自転車世界一周の旅/第135話 瀕死のガンダーラ カレー食せずラグメンをすする日々
四月七日、いよいよアフガニスタンをあとにする日がきた。一晩寝ても体調はよくならず、明らかに熱のあることが自覚できた。
早朝カブールを発つ。安いハイエースではなく、ゆったり乗れるカローラを選んだ。寒気がするので車内で寝袋を羽織った。途中ジャララバードで食事休憩をとったが、僕はまったく食欲が失せていた。
アフガニスタン (Afghanistan) |
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パキスタン・イスラム共和国 (Islamic Republic of Pakistan) |
そして国境。再びパキスタンへ。やっと帰ってきた。体調が悪かったぶんだけ、余計に安堵した。ハイバル峠を下ると、視界が開けた。ぽつぽつと緑のある平原部。工場があり、店舗があり、大きな商業広告の看板が建ち、片側二車線の幅の広い舗装路。パキスタンが先進国で、ペシャワールが大都会に思えた。
しかし、僕の体調は最悪の一途を辿った。
最初はただの疲労からくる発熱だろうと思っていた。一日二日寝ていればすぐに元気になるだろうと思っていた。ところが僕は安宿ツーリストインのベッドの上で全く動けなかった。体温計がないから熱が何度あるのかは分からなかったが、とにかく身体が重く、食欲もまるでなく、水下痢の症状があった。体力を全て吸い取られてしまったような感覚で、僕は寝たきりになった。
【パキスタン/ペシャワールの宿にて】
ゴッチンは元気だった。ツーリストインには台所があり、三度の食事はいずれもゴッチンが作ってくれたが、僕には食卓に出向く体力もなかった。
要介護の寝たきり老人のようにベッドの上で、ゴッチンが運んでくれるお粥や果物を食べた。味覚が麻痺していて、せっかく作ってくれた彼女には申し訳なかったが、味はまるで分からず、食欲もなかった。それでも食べなければいけないという必死の意志で、食べた。
「洗濯ならしてあげるで」
ゴッチンはそう言ってくれたが、僕は寝下痢をして衣服を汚していた。ふらふらになりながら僕はベッドから起き上がり、自分で洗った。
一週間たった日、僕は病院に行った。旧市街の政府系の病院は診察料が五ルピーと安く混み合っていた。医師とのやりとりはごく簡単で、僕は言われるがままベッドに横になるよう指示され、点滴を受けた。手の甲に針を刺されたのがとても痛かった。
点滴が効いたのか、少し身体が楽になったような気がした。しかし処方された薬は最悪で、僕は昼食のインスタントラーメンを吐き出した。
その後、ゴッチンの看病のお蔭で僕は少しずつながら体力を回復していた。
【パキスタン/タフティバーイ遺跡】
十日目、僕たちは思いきってタフティバーイに出かけた。その昔ペシャワールの一帯はガンダーラと呼ばれ仏教文明が栄えた。タフティバーイはガンダーラを代表する山岳仏教寺院の遺跡だった。ペシャワールからはバスとスズキを乗り継いでいかねばならず、遠かった。
【パキスタン/タフティバーイ遺跡】
坂道と石段を登りつめた山の上に遺跡は位置し、ゴッチンはほいほいと登っていったが、僕は情けないほどにへとへとだった。もう熱は下がっていると思われたが、自分でも哀れなくらいに身体に力がなかった。
僧院からの田園風景の眺めは素晴らしかったが、僕はあまり歩き回る体力がなく、修復工事をしていた人々の休憩用の縄ベッドを拝借して寝転んでしまう始末だった。
【パキスタン/ラワルピンディ近郊列車】
十一日目、僕たちは首都イスラマバードに隣接したラワールピンディに移動した。彼女はここから、北パキスタンに向かう予定だった。僕自身の中国ビザを申請するという用事もあった。いよいよこの国のビザを取るときがきたかと思うと、感慨深いものがあった。
【パキスタン/ラワルピンディのウイグル料理店】
ラワールピンディには新疆料理店があった。ラグメンと呼ばれるウイグル式の麺料理を食べることができた。体調が悪く香辛料たっぷりのパキスタン料理を食べる気のしない僕には、野菜たっぷりのラグメンがなにより美味しく感じられた。
今回の旅で最も強く印象に残る食堂だ。僕たちは足しげく毎日のように通った。少しずつ体調は回復していた。
【パキスタン/ラワルピンディのウイグル料理店】
【パキスタン/タキシラ近郊にて】
郊外のタキシラを訪れた。広範囲に僧院やストゥーパ跡が点在するガンダーラの都市遺跡だ。見所は多くて充実の観光だったが、とにかく広く、暑く、さんざん歩き回ったことで僕は、せっかく回復しかけた体調をまた崩してしまった。
それでも下痢が収まり久しぶりに固い便を見たときには、嬉しさがこみあげると同時にほっとした。
【パキスタン/タキシラ遺跡】
【パキスタン/タキシラ遺跡】
四月二十七日、ゴッチンと別れのときがきた。彼女はギルギット行の夜行バスに乗り、僕はラホール行のバスに乗る。ラホールに戻った僕は自転車でカラコルムハイウェイに挑むつもりだった。
「フンザで待っててよ」
僕は言った。ラホールからフンザまで、自転車で十日ほどと見込んでいた。体調に少し不安はあったから、ひょっとしたら遅くなるかもしれないと付け加えた。
【パキスタン/タキシラ遺跡】
【パキスタン/タキシラ近郊にて】
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | アメリカ | 旅立ち 空路アラスカへ | |
08 | 05 | メキシコ | トゥーラ手前 | 5000 |
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11 | 11 | トルコ | イスタンブール手前 | 10000 |
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2002 | 04 | 10 | ジンバブエ | ビクトリアフォールズ先 | 15000 |
08 | 10 | イラン | マクー~マルカンラル間 | 20000 |
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10 | 19 | パキスタン | ワガ国境を越えて、インド入国 | 25000 |
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12 | 03 | スリランカ | 飛行機にて入国(コロンボ) | ||
19 | インド | 飛行機にて再入国(チェンナイ) | |||
2003 | 01 | 01 | インド | バラナシにて年越し | |
04 | ブッダガヤに到着 | ||||
21 | ネパール | 自転車にて入国(ビールガンジ) | |||
24 | カトマンズ到着 | ||||
02 | 15 | アンナプルナ内院、標高4000メートルに到達 | |||
20 | ポカラ~タンセン間 | 28000 |
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26 | インド | 自転車にて再々入国(ネパールガンジ) | |||
03 | 02 | 仏教八大聖地巡礼達成 | |||
03 | ビワール先 | 29000 |
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07 | 再び、デリー到着 | ||||
12 | パキスタン | 自転車にて再入国(ラホール) | |||
24 | アフガニスタン | 車にて入国(ジャララバード) | |||
25 | カブール到着 | ||||
04 | 07 | パキスタン | 車にて再々入国(ペシャワール) |