自転車世界一周の旅/第130話 ヒッピーの聖地と呼ばれた街、戦争の爪痕が残るカブール
アフガニスタンの首都カブールに着いた。
中心部には古ぼけた高層ビルが並び、さらに驚いたことに交差点には地下道があった。平和だった七十年代以前に造られたものだろうか、地下道は恐ろしく老朽化しており、雨のため階段も通路もどろどろに汚れていたが、人々の往来は多かった。
アフガニスタン (Afghanistan) |
【アフガニスタン/首都カブール】
ラホールで仕入れた手書きの地図を参考に見つけた宿は、一階がレストランになっており、その二階に泊まることができた。男たちは雑居寝の広間に寝転がっていたが、女性用、家族用の個室もあった。個室といってもたいしたものではない。四畳半ほどの狭い絨毯敷のスペースを与えられるだけで、ベッドも椅子も何もなかった。ザック二つを部屋に転がし、南京錠をして、僕たちは早速町へ飛び出した。
【アフガニスタン/首都カブール】
通りを歩いているのは髭面の男たちが大半だったが、ときどき女性もいた。全身をすっぽり覆ったブルカ姿の女性である。
電化製品を扱う店には、中国製かロシア製か分からないが、ステレオやテレビが並んでいた。食堂の店先では美味しそうな匂いをたててケバブが焼かれていた。道端にはみ出した露店では、ボールペンやライターや電卓といった雑多な生活用品が売られていた。ライフルまでもが売られていたのには驚かされたが、興味本意で値段を聞いてみると三千アフガニー(約七千円)との答えが返ってきた。
中心部を流れるカブール川を渡ると、規模の大きなバザールがあった。ついひと月ほど前にも爆弾テロが発生したというカブールだったが、それほどの緊張感はなく、むしろ思った以上にバザールは物に溢れ、活気があった。
【アフガニスタン/首都カブール】
カブールはかつて、アジアンハイウェイの主要な中継点だった。カトマンズと並んでヒッピーの聖地と称され、旅行者天国だった。宿から歩いて十分ほどのところに、当時の安宿街チキンストリートは残っていた。
『深夜特急』の沢木耕太郎も沈没したという場所。もちろん往時の繁栄はないが、絨毯屋など土産物屋が多く立ち並び、その面影を偲ばせていた。ちらほらと身体の大きな欧米の駐留軍兵士が歩いていた。彼らを相手にして、チキンストリート時代を憶えているであろう年輩の店主たちが、呼び込みに精を出していた。
【アフガニスタン/かつての安宿街チキンストリート】
カブールは岩山に囲まれた盆地の都市。褐色の岩山に緑はなく、斜面に貼り付くようにして、やはり褐色の家並みが続いていた。
民家と民家の間の迷路のような路地を縫っていけば、岩山に登ることができた。山の頂きに建つテレビ塔の付近からは、単色の市街が一望にできた。しばし立ち尽くす。
【アフガニスタン/カブールを一望する丘の上より】
【アフガニスタン/カブールを一望する丘の上より】
川を挟んで向かいの岩山を見やると、細長い城壁が尾根をつたっていた。カブールはムガール帝国の創始者バブールの出身地であり、当時の遺構と思われた。市街地を越えて遠くを見やれば、遥か地平には白く雪をかぶった山嶺が連なっていた。反対にふと足元に目をやると、無数の薬莢が落ちていた。
カラーなのにモノクロのような、天然色なのにセピア色のような、まるで時間がずっと昔から止まってしまっているふうな、切ない景色。かつてこの町の景観が旅人に好かれた理由。と同時に、戦争で全てを破壊されたこの町の哀しみ。どちらも僕には強く感じられた。僕がこれまでに訪れた世界中のどの都市とも違う、数奇な佇まいを見せていた。
【アフガニスタン/バブール庭園】
岩山からの下り道、一人のおばさんがゴッチンに話しかけてきた。流暢な英語を話すおばさんは、自分の家に来ないかと僕たちに言った。
石を積んだ土台の上に、煉瓦と泥土を塗り固めて建てたマッチ箱のような四面の家。外から見るといかにも前時代的で貧しい印象を受けたが、木戸をくぐってお邪魔した室内は赤い絨毯が敷かれ、思った以上にすっきりとしてきれいだった。たちまち、小さな子供たちが大勢集まってきた。小学生以下とおぼしき女の子は髪を出していたが、やはり年頃の少女になるとスカーフ姿だった。
「タリバーン時代、女性は抑圧されていたわ」
おばさんは現在、農業省に勤めているのだと言った。英語も堪能なことから察するに、もともと相当なエリートなのだろうと思われた。
【アフガニスタン/カブールで出会った家族】
ゴッチンはおばさんや少女たちとわいわい話していた。おばさんの話す言葉は英語だから僕にも聴きとれたが、少女たちは男である僕には決して話しかけてこない。疎外感を感じたわけではなく、そんな女性陣の語らう様子を、僕はただ外側から穏やかに眺めていた。同じ日本人の貧乏旅行であっても、男の旅と女の旅は、周りに集まってくる人間も含めて、ずいぶんと違う。その事実に改めて気づいた。
「またおいでよ」
別れ際おばさんがゴッチンに言った。少女たちが手を振ってくれた。
【アフガニスタン/首都カブール】
【アフガニスタン/カブール動物園】
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | アメリカ | 旅立ち 空路アラスカへ | |
08 | 05 | メキシコ | トゥーラ手前 | 5000 |
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11 | 11 | トルコ | イスタンブール手前 | 10000 |
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2002 | 04 | 10 | ジンバブエ | ビクトリアフォールズ先 | 15000 |
08 | 10 | イラン | マクー~マルカンラル間 | 20000 |
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10 | 19 | パキスタン | ワガ国境を越えて、インド入国 | 25000 |
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12 | 03 | スリランカ | 飛行機にて入国(コロンボ) | ||
19 | インド | 飛行機にて再入国(チェンナイ) | |||
2003 | 01 | 01 | インド | バラナシにて年越し | |
04 | ブッダガヤに到着 | ||||
21 | ネパール | 自転車にて入国(ビールガンジ) | |||
24 | カトマンズ到着 | ||||
02 | 15 | アンナプルナ内院、標高4000メートルに到達 | |||
20 | ポカラ~タンセン間 | 28000 |
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26 | インド | 自転車にて再々入国(ネパールガンジ) | |||
03 | 02 | 仏教八大聖地巡礼達成 | |||
03 | ビワール先 | 29000 |
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07 | 再び、デリー到着 | ||||
12 | パキスタン | 自転車にて再入国(ラホール) | |||
24 | アフガニスタン | 車にて入国(ジャララバード) | |||
25 | カブール到着 |