第5章 最貧国/2002年1~3月 あらすじ
エジプト・アラブ共和国 (Arab Republic of Egypt) |
人口 | 6920万人 | 面積 | 100万km2 |
首都 | カイロ | 宗教 | イスラム教(スンニー派) |
言語 | アラビア語 | 通貨 | エジプトポンド |
旅行期間 | 2002年1月20日~2002年2月3日(15日間) | ||
訪問経路 | (ヨルダン)~ヌエバ→スエズ~カイロ~ルクソール~アスワン~(スーダン) |
エジプト入国 青空にそびえるピラミッド
荒涼としたシナイ半島を抜けて、
スエズ運河を越え、
いよいよ大都会カイロに到着。
アフリカの表玄関であるこの街には、
多くの旅人が集っている。
僕もまた、イラクツアーで
一緒だった旅の仲間に再会を果たす。
イスタンブールから南に向かったときは、
とりあえずエジプトまでの予定でいたが、
少しずつ旅の自信を取り戻していた僕は
さらに南を目指すことを決めた。
ピラミッドやスフィンクスを観光しつつ、
まだ見ぬブラックアフリカに思いを馳せ、
スーダンとエチオピアのビザを取得した。
破傷風とジフテリアの注射も打った。
しばしの休息、そして出発だ。
大河ナイルを往く 週一便の貨客船にてスーダンへ
ナイル川に沿って町が連なるエジプト、
数日間の列車の旅、
ルクソール王家の谷から、アスワンに至る。
エジプトからスーダンへ、
ナイル川を遡る手段は週一便の船。
熱帯地方に突入で、
一月なのに相当に暑い。
船の乗客は荷物を担ぐスーダン人が多く、
西洋人旅行者の姿もまばらに見かける。
大幅に遅れての出港となった。
スーダン共和国 (The Republic of the Sudan) |
人口 | 3700万人 | 面積 | 250万km2 |
首都 | ハルツーム | 宗教 | イスラム教(スンニー派) |
言語 | アラビア語 | 通貨 | スーダンディナール |
旅行期間 | 2002年2月4日~2002年2月20日(17日間) | ||
訪問経路 | (エジプト)~ワディハルファ~ハルツーム→ゲダレフ→(エチオピア) |
広がる砂漠、辺境の村 アフリカの大地を想う
スーダン北端の村ワディハルファ。
ナイル川の畔。
砂漠の中に小さな家並みが続く。
港から村までは僅かな距離だが、道はなく、
砂の上を轍をたどって歩いていく。
同行はカイロ以来の日本人四人組。
これから始まる苛酷なアフリカ。
何でも揃った大都会カイロは遥かに遠く、
昨日までいたエジプトの町も遠く、
これがスーダンか、これがアフリカなのか、
衝撃とも感激ともいえる強烈な印象があった。
二泊三日の地獄列車 線路は続く、地平も続く
誰が呼んだか世界三大地獄交通機関。
ワディハルファから首都のハルツームまでは、
二泊三日の地獄列車。
果敢にも三等車を選んでみたら、
人も荷物もすし詰めで、騒がしいし、
砂はしじゅう吹き込んできて、喉は痛いし、
夜はまったく寝られないし、まさに地獄。
ときおり列車は駅に停車する。
砂漠のオアシス。砂漠の集落。
列車から線路に降りると陽射しが眩しい。
水や食物を担いだ売り子が集まってくる。
首都ハルツーム アラブとブラックが交差する街
スーダンの首都ハルツーム。
道は舗装され、信号機があり、
ビルが並んでいて、さすが首都だなと、
そんな当り前のことにも感動する。
ナイル川の分岐点に栄えるハルツーム、
街路は碁盤の目に区切られ、
木陰も多く、治安も悪くなく、
思った以上に歩きやすい町だった。
お酒の飲めないこの国で
フルーツジュースを愛飲し、
今後に備えてマラリア薬を購入した。
エチオピア連邦民主共和国 (Federal Democratic Republic of Ethiopia) |
人口 | 6430万人 | 面積 | 109.7万km2 |
