自転車世界一周の旅/第138話 七千メートル級の山並み迫る 風の谷フンザ
五月十日、僕はフンザに到着した。崖崩れ地帯を乗り越え、北パキスタンの中心都市ギルギットで一日休養ののち、ようやくである。
パキスタン・イスラム共和国 (Islamic Republic of Pakistan) |
【パキスタン/フンザ、カリマバード】
【パキスタン/フンザ、カリマバード】
フンザは日本人旅行者には特に人気の高い標高千五百メートルの風の谷。映画『風の谷のナウシカ』の舞台モデルになった場所といわれ、白い雪をかぶった七千メートルの山が目前に迫る風光明媚な長寿の里として知られていた。
中心集落はカリマバード。ハイウェイの本線からつづら折の坂を上った先、急峻な谷の斜面に沿って家が建つ。眺めのよさを競うように、谷側に面して宿が並んでいた。
【パキスタン/カリマバードの宿ハイダーイン】
旅行者に人気の安宿はいくつかあったが、僕はそのうちの一つハイダーインを訪れた。
見覚えのある女性が現れた。ラホールやペシャワールで会ったユカリさんだった。
「あ、来た」
ユカリさんは僕を見てちょっと驚いたように言った。
「ゴッチン、いまギルギットに下ってるよ」
「え……?」
「でも、夕方には戻ってくると思うよ」
【パキスタン/フンザ、カリマバード】
ユカリさんの話によれば、ギルギット発の飛行機の予約と、インターネットをする目的で、ゴッチンは朝早くからギルギットに向かったらしい。僕はちょうど入れ違いでギルギットを出てきてしまったのだ。
ハイダーインの経営者はハイダーじい。フンザ帽をかぶり、白い髭を蓄えていた。じいは僕に、とりあえず空いている部屋を使って休んでいればいいと言った。
悪い知らせが一つあった。中国国境のフンジュラブ峠が開かないことだった。中国で流行しているという新型肺炎SARSの影響で、予定の五月一日を過ぎても、まだ国境は閉鎖されたままだった。ハイダーインにも中国へ行きたくて足止めを食っている旅行者が何人かいた。
【パキスタン/グルミット村】
【パキスタン/グルミット村】
フンザはまだ春先、雲が厚く垂れ込めとても寒かった。合羽を着込んでもまだ寒く、僕は唯一熱源のある調理場で暖をとり、夕方を待った。
午後六時、これがギルギットからの最終バスという時間、僕はカリマバードの通称ゼロポイントに立っていた。
「来た」
ハイダーじいが言った。一台のハイエースが坂を上ってくるのが見えた。僕たちの前で停止し、中から数名の乗客が降りてくる。その中におよそ二週間ぶりの再会となる赤いシャルワールカミース姿のゴッチンがいた。
【パキスタン/フンザ、カリマバード】
【パキスタン/カリマバードの宿ハイダーイン】
カラコルムハイウェイの苛酷な道のりは、予想以上に僕という人間の身体にダメージを与えていた。発熱こそしなかったものの、咳が収まらず、なにより自分でも驚くほど体力が衰えてしまっていた。
途中で飲んだ水の影響だろう。饐えた臭いのするげっぷを繰り返し、ひどい水下痢にも襲われた。とにかく身体が重い。歩くのがしんどい。すぐに疲れてしまう。原因はよく分からなかった。
アフガン帰りで高熱を発して寝たきりになり、ようやく回復したばかりでラホールから自転車に乗り始め、体力的にはギリギリの状態だったところで崖崩れに出遭い、精神力だけで越えてきたために、きっと僕の体内に蓄積されていた予備タンクまでもがすっからかんのガス欠になってしまったのだろう。
【パキスタン/グルミット村】
【パキスタン/ウルタル氷河トレッキング】
フンザに着いて三日目。僕はゴッチンに連れられてカリマバードの隣村アルチット村まで出かけた。ハイキングにもならない散歩のようなものだったが、僕は自分の体力のなさを痛感させられた。
ゴッチンの歩きは決して速くはないはずだったが、僕はまったくついていくことができなかった。まるで黒い煙を吐きながら喘ぐ登坂車線のトラックのように、僕の足取りはのろかった。
【パキスタン/ウルタル氷河トレッキング】
【パキスタン/ウルタル氷河トレッキング】
体力回復のために考えられることは二つしかなかった。一つはたくさん眠ること。ど田舎のフンザでは夜になればもうさしてすることはなかったし、日没を境に猛烈に気温が下がって寒かった。僕はひたすら寝た。
もう一つは食事。とにかくたくさん食べること。ペシャワールやラワールピンディで寝込んでいた頃は食欲がなく果物やジュースばかりに頼らざるを得なくて困ったが、幸い食欲だけは充分に回復していた。
その場に体重計のないのが残念なくらいで、多分その頃の僕はずいぶんと痩せていただろう。とりわけ体脂肪の蓄えがほとんど失われていたように思う。僕はそんな体内エネルギーを取り戻すべく、とにかく食べた。
【パキスタン/カリマバードの宿ハイダーイン】
フンザ式の夕食は食べ放題だった。ダウロと呼ばれるうどんのようなスープ麺、大盛りのご飯、フライドポテト、そして肉もしくは野菜を煮込んだ主菜。
ギルギット以南のカラコルムハイウェイが崖崩れで封鎖されている関係で、食材の流通が滞ってしまっており、毎日代わり映えのしない芋料理ばかりなのが残念ではあったが、それでも僕はひたすらお代わりを連発した。そしてどうにか少しずつ体力を回復していった。
【パキスタン/カリマバードの宿ハイダーイン】
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | アメリカ | 旅立ち 空路アラスカへ | |
08 | 05 | メキシコ | トゥーラ手前 | 5000 |
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11 | 11 | トルコ | イスタンブール手前 | 10000 |
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2002 | 04 | 10 | ジンバブエ | ビクトリアフォールズ先 | 15000 |
08 | 10 | イラン | マクー~マルカンラル間 | 20000 |
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10 | 19 | パキスタン | ワガ国境を越えて、インド入国 | 25000 |
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2003 | 01 | 01 | インド | バラナシにて年越し | |
21 | ネパール | 自転車にて入国(ビールガンジ) | |||
02 | 20 | ポカラ~タンセン間 | 28000 |
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26 | インド | 自転車にて再々入国(ネパールガンジ) | |||
03 | 02 | 仏教八大聖地巡礼達成 | |||
03 | ビワール先 | 29000 |
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07 | 再び、デリー到着 | ||||
12 | パキスタン | 自転車にて再入国(ラホール) | |||
24 | アフガニスタン | 車にて入国(ジャララバード) | |||
25 | カブール到着 | ||||
04 | 07 | パキスタン | 車にて再々入国(ペシャワール) | ||
29 | 中国を目指し、ラホールを出発 | ||||
05 | 02 | シンキアリ先 | 30000 |
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10 | フンザ、カリマバード到着 |