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自転車世界一周の旅/第126話 夕暮れのタージ、若き学生旅行者に囲まれて


 サーンカーシャから一日半、僕はアグラに着いた。アグラといえばタージマハル。ムガール帝国の第五代皇帝シャー・ジャハーンが、愛する妃のために建てた白亜の大霊廟であり、インド観光の目玉としてあまりに有名だ。

 インド
(India)

インド/アグラを目指す道
【インド/アグラを目指す道】

インド/ヤムナー川沿いのタージマハル
【インド/ヤムナー川沿いのタージマハル】

 インド政府はそんな世界遺産をさしずめ「打ち出の小槌」だと思っているのだろう。二百五十ルピーの入場料に謎の税金五百ルピーを加え、七百五十ルピーという超特別料金を、外国人旅行者に対してのみ設定していた。

 これを払う気がせず、アグラ自体スキップするか迷っていたのだが、結果的には来てよかった。タージマハルの横を歩いていくとヤムナー川のほとりに出る。そこで振り向くと、巨大な白廟が目前にそびえて見えた。カメラに収まらないほどの圧倒的な大きさで迫る威圧感。知られていない場所なのか、ほかに観光客はいなかった。

 特に黄昏どきは、夕陽の落ちる方角とタージの位置が重なって浮かび上がり、なんとも幻想的であった。仏跡巡りが終わり、僕はまた旅に一つの区切りがついたことを感じた。

インド/裏から仰ぎ見るタージマハル
【インド/裏から仰ぎ見るタージマハル】

インド/夕暮れのタージマハル
【インド/夕暮れのタージマハル】

 三月上旬という季節柄、アグラには短期の学生旅行者が多かった。その一人カワシマくんは、僕が噂でしか知らないカメラ付き携帯電話を持っていた。普通のフィルムカメラも持っているが、それとは別にデジカメとして便利だそうだ。

「撮ってあげましょうか」

インド/遠くに眺めるタージマハル
【インド/遠くに眺めるタージマハル】

 僕が日本を出た二年前は、こんなものは存在しなかったが、今や常識らしい。液晶画面に表示された薄汚い顔を眺めながら、僕は自分が明らかに時代遅れになりつつあることを感じた。それが逆に、ちょっぴり愉快でもあった。

 帰国を果たしたとき、いったい日本国がどのくらい変化しているのか、自分がどれほど浦島太郎になっているのか、その格差に驚くことはこの旅の最後の楽しみだ。

インド/ヤムナー川越しのタージマハル
【インド/ヤムナー川越しのタージマハル】

インド/アグラ城
【インド/アグラ城】

*   *   *

 そして僕は首都に戻ってきた。真っ先に訪れたのはニューデリーの大使館街。インドとは思えない整備された一画に、アフガニスタンの大使館があった。ビザ業務を行う小さな小屋には、髭面のムスリム服や、シーク教徒とおぼしきターバン姿の男たちが大勢いた。

 僕は観光ビザの申請をした。パキスタンから中国へ向かう前に、アフガンに寄り道してやろうと思っていたのだ。はじめ受け取りは十日後だと言われ愕然としたが、「約束がある。もっと早くしてくれ」と頼み込んだら、四日後になった。適当なものだ。

インド/アグラからデリーへ
【インド/アグラからデリーへ】

 そしてビザ待ちの四日間。僕は博物館や日本領事館の図書室を訪れ、暇をつぶした。新聞を読むと、イラク情勢の緊迫と、世界の各地で反戦集会が開かれている模様が報じられていた。

 この冬に開通したばかりの地下鉄を乗りにも出かけた。今回開業したのは地上区間だけであったが、真新しい駅構内に、工事資金の大半が日本政府からの借り入れであることを示すパネルが飾られていた。インドではコルカタに次いで二番目であり、物珍しさからか多くの乗客で混みあっていた。

 僕もそんなオノボリさんの一人、ホームへ向かうエスカレーターがあまりに久しぶりで、降りるタイミングを測れず、危うく転びそうになった。階段が動くなんて信じられない、という気分だった。

インド/デリーの地下鉄
【インド/デリーの地下鉄】

 アグラ同様、デリーも学生旅行者が多かった。インターネット屋で隣にいた彼らは、日本語の使い方が分からずに困っていた。なんでも昨日空港に着いたばかりで、市街までのタクシーを分乗したところ、別々の場所で下ろされ、友人とはぐれてしまったのだという。

「向こうがメールを見てくれるか分からないんですけど……」

 その場では日本語環境の設定について教えただけで別れたが、夕方になって、僕は彼らとばったり再会した。無事友だちと連絡がついたようで、大勢の学生グループとなって歩いていた。

 うち一人はどこか見覚えのある顔だと思ったら、昨年の夏イスファハンで会ったことのある学生くんだった。「まだ旅を続けていたんですか!」と驚かれた。成り行きで一緒に夕食に出かけることになった。

インド/オールドデリーの食堂にて
【インド/オールドデリーの食堂にて】

「にいさん、にいさん」

 彼らに親しく話しかけられ僕はまんざらでもなかったが、年齢を聞いて厭になった。若い子はまだ十代で、僕とは一回りの差があった。食堂で、彼らに混じって僕だけが、ミネラルウォーターを注文せず、いわゆる現地水を飲んでいた。

 そうさ人間は歳をとるんだ。諸行無常。

 彼らにとってはこのインドが、狭い通りを牛が闊歩しているデリーがとても新鮮で、これからアフガニスタンへ行こうとしている僕などもまた、新鮮で驚きの存在なのだろう。

 きゃっきゃと楽しそうに