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自転車世界一周の旅/第137話 最大の試練 カラコルムハイウェイ崖崩れ封鎖


 深い崖沿いに「道」は続いていた。くねくねと蛇行しており、先は見えなかった。麻袋を背負った男たちはひょいひょいと岩を越えていった。

 パキスタン・イスラム共和国
(Islamic Republic of Pakistan)

パキスタン/チラースの壁画
【パキスタン/チラースの壁画】

パキスタン/崖崩れ地帯始まる
【パキスタン/崖崩れ地帯始まる】

 しかし僕の歩行速度は情けないほどに遅かった。ハンドルを持ち上げ、前輪をまず岩の上にのせる。サドルを押して前輪を進ませる。次いで後ろの荷台に手をかけ、後輪をぐいと持ち上げる。最後によっこらしょと自分自身が岩に登る。

 持久力に自信はあったが、腕力のあるほうではない。自転車を持ち上げる力がどんどん消耗していた。背中のザックが肩に食い込み痛んだ。自転車の速度計の距離表示を見て愕然とする。落下橋の地点から一キロほどしか進んでいない。なのに時間は一時間も進んでいた。

 時速一キロ!

パキスタン/橋の崩落箇所
【パキスタン/橋の崩落箇所】

パキスタン/崖崩れ地帯続く
【パキスタン/崖崩れ地帯続く】

 やがて後ろから十人ほどの集団が僕に追いついた。石ころが転がっている程度の路面であれば自転車を楽に押すことができたが、ひとたび大きな岩塊がごろごろしている箇所に出くわすと、僕はあっという間に置いていかれた。

 日暮れまでに寝床のある場所に着くだろうかと、絶望にも近い不安にかられた。水や食料もちょっぴりしか持ち合わせてはいなかった。

 後ろからまた男たちが現れた。みなザックや麻袋を背負っていたが、手ぶらの男もいた。

 中年の細身の男が、大きな岩の前で苦戦している僕を手伝ってくれた。彼が後輪の荷台を持ち上げると、自転車は軽々と岩塊を越えた。しばらく僕がハンドルを持ち、彼がサドルを持ったが、やがて彼は全部持ってくれた。そのほうが速かった。彼は自転車をひょいと肩に担ぎ、すたすたと進んでいった。

パキスタン/崖崩れ地帯続く
【パキスタン/崖崩れ地帯続く】

 自然と涙がこぼれた。彼の優しさが嬉しくて、自分の非力さが情けなかった。無理だから戻れと再三僕に忠告した警官たちを振り払い、橋を越えて歩き始めた自分の無謀な愚かさを嗤った。いきがって進み始めたはいいけれど、結局他人の助けなしにはもはや自分の力で歩くことすらできないのだ。

 大粒の涙がとめどなく頬をつたった。何度拭おうとも涙は次から次へとこぼれてきた。本気で泣きながら僕はカラコルムハイウェイを歩いていた。

パキスタン/崖崩れ地帯続く
【パキスタン/崖崩れ地帯続く】

 その夜、幸運にも道路工事を請け負う軍の施設に泊まることができた。途中で合流した日本人のカップルと一緒だった。

「ここはタッタパーニーという場所なんだ」

 施設の長はキャプテンとみんなから呼ばれる軍服姿の男で、達者な英語でにこやかに僕たちを迎えてくれた。ウルドゥ語で温泉を意味するタッタパーニー。たしかに施設の外に引かれた水道管の先からは温かいお湯が流れ出していた。

パキスタン/軍の基地タッタパーニーで1泊
【パキスタン/軍の基地タッタパーニーで1泊】

 泥のような眠り。翌日はまた地獄。

 一歩足を踏み外せば奈落の底へ真っ逆さまという箇所があった。道路が完全に崩れ、さらさらの砂が斜面となって堆積していた。人が歩ける幅は、崖の際わずか三十センチほど。足跡が砂の上にびっしりと刻まれていた。

 まさに砂の滑り台。ちょっとでもしくじれば、あっという間に崖下数百メートルのインダス川に落ちるだろう。僕は自転車を分解し、荷物を五分割し、死ぬ思いでその難所を越えた。

パキスタン/幅数10センチの道
【パキスタン/幅数10センチの道】

 この日も僕はパキスタン人の温情に助けられた。十数人の集団と合流し、彼らが代わる代わる自転車を担いでくれたのだ。自転車を担ぎながらも足取りの軽い彼らの背中を見つめながら、僕はまたとぼとぼと歩き、さめざめと泣いた。

 彼らは鍋やお米を担いでおり、途中で昼食を作り始めた。当然のように彼らは、僕にもその食事を振る舞ってくれた。

パキスタン/束の間の舗装路
【パキスタン/束の間の舗装路】

「スピーディ、スピーディ」

 一緒に歩いてくれた若い男が何度も言った。僕は必死に両足を動かしたが、彼についていくのは精一杯の限界だった。自分の身体一つで歩くのが必死なほど、僕の体力は底を尽きかけていた。

パキスタン/カラコルム山脈を望む
【パキスタン/カラコルム山脈を望む】

 夕方になった。気がつくとずいぶん歩きやすい道になっていた。道が左に折れ、見通しが開けた。トラックが停まっており、荷台が乗客で満載だった。

 僕の自転車が脇に置かれていた。運んでくれたおじさんはすでに荷台に乗っていた。別のおじさんが僕にペットボトルを差し出してくれた。冷たい水が食道を通過し胃に染みわたった。

「乗りなよ」

 おじさんが言ったが、僕は首を振った。タッタパーニーのキャプテンの話がたしかなら、ここから六キロほどは車の走れる舗装路が続き、タリーチという村があるはずだった。

パキスタン/崖崩れ地帯を脱出
【パキスタン/崖崩れ地帯を脱出】

「走りたいんだ」

 へとへとに疲れ果てて自転車をこぐ力なんてもうわずかも残っていなかったけれど、それでもここまで走り続け歩き続けてきた僕に、トラックに乗るという選択肢はなかった。

(全部、走るんだ)

 トラックがエンジンを吹かし、ゆっくりと走り去っていた。僕は一人見送った。雄大なカラコルムの山容に囲まれていた。また胸に熱いものがこみあげてきた。

パキスタン/一路ギルギットへ
【パキスタン/一路ギルギットへ】

できごと 距離
2001 05 26 アメリカ 旅立ち 空路アラスカへ
08 05 メキシコ トゥーラ手前
5000
11 11 トルコ イスタンブール手前
10000
2002 04 10 ジンバブエ ビクトリアフォールズ先
15000
08 10 イラン マクー~マルカンラル間
20000
10 19 パキスタン ワガ国境を越えて、インド入国
25000
2003 01 01 インド バラナシにて年越し
21 ネパール 自転車にて入国(ビールガンジ)
02 20 ポカラ~タンセン間
28000
26 インド 自転車にて再々入国(ネパールガンジ)
03 02 仏教八大聖地巡礼達成
03 ビワール先
29000
07 再び、デリー到着
12 パキスタン 自転車にて再入国(ラホール)
24 アフガニスタン 車にて入国(ジャララバード)
25 カブール到着
04 07 パキスタン 車にて再々入国(ペシャワール)
29 中国を目指し、ラホールを出発
05 02 シンキアリ先
30000

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