の成り立ちとか、歴史的経緯とか、そういうのを説明する案内でもあればよかったのだが、無かった。教会が何だか分からない長男には、「ここは寺だ。南無南無するところだ。ちょっと違うけどな」と教えた。
【植民地時代当初の古い教会】
【アンスバタビーチの夜】
教会の裏にはバナナの木があった。隣接した民家では何人かの子供たちが遊んでいて、犬もいて、興味深そうに私たち家族のほうを見ていた。奥のほうにカーズと呼ばれるメラネシアの伝統家屋カーズが見えた。
日本でも、いわゆる伝統的な日本家屋と言うのは少なくなっているが、ニューカレドニアではさらに見かけるのが難しい。博物館以外では見ることができないのではないかと思っていただけに、思わぬところで、やや遠目ではあったが発見できて嬉しかった。バスに揺られ、運転手に不審がられながら、来た甲斐があったというものだ。
帰りのバス、前の席に座ったいかつい兄ちゃんのジーンズに、青・赤・緑という横縞3色の旗が描かれていた。ニューカレドニアはフランス領だから、ヌーメアの政府機関などに掲げられているのは、青・白・赤のフランス3色旗。そうではなく、彼のジーンズに描かれていたのは、カナキーの旗だった。
1998年にフランス政府との間で結ばれた協定によると、2014年以降住民投票が行われ、フランスに残留するか、独立するか、その最終的な判断がなされる予定だそうだ。今は日本人含め多くの観光客を迎えるリゾート島だが、かつては激しい独立紛争で血が流れたこともあったという。 バスに揺られ、郊外の田舎を訪れた。そこにはフランス系白人の別荘地があり、海軍の基地があった。植民地時代の初期に建てられたとおぼしき教会があった。そしてメラネシア系カナックの人々の生活があり、伝統家屋が残り、カナキー国旗を身につけている若者がいた。
ニューカレドニアの素顔に少しだけ近づけた1日のような気がした。