第9章 初転法輪/2002年12月~2003年3月 あらすじ
インド (India) |
人口 | 10億2702万人 | 面積 | 329万km2 |
首都 | ニューデリー | 宗教 | ヒンドゥ教、イスラム教 |
言語 | ヒンディー語ほか | 通貨 | ルピー |
旅行期間 | 2002年12月19日~2003年1月21日(34日間) | ||
訪問経路 | (スリランカ)~チェンナイ~コルカタ~バラナシ→ブッダガヤ→パトナー→(ネパール) |
混沌の魔都コルカタ 旅人は行く、リキシャも行く
かつてイギリスが植民地支配の拠点とした
東インド、ベンガル地方の中心都市コルカタ。
古びた地下鉄や路面電車が走る街。
下町サダルストリートには貧乏旅行者が集い、
他の都市では見かけなくなった
人力のリキシャが行き交う。
マザーテレサゆかりのマザーハウスで
一日だけのボランティア体験もした。
整備された公園では上流階級の子らが遊び、
裏道ではボロ布まとった裸足の子供が歩く。
ヒンドゥー最高聖地バラナシ ガンガーの流れに聖牛は何を想う
夜行列車でバラナシへ。
聖なる大河ガンジスの畔、
全てのヒンドゥ教徒はここで死ぬことを望む。
伝説の日本人宿久美子ハウスに宿泊、
ここから自転車旅を再開の予定であったが、
南インドと北インドの気温差にやられ、
あえなく高熱を出し寝込む日々。
暖房のないインドの冬をなめたらいけない。
悠久なるガンガーを見つめ、
何もない彼岸を見つめた。
初転法輪の地サールナート ブッダ説法の野で旅人は何を想う
ようやく熱の収まってきたある日、
宿の旅行者仲間に誘われてサールナートへ。
鹿野苑と日本語で呼ばれる野原の地、
ここは悟りを開いたブッダが、
初めてその深遠なる教えを説いた場所。
仏教四大聖地の一つ。
昨年の年越しはバグダッドだったが、
今年はバラナシで過ごし、
よく晴れた正月二日、
約二ヶ月ぶりに自転車に乗った。
人は何故生きるのか 佛陀はこの地で悟りを開いた
仏教最高聖地ブッダガヤへ。
シャカ族の王子シッダルタが、
この地の菩提樹の下で大いなる悟りを得た。
2003年のブッダガヤは、
チベット人の祭典カルチャクラを控え、
多くの旅行者やチベット僧で賑わっていた。
富める者たちの喜捨を求めて、
日に日に乞食たちの姿も増えていた。
各仏教国のお寺が集まる聖地、
朝と夕方は日本寺での座禅に参加した。
入滅の地クシーナガル 人は何故死ぬのか、何処へ逝くのか
ブッダガヤから北を目指す道のりは
ネパールへと続く、ブッダの足跡を辿る旅。
仏教を庇護したマガダ国の都ラージギル、
三蔵法師が学んだことで知られるナーランダ、
ブッダが多くの説法を為したヴァイシャーリー。
さしたる産業もなく、
現代インドで最も貧しいビハール州、
車通りも少ない田舎道を自転車で走った。
クシーナガルは仏教四大聖地の一つ。
沙羅双樹の下で、ブッダは亡くなった。
厳冬の北インド この国はどこへ行っても子沢山
レンガを焼く煙が静かに風にたなびく。
燃料となる牛の糞を藁に載せて乾かしている。
二千年前と変わらぬ景色が続いていく。
クシーナガルを訪れる拠点として、
立ち寄ったモティハリの町で
ムスリムの学生ナジルに出会った。
ヒンドゥ教徒とイスラム教徒も、
この町では仲良く暮らしていた。
町外れの国道まで見送られて、
僕はさらに北へ、また次なる町を目指す。
ネパール王国 (Kingdom of Nepal) |
人口 | 2474万人 | 面積 | 14万7000km2 |
首都 | カトマンドゥ | 宗教 | ヒンドゥ教、仏教(チベット) |
言語 | ネパール語 | 通貨 | ネパールルピー |
