第4章 神と独裁者/2001年12月~2002年1月 あらすじ
トルコ共和国 (Republic of Turkey) |
人口 | 6784万人 | 面積 | 78万km2 |
首都 | アンカラ | 宗教 | イスラム教(スンニー派) |
言語 | トルコ語 | 通貨 | トルコリラ |
旅行期間 | 2001年11月9日~2001年12月3日(26日間) | ||
訪問経路 | (ブルガリア)→イスタンブール~カッパドキア~アンタクヤ→(シリア) |
W杯欧州最終予選 日の丸掲げて応援、翌朝の新聞に!
昔も今も文明の十字路、
世界中から旅人たちが集う賑やかな町、
それがイスタンブール。
日本人宿コンヤペンションに滞在。
サッカー好きな旅仲間に誘われて、
欧州予選プレーオフを見に行った。
開催国日本からの応援であることを示そうと
大きな日の丸を特注し、
スタンドで広げてトルコ代表に声援を送る。
見事五対〇で圧勝したトルコはW杯出場を決め、
日の丸とともに僕らの写真が紙面を飾った。
薄く雪化粧のカッパドキア 総勢十二名の団体旅行
迷っていた旅の進路だが、
南を、アラブ中東を目指すことを決めた。
トルコ中央部の奇岩地帯カッパドキア。
イスタンブールで出会った旅仲間たちと
十二名で車を借り切って巡る。
楽しいサークル合宿のようなひとときだった
トルコ南部の港町アンタルヤ。
そしてシリア国境にほど近いアンタクヤ。
しばらくバスによる移動が続いたが、
三週間ぶりに独りになって、
自転車にまたがる日々が戻ってきた。
シリア・アラブ共和国 (Syrian Arab Republic) |
人口 | 1800万人 | 面積 | 18.5万km2 |
首都 | ダマスカス | 宗教 | イスラム教(スンニー派) |
言語 | アラビア語 | 通貨 | シリアポンド |
旅行期間 | 2001年12月3日~12日14日/12月20日~25日(18日間) | ||
訪問経路 | (トルコ)→アレッポ→ハマ→ダマスカス~(レバノン) |
イスラム断食月 シリア田舎町に泊めてもらう
イスタンブールを出た頃から、
イスラム世界では断食月ラマダーンが始まる。
日が昇ってから日が沈むまで、
一切の食物を口にしてはいけない。
旅人には課せられないとはいえ、
自転車旅行にはちとつらい日々。
そんなシリア中部の町マアッラーナマンで、
一人の好青年バシルに出会う。
片言の英語を話す彼に誘われ、
そのまま三日間を彼の家で過ごす。
共にモスクで礼拝したり、
宗教論議に夜を明かしたこともあった。
首都ダマスカス 第四聖地ウマイヤドモスク
紀元前後からの長い歴史を誇るシリア。
首都ダマスカスの旧市街には城壁が巡り、
旧約聖書の時代から続く古い路地があり、
迷路のように入り組んだ市場、
その奥に静寂に包まれた大きなモスク。
人々が熱心に祈りを捧げていた。
イスラム世界の英雄サラディンも眠る。
ダマスカスの宿に自転車を預けて、
隣国レバノンへ向かった。
長く続いた内戦で破壊されたベイルートは、
旧市街に痛々しさを残しつつも、
高層ビルが立ち並び復興を遂げていた。
レバノン共和国 (Republic of Lebanon) |
人口 | 400.5万人 | 面積 | 1万0452km2 |
首都 | ベイルート | 宗教 | イスラム教、キリスト教 |
言語 | アラビア語 | 通貨 | レバノンポンド |
旅行期間 | 2001年12月14日~2001年12月20日(7日間) | ||
訪問経路 | (シリア)~ベイルート/バールベック~(シリア) |
ヨルダン・ハシミテ王国 (Hashemite Kingdom of Jordan) |
旅行期間 | 2001年12月25日~2001年12月30日(6日間) | ||
訪問経路 | (シリア)→アンマン~(イラク) |
年末ヨルダンへ 世界最低地点、死海に浮かぶ
再びシリアへ戻り、
自転車でヨルダンに入国する。
盆地地形の首都アンマン。
世界最低所の死海は日帰り圏内で、
旅の記念に浮かんでくる。
本当に浮いた。本も読めた。塩辛かった。
アンマンから東へ向かえば、そう、
砂漠の街道はバグダッドへ通じている。
アンマンの中心部には
安くて美味しいイラク料理店もあった。
イスタンブールやベイルート以来の
旅の仲間がここに集結した。
イラク共和国 (Republic of Iraq) |
人口 | 2200万人 | 面積 | 43.7万km2 |
首都 | バグダッド | 宗教 | イスラム教 |
言語 | アラビア語 | 通貨 | イラクディナール |
旅行期間 | 2001年12月30日~2002年1月7日(9日間) | ||
訪問経路 | (ヨルダン)~バグダッド~ケルバラ~モスル~バグダッド~(ヨルダン) |
九名参加のツアーにて、イラク入国 フセイン政権下の首都
いざイラクへ。
アンマン発着のパッケージツアーに参加。
一週間五百ドル。
宿、食事、観光、査証、車、案内役、全部込み。
アンマンからバグダッドまでは
車で丸一日の道のりで、到着はすでに夜。
地平線の彼方に眩しい町の明かり。
かつてイスラム世界の中心地として、
アラビアンナイトの舞台として、
世界で最も進んだ数学や化学を確立した町。
悠久の歴史誇るバグダッド 明るい笑顔の学生たち
意外と穏やかな雰囲気だった2001年の
バグダッド!
