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ふねしゅーの地球紀行
2002年7月
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最新の日記
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●2002年7月31日
スィクス→イムランル(129.5km)
スィクスからしばらくは平坦で楽な道。昼に休憩したガソリンスタンドにはSilkRoadと名前がついていた 。
後半キツイ上りの峠を越え、今夜もロカンタ付きのガソリンスタンドで野宿。どうやら長距離バスご用達の休憩地点になっているらしく、入れ替わり立ち替わり大型バスがやってくる。アラビア文字が車体に書かれたバス、Teheran−Istanbulとフロントガラスに表示されたバスも来る。イスタンブールで会った旅行者の中にもこのバスの利用者がいたが、このバスは2泊3日という長い道のりを駆け抜ける。自転車だと多分1ヶ月はかかる。
夜、犬がうるさい。星空が久々にきれい。
●2002年7月30日
スィクス・バルクルカプルジャ(0km)
スィクスの近郊(といっても70km離れたところ)にバルクルカプルジャ という温泉がある。バルクルとは魚という意味で、魚が棲み皮膚病に効くと有名らしい。スィクスですることもないので温泉へ出かける。朝8時半に宿を出て、拠点の町カンガルへ。そこでバスを乗り換えカプルジャへ向かうという道のり。普段自転車での移動に慣れていると(イスタンブールではその移動すらなかったし)たまの公共交通機関利用は億劫だ。こうゆう形での移動は多分グレートジンバブエ以来。バス乗り場の位置が地図と違い、バスの発車待ちにもイライラし、やっと温泉に着いたのは14時だった。
四角四面の温水プール、日本人的には情緒ゼロ。ぬるい湯の中でプールのヘリにつかまってじっとしていると、まもなく足をつっついてくるヤツがいる。これがかなり大勢いて、足ばかり狙って何度も体当たりしてきてけっこう痛い。たまに背中にくるヤツもいたがこれはくすぐったい。湯治客らしいおじいちゃんもけっこういたが、遊びにきている感じの子供連れも多かった。
帰りはずっと順調、早くスィクスに戻ってこられた。
●2002年7月29日
カヴァク→スィクス(64.2km)
トルコ中央部、イスタンブールからイラン国境までのほぼ中間点スィクスの町に到着。郊外には真新しい高層住宅が並び、アンカラ以来の大きな町 。
セルジュク・トルコあるいはモンゴル軍によるイル・ハン国時代に建てられたというミナレットや神学校が市内に残り、イスタンブールあたりで見かけるモスクとはだいぶ赴きが違う。女性のベール着用率もいくらか高いが、かといってそれほど田舎っぽいという感じもしない。
●2002年7月28日
ドゥアンケント→カヴァク(115.1km)
道路沿いの風景が次第に田舎度を増していく。イスタンブール・アンカラ間は必ずあった広い路肩もないところが多い。ただ交通量も減った。
昼ごろ休んだガソリンスタンドでは日曜だからなのか近所のおじさんが集まって食事をとっており、成り行きでご馳走になる。
午後の峠、アスファルトが融けているのか、トラックが油でもこぼしていったのかタールがタイヤに粘りつき不快。結局夕方まで走行感に支障があった。今日の村。ロカンタもマーケットもyok(ない)と言われるが、店は奥まったところにあって、食料の確保はできた。つぶれたガソリンスタンドにて野営。
●2002年7月27日
ボアズカレ→ドゥアンケント(112.4km)
ボアズカレから幹線に戻るヤズガットの街までうねうねと上り調子のかったるい田舎道が続く。昼すぎてようやく着いたヤズカットの標高は1301m、アナトリア高原の道の始まりだ 。
ここで久しぶりに牛乳を買って飲んだら半ば予想どうり失敗。お腹が痛くなってきた。泊まることにした小さな村、ロカンタのおじさんと地球の歩き方のトルコ語のページを頼りにしばらく話し込んだ。
暗くなるのが早くなってきた。日が短くなってきたのと、東に来たせいもあるのだろう。
●2002年7月26日
デリセ→ボアズカレ(75.8km)
人類の歴史上初めて鉄器を使用したことで有名なヒッタイト。その首都ハットシャシュの遺跡がボアズカレのに村にある。アンカラからイラン国境へ向かう幹線から少しはずれたところにあり、訪れた。
小高い丘1つが丸ごと遺跡になっていて思った以上に広く、午後の炎天下歩くのはかなり大変。車の乗り入れができる遺跡で、他に歩いている人はいなかった。ライオン像のある門や防御のためという地下通路が残されていて、規模として特に圧倒されるということはないのだが、紀元前13世紀というその古さを考えると立派だ。こんな世界遺産になっている観光地でさえ、観光客は少なく朝食付き12ミリオンと言われた宿代を食事無し8ミリオン(600円弱)に値切った。
●2002年7月25日
アンカラ→デリセ(131.6km)
6時半過ぎ差し込む陽射で目覚めるが、7時半頃までうたた寝。夜が長いぶん南アの頃ほど早寝にはなれず、起きるのも結局遅い。
アンカラ郊外はしばらく山あいをぬうような狭い道が続くが、やがて視界は開ける。路肩はおおむね広く交通量はあっても走り易い。
休憩はやはりガソリンスタンド中心。パンがあったら買おうと尋ねると、ヨーグルトとチャイのおまけ付きで、ご馳走になってしまう。どこから来て、どこへ行く、どのぐらいトルコにいる、そんな簡単なやりとりしかできないが、少しだけ覚えたトルコ語が役にたつ。未だワールドカップ(トルコが日本に勝った)を持ち出されるのが少々癪に触るが、仕方ない。