第11章 シルクロード/2003年6~9月 あらすじ
中華人民共和国 (People's Republic of China) |
人口 | 12億9227万人 | 面積 | 960万km2 |
首都 | 北京 | 宗教 | 仏教(大乗)、儒教、イスラム教 |
言語 | 北京語、広東語、上海語など | 通貨 | 元 |
旅行期間 | 2003年6月12日~2003年9月8日(89日間) | ||
訪問経路 | (パキスタン)~タシュクルガン→カシュガル→トルファン→敦煌 →酒泉→張掖→武威→蘭州→西安→洛陽→鄭州→曲阜→青島~(韓国) |
シルクロードの遥かな旅路 中国西域に突入
遂に中国へやってきた。
タジク族の暮らす
中国最西端の町タシュクルガンを発ち、
雄大なパミール高原を超えて、
西域の中心都市カシュガルへ。
ウイグル族の町カシュガル。
しかし、イスラム世界が長かった僕は、
むしろ漢字の看板であるとか、
中華料理であるとか、
東アジア的なものに異国情緒を感じていた。
イスラムの薫りただよう タクラマカンに生きるウイグルの民
地図を広げてみれば、
トルコから日本までの道のりの、
およそ半分が中国であることが分かる。
その中国で最も広い新疆ウイグル自治区。
アラビア文字と漢字が同居し、
豚肉を禁じるイスラム料理の店と、
豚肉を愛する中華料理の店が並ぶ。
都市中心部には漢族が住み、
郊外にはウイグルの人々が暮らす。
ウイグル頑張れと少し思う。
古人も旅した天山南道 西遊記の世界を往く
死海に次ぐ世界二番目の低地、
タクラマカン砂漠のトルファン盆地。
灼熱の道路を走り続け、
辿り着いた町のスプリンクラーに驚いた。
西域料理の砂鍋が旨い。
かつて天竺を目指した三蔵法師が
歓待され長らく滞在した
高昌国の遺跡はほど近い。
真っ赤に燃え盛る火焔山は実在し、
天山南道はさらに東へと延びる。
敦煌より玉門関および陽関へ 中華世界の最西端
新疆ウイグル自治区から甘粛省。
およそ一ヶ月に及ぶ長い道のりを経て、
漢民族の西域経営の拠点、
シルクロードの表玄関ともいうべき敦煌へ。
久しぶりに旅人が多く集まる町。
留学生の夏休み旅行がわりと多い。
ツアー仲間を募って、
古代中世の関所跡を見学に行く。
破壊を免れ残った砂漠の大画廊、莫高窟。
中華世界に一歩突入した。
万里の長城はここに始まる 辺境世界の自転車行は続く
敦煌を発ち、砂漠はまだまだ続く。
何十キロも町が現れない道のり。
イランからパキスタンの
バロチスタン砂漠で役立った水タンクが
再び命綱として重宝した。
当時の旅人たちの覚悟たるや、
自転車旅の比ではなかったろうと思う。
万里の長城の最西端として知られる
嘉峪関の長城第一堰。
月から見える世界最大の建造物というが、
その長城としばし併走し、さらに東へ。
河西回廊のオアシス都市 西方の街に鐘楼の鐘が響く
南はチベット人の居住する高山地帯、
北はモンゴル人の暮らす草原地帯、
長らく異民族との攻防に明け暮れた
歴代中国王朝にとっての西域経営の生命線、
それが細長く東西に伸びる河西回廊。
自転車で走ればおよそ四日ごとに、
往時の繁栄を偲ばせるオアシス都市が続く。
酒泉、張掖、武威。
日本でいえば地方の小都市。
砂漠を越えてきた者にとっては
それでも大都市に見えた。
超市(スーパー)では何でも揃い、
ネットカフェも至る所にあった。
苦労したのは宿探しで、
外国人だと分かると断られることもあった。