首都 | アディスアベバ | 宗教 | キリスト教、イスラム教 |
言語 | アムハラ語 | 通貨 | ブル |
旅行期間 | 2002年2月20日~2002年3月13日(22日間) | ||
訪問経路 | (スーダン)→ゴンダール/アクスム~アディスアベバ→モヤレ→(ケニア) |
世界最貧国エチオピア突入 群がる子供たち
スーダンからエチオピアへ。
砂漠の国から高原の国へ。
未舗装路の砂利道、
果てなく繰り返されるアップダウン、
この旅で一番の苛酷な道のりが続く。
国境を越えてエチオピア。
さらに貧しいこの国の田舎では、
水道も電気もなく、
水かめに溜めた水を分けてもらい、
発電機もしくは蝋燭の明かりを頼る。
ブンナベッドと呼ばれる安宿では、
部屋に入るとまず殺虫剤をふりまいた。
高原の国、果て無き道 悪路との戦いは続く
ハルツーム以来、
日本人チャリダーとの二人旅。
平坦な舗装路なら
一日120キロは軽く走れるのだが、
悪路の山道では60キロも苦しい。
この国の主食インジェラは酸っぱい独特の味。
手に入る水は濁っているが飲むほかはなく、
お金をくれとせがむ子供を追い払い、
ときに石を投げ付けられることもあり、
自転車は故障し、身体も変調をきたす。
道のりは遠い。
アディスアベバ、旅人集結 束の間の安らぎ
首都アディスアベバに到着。
標高二千メートルを超え、
一年中「秋」だといわれるアディスアベバ。
中国製部品の揃った自転車屋もあり、
インターネットカフェもあり、
中華料理や洋食を食べられる店もあり、
宿のバーでは生ビールが注文できた。
特筆すべきは町中に温泉があるということ。
しかも個室に浴槽という嬉しい設備。
アラブ圏で伸ばし続けていた髭も剃り、
きれいさっぱりのんびりすっきり。
ケニア国境を目指し、走る スイカ山盛り、水分補給
いざアディスアベバを出発しようとしたら、
自転車が壊れて、まず修理。
そんな苛酷なエチオピア旅の後半戦。
南の道は舗装がされており、
比較的なだらかな高原の道が続く。
強烈な酸っぱさを誇るインジェラにも
徐々に環境適応を果たし、
心に幾分余裕をもって
ペダルを漕ぐことができるようになった。
道端で売られている山盛りのスイカ。
思わずその場で自転車を停めた。
エチオピア安宿約1ドル 日本人チャリダー集まる
南に来るにしたがって、
少しずつ風景や人々の装いが変わってくる。
山岳地帯から、広々とした草原へ。
そんなエチオピア南部の閑村で、
向こうからやってくるチャリダーがいた。
はるばる南アフリカから走ってきたという
日本人チャリダーだった。
薄汚れた三人の旅人。
一晩の邂逅を経て、再び別れていく。
僕たちはケニアを目指す。
国境の町モヤレまであと少しだ。
ケニア共和国 (Republic of Kenya) |
人口 | 3190万人 | 面積 | 58.3万km2 |
首都 | ナイロビ | 宗教 | キリスト教、イスラム教、伝統宗教 |
言語 | スワヒリ語、英語 | 通貨 | ケニアシリング |
旅行期間 | 2002年3月13日~2002年3月24日(12日間) | ||
訪問経路 | (エチオピア)~イシオロ→ナニュキ→ナイロビ→ナマンガ→(タンザニア) |
世界の中心で、愛をさけぶ 赤道越えて南半球突入
ケニア北部は、
知る人ぞ知る悪名高き武装ゲリラ出没地帯。
自由な移動は禁じられており、
バスなどの公共交通機関は存在しない。
旅人にとっての唯一の移動手段は、
国境を越えて物資を運ぶトラック。
荷台に揺られ、護送の兵士が同行し、
一泊二日の道のりでイシオロの町へ。
イシオロでドイツ人チャリダーと出会い、
次の目的地ナニュキまで共に走る。
エチオピアに比べると道路状況は良く、
断然に走りやすい。
ナニュキの町から南へ数キロの地点、
世界の中心がそこにある。
北半球と南半球の分岐、赤道だ。
赤道突破!