自転車世界一周の旅/第139話 新型肺炎で国境封鎖 ジャガイモ料理で待機の日々
五月二十日の夜、フンザから百キロほど下ったところにあるギルギットのバスターミナルで、僕はゴッチンを見送った。
彼女は僕がかつて来た道、イランからトルコ方面を目指す予定だった。彼女がインドで取得していたイランビザの期限は六月の一日。モエンジョダロなどの観光を経てイランへ向かう日数を考えれば、そろそろタイムリミットだった。
パキスタン・イスラム共和国 (Islamic Republic of Pakistan) |
【パキスタン/ギルギット】
【パキスタン/ギルギット】
カラコルムハイウェイの崖崩れ地帯はなんとか復旧し、ラワールピンディ行きの直通のバスが運行を再開していた。つい二週間前のあの破壊されっぷりを知っている僕としてはにわかに信じられない話だが、ゴッチンにとっては幸運だ。午後九時という遅い時間の出発だったが、さらに三十分ほど出発は遅れていた。売店もすでに閉っていた。
ぶるん。バスがエンジンを駆ける音が、静かな夜闇に響いた。
「次に会えるのは、いつかな」
「すぐやで」
大型バスだったが乗客の数は少なかった。ゴッチンは最前列に座った。たいがいそこは女性専用席だった。僕が右手を差し出し、彼女がその手を握り返した。
【パキスタン/ギルギット】
誰かと別れの握手を交わすのは、僕にとってもう数え切れないほど経験した儀礼だった。現地のおじさんのひび割れゴツゴツとした手であることもあれば、同じ旅人の垢に汚れた手であることもあった。
旅は出会いであり、旅は別れであり、その繰り返しだった。しかし今夜の別れは特別だった。
握手の手を断ち切るように、バスが動き出した。暗闇の中、あっけなくバスは消え去っていった。満天の星空だけが残った。
【パキスタン/カラコルムハイウェイ】
【パキスタン/カラコルムハイウェイ】
僕は思った。もしグアテマラで強盗に遭わなければ、僕は南米に進んでいた。その後の旅はがらりと変わっていた。今頃は当初の予定通り日本に帰っていたかもしれないし、やはり旅が長引いてアフリカあたりを彷徨っていたかもしれない。しかし間違いなくゴッチンに巡り会うことはなかった。逆手に取っていうならば、あの日強盗にやられた過去があったからこそ、やがて彼女と出会う未来を手にしたのだ。
それが縁だ。
僕はその星空の風景を、強烈なほどに鮮明に覚えている。すでに夜の十時が近く、バスターミナルから市街に戻るオートリキシャはなく、僕は五キロ以上のその道のりを、その長い道をとぼとぼと歩いた。タクシーを拾うことはできたが、僕はむしろ歩きたかった。
この静寂とした夜道を、ただ星空だけに見つめられながら、歩きたかった。
【パキスタン/フンザ、カリマバード】
【パキスタン/フンザ、カリマバード】
フンザに戻ってから一週間、空白の待機の日々が始まった。ウルムチからギルギットに飛んできたという二人組がいた。彼らは中国最西端国境の町タシュクルガンまで行って、そこでフンジュラブ峠の開通を待っていたのだが、ついに断念し、省都ウルムチからイスラマバード行きの飛行機に乗ったのだ。
国境がいまだ開かない理由は、やはり新型肺炎SARSだった。パキスタン国境だけでなく、モンゴルや東南アジア方面も、中国の陸路国境は全て閉ざされているという噂だった。
【パキスタン/フンザ、カリマバード】
【パキスタン/カリマバードの宿ハイダーイン】
五月上旬から開通を待ち続けている旅行者の中には、ついに中国行きを諦めカラコルムハイウェイを下ってしまった者もいた。また、ひとまずフンザ滞在は続けていたが、たとえ国境が開いたとしても、病気が恐いという理由でどのみち中国には行かないつもりだという意見もあった。
僕は絶対に行くつもりだった。ここまで旅を続けて、自転車で走り続けて、最後日本へ至る道の途上で中国を逃すなどということはありえなかった。
【パキスタン/ハイダーインの夕食】
【パキスタン/カリマバードの宿ハイダーイン】
待機の日々は退屈との戦いだった。僕は相変わらず山盛りのおかわりを繰り返し、失った体力の充填に努めた。
六月一日に国境が開くという噂が流れた。しかし、開かなかった。
【パキスタン/カラコルムハイウェイ】
【パキスタン/カラコルムハイウェイ】
六月四日、僕は国境の町スストを通過した。カラコルムハイウェイのパキスタン側最後の町、それがススト。商店や宿が集まっていたが、人通りは少なく閑散としていた。
体調は回復し、僕はついに中国との国境、〝世界の頂き〟フンジュラブ峠を目指すことを決めていた。久しぶりの自転車行であり、やる気に満ち溢れていた。
検問のゲートを越えた。
【パキスタン/パスーでのトレッキング】
【パキスタン/カラコルムハイウェイ】
細くうねった川。両脇の山が急速に迫る隘路に沿って、僕は淡々と自転車をこいだ。
ときおり崖崩れの注意を促す標識が現れる。カラコルムハイウェイを管理する軍や警察の車や、峠を往復する観光客を乗せた車がときどき通る。
しかしもう集落はない。茶店もなく、畑もない。羊やロバの姿もない。
【パキスタン/カラコルムハイウェイ】
【パキスタン/国境の町ススト】
たびたび休憩をとった。まだ呼吸はそれほどきつくはない。
標高にして二千メートル程度だろう。メキシコでもエチオピアでも、その程度の標高なら慣れっこである。
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | アメリカ | 旅立ち 空路アラスカへ | |
08 | 05 | メキシコ | トゥーラ手前 | 5000 |
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11 | 11 | トルコ | イスタンブール手前 | 10000 |
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2002 | 04 | 10 | ジンバブエ | ビクトリアフォールズ先 | 15000 |
08 | 10 | イラン | マクー~マルカンラル間 | 20000 |
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10 | 19 | パキスタン | ワガ国境を越えて、インド入国 | 25000 |
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2003 | 01 | 01 | インド | バラナシにて年越し | |
21 | ネパール | 自転車にて入国(ビールガンジ) | |||
02 | 20 | ポカラ~タンセン間 | 28000 |
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26 | インド | 自転車にて再々入国(ネパールガンジ) | |||
03 | 02 | 仏教八大聖地巡礼達成 | |||
03 | ビワール先 | 29000 |
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07 | 再び、デリー到着 | ||||
12 | パキスタン | 自転車にて再入国(ラホール) | |||
24 | アフガニスタン | 車にて入国(ジャララバード) | |||
25 | カブール到着 | ||||
04 | 07 | パキスタン | 車にて再々入国(ペシャワール) | ||
29 | 中国を目指し、ラホールを出発 | ||||
05 | 02 | シンキアリ先 | 30000 |
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10 | フンザ、カリマバード到着 |