休息をとり、また走る。
一路平安 峠を越えて水と緑の世界へ
武威を過ぎると、
今までの荒涼とした風景から一転して、
ずいぶんと緑が続くようになる。
蛇行する川に沿って上る峠道では、
夕立ちに降られた。
景色は変わっても、いまだ西域。
途中の村には清真寺院(モスク)が建ち、
白いイスラム帽をかぶった
回族の人々が多い。
白雪を冠した青海省の山並みを眺めつつ、
絹の道は果てなく長いと感じた。
遥かなる黄河を眺める 工業都市蘭州
巨大な中国の地理的中心、
それが甘粛省の省都である蘭州。
蘭州の手前で僕は、
黄色く濁る大河に架かる橋を渡った。
高層ビルの立ち並ぶ大都市、
黄河に沿って東西に長く広がる町。
いままで訪れた都市とは規模が違う。
これが人口世界一を誇る中国の都市か。
経済成長を続ける国のエネルギーを、
初めて肌に感じたような気がした。
駅前の安宿も高層ビルだった。
古き良き農村地帯を抜けて 中原を目指す
伝説の三皇の故里、天水を通過し、
甘粛省から陝西省へ。
諸葛亮孔明が没した五丈原、
インドから来た仏舎利を納める法門寺、
前漢の武帝が眠る茂陵など、
中国史を彩る史跡が集まる中原に突入。
厄介なのは降りしきる雨。
宿泊場所も雨を気にしながら選び、
いよいよ西安が間近に迫る。
ローマ、イスタンブール、
バグダッドと並び、世界四大古都の一つ。
大唐の都、長安 中国四千年の歴史の源
奈良時代そして平安時代、
かつて多くの日本人が憧れた町。
空海も阿倍仲麻呂もこの町に滞在した。
玄奘はこの町からブッダガヤを目指し、
そしてまたこの町に帰ってきた。
遠くペルシアからアラブから、
多くの商人が絹を求めてやってきた。
青い目をした西洋の旅行者と、
黄色い肌をした東洋人の僕とでは、
たぶんまた別の感慨がある。
遂にここまで走ってきたのだ。
古都洛陽 仏教芸術の宝庫、龍門石窟
西安を出てまもなく、
始皇帝陵を通過し兵馬傭を訪れ、
また隣の河南省に突入した。
急峻な函谷関を越え、
長安と並ぶ中国史の中心洛陽へ。
西安と異なり派手な城壁などはないが、
郊外には壮観な龍門石窟と、
中国最古の寺院といわれる白馬寺。
達磨和尚で有名な少林寺に泊まり、
鄭州そして開封へ。
テレビで台風という単語を聞いた。
孔子の故里、曲阜 東亜文明を支えた儒教の発祥地
ついに海に面した山東省へ。
内陸の省に比べて
さぞかし豊かだろうと思いきや、
雨に濡れた道路は泥だらけ。
儒教の故郷、曲阜に到着。
孔子を祀った廟、孔子一族の住居、
そして孔子一族が眠る墓地。
地元の食堂の名物料理にまで、
孔子の名前が冠されていた。
中国の旅はとかく食事が楽しみだ。
大雨そして洪水 アジア横断に最後の試練
さあ走れ。
カトマンドゥで修理した自転車も、
連日の雨で満身創痍の悲鳴をあげる。
中国歴代皇帝が登ったといわれる
聖なる泰山を僕も登った。
残り少ないこの旅路、
どうか無事に終わりますように。
しかし、その翌日、
嘲笑うような大洪水。
目標の四万キロまで、あと三千。
頑張れ!チャリンコ!
この道はイスタンブールから続く 大平洋到達
大陸横断最後の日も雨だった。
坂道の多い青島到着。
国際港であるこの町からは
下関行きの船も出ていたが、
もちろん仁川行きの切符を買う。
南インド以来九ヶ月ぶりの海、
パナマ以来二年ぶりの大平洋だ。
中国滞在最後の夜は、
新疆料理の店を見つけて、
ラグメンと青島ビールで乾杯した。