街角のいたるところには、
独裁者サダム・フセインの肖像画。
しかし市場には物が溢れ、
人々の表情には明るい笑顔が溢れていた。
メソポタミア時代からの
宝物を集めた国立博物館を訪れ、
アッバース朝時代の王宮や大学を見学し、
悠久のチグリス川の流れに思いを馳せた。
さようなら2001年 年越しそば、イラクゆく年くる年
2001年から2002年へ。
バグダッドで迎える新年。
元旦はミニバスに揺られ、イラク南部へ。
世界の七不思議バビロンでは、
残念ながら空中庭園は存在せず、
シーア派の聖地ケルバラとナジャフでは、
壮麗なモスクと真摯な人々の祈りに圧倒され、
世界最古、四千年の歴史を誇るウル遺跡では、
我が日本の歴史の短さに愕然とした。
実はイラク、観光資源も豊富だと知った。
湾岸戦争の傷跡、千羽鶴に驚く 多国籍軍誤爆、女子供四百人眠る
後半はイラク北部の旅。
ローマ時代の遺跡ハトラ、
クルド人も多く暮らすモスルの町。
そしてバグダッドへ帰ってくる。
最後の滞在日は現代史観光。
対イラン戦の戦勝記念碑や
フセインの誕生日に落成したというモスクなど
多分にフセイン政権の喧伝であると
じゅうぶん理解はしても、
湾岸戦争時代の避難シェルターは衝撃的。
多国籍軍の二発のミサイルが、
一瞬にして逃げ込んでいた女性子供の
およそ四百の命を奪い去ったのだという。
2002年のイラクの話。
あれから二年後、
更なる悲劇があろうとは、誰も予想しない。
イスラエル国 (State of Israel) |
人口 | 633万人 | 面積 | 2万1946km2 |
首都 | エルサレム | 宗教 | ユダヤ教、イスラム教 |
言語 | ヘブライ語、アラビア語 | 通貨 | シュケル |
旅行期間 | 2002年1月8日~2002年1月13日(6日間) | ||
訪問経路 | (ヨルダン)~エルサレム/ベツレヘム/ガザ~(ヨルダン) |
聖地エルサレム ユダヤの新市街、アラブの旧市街
イラクからヨルダンに戻ったその足で、
イスラエルに入国する。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、
三つの宗教が共に聖地と崇める町。
エルサレムはさすがだと思った。
奇しくも雪混じりの天候、
ここまで風格のある都市は、ほかにない。
キリストの生誕地ベツレヘムは
パレスチナ自治区に含まれており、
訪れるには検問を越えなければならず、
生誕教会は閑散としていた。
ヨルダン・ハシミテ王国 (Hashemite Kingdom of Jordan) |
人口 | 548万人 | 面積 | 9.8万km2 |
首都 | アンマン | 宗教 | イスラム教(スンニー派) |
言語 | アラビア語 | 通貨 | ヨルダンディナール |
旅行期間 | 2002年1月13日~2002年1月19日(7日間) | ||
訪問経路 | (イスラエル)~アンマン→ワディ・ムーサ→アカバ~(エジプト) |
東西交易の栄華偲ぶ 巨大遺跡ペトラ
三たびアンマンから、
また自転車の旅が始まる。
挑むはキングスハイウェイと呼ばれる
千メートル登って下る難所道。
その先に待ち受けていたのは、
重厚な歴史を誇る中東でも
最大級の旅行者人気を誇るペトラ。
赤色の岩盤に築かれた壮大な遺跡群。
真っ青な空に、乾いた空気に、
二千年前に交易で栄えたという古代都市。
自転車の疲れが癒されるひととき。
月の砂漠ワディ・ラム 紅海を渡り、次はアフリカ
キングスハイウェイから一気の下り。
涼しかった高地から、
一月なのに暑さを感じる低地の砂漠。
少し寄り道して
月の砂漠と形容されるワディ・ラムを訪れた。
紅海に面した港町アカバは程近い。
海を挟んで対岸はエジプトのヌエバ。
船に揺られて数時間の距離だ。
いよいよアフリカなのだと思うと、
なんだか嬉しかった。