旅行期間 | 2003年1月21日~2003年2月26日(37日間) | ||
訪問経路 | (インド)→カトマンドゥ→ポカラ/アンナプルナ→ルンビニ→(インド) |
進路は冬のネパール 坊主頭の修行は続く
ブッダガヤで剃髪し、
坊主頭のまま自転車をこぐ修行の毎日。
ついにネパールに入国した。
驚いたことに、そして嬉しいことに、
昼近くまで靄の立ちこめた北インドよりも、
陽射しの降り注ぐネパールのほうが暖かい。
鼻が高く彫りの深いアーリア人、
日本人にもよく似た顔立ちのネパール人。
千メートルの峠を越え、
カトマンドゥ盆地に向かう道、
彼方にはヒマラヤの白い山脈が見えた。
ヒマラヤの麓カトマンドゥ 旅人憩いの都でしばしの休息
五重塔のような木造の寺院が立ち並ぶ、
首都カトマンドゥのダルバール広場。
近年の政情不安で旅行者は少ないようだが、
タメル地区には宿や食堂が多く集まっていた。
チベット仏教の寺院群を訪ね、
ヒンドゥ寺院の火葬場で死体を焼くのを見、
以前に出会った旅人と懐かしの再会をし、
日本食レストランで味噌汁に涙し、
ふとした縁で地元の結婚式に出かけ、
カジノ遊びにも繰り出した。
神々の山嶺目指し 9日間の山ごもり生活
まだ長いこの先の旅路を見据え、
カトマンドゥで自転車を修理。
軽くなったペダルをこいで、
登山基地の町として名高いポカラへ。
多くのトレッキングルートの中から
アンナプルナベースキャンプを選ぶ。
ネパールの登山道は人々の生活路線。
宿もあるし、食糧も手に入る。
子供たちの通学風景を眺めながら、
標高八千メートルの山を仰ぎ歩く。
標高4千メートルの白き聖域 かくも神々しき日の出かな
やがて村がなくなり、
高山病の症状が現れる標高に到達。
雪崩の危険地帯を越え、吹雪と戦い、
聖域と称される展望の地へ。
あいにく雪が深過ぎて
ベースキャンプまでは行き着けなかったが、
自転車旅だけでは見ることのできない景色。
神々の宿る山嶺を拝む。
そしてまた、下界へ。
ブッダの生まれたルンビニの園を目指す。
インド (India) |
旅行期間 | 2003年2月26日~2003年3月12日(15日間) | ||
訪問経路 | (ネパール)→シュラヴァスティ→アグラ→デリー~アムリトサル→(パキスタン) |
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の… 人は幸せになれるのか
四大聖地の一つルンビニでは
日本山妙法寺のお寺に三日間お世話になった。
仏跡巡礼の旅、後半戦が始まる。
幼少のシッダルタ王子が過ごした
シャカ族の都カピラヴァストゥ。
国境を越えて三たびインドへ入国。
祇園精舎で有名なシュラヴァスティへ。
交通の便は悪く、訪れる人も少ない。
かつて栄えた強国の都。
まさに諸行無常の響きあり。
佛教八大聖地巡礼完了 されど旅の終わりはまだ遠い
仏教八大聖地最後の一つサーンカーシャ。
地図を見てもどこにあるのかよく分からず、
人に聞いても知らない人ばかりで、
辿り着くのに苦労した。
旅にまた一つの区切りを付けて、
しかしまだ故郷は遥かに遠く、
自転車を漕ぎ続けなくてはならない。
日が暮れれば街道沿いの食堂へ。
カレーを食べ、ジュースで喉を潤し、
寝袋にくるまって明日の夢を見る。
白亜の聖廟タージマハル 舞台は三たびイスラム世界へ
煩悩は少しは消えただろうか。
進路はムガール帝国の南の都アグラへ。
皇帝が愛する妃のために建立した、
世界で最も壮麗なお墓タージマハル。
仏跡巡礼が終わり、
またイスラムの風が吹く。
季節は冬から春を迎え、
宿には学生旅行者が集まっていた。
日本を出て一年九ヶ月が経ち、
生まれて初めてカメラ付きケータイを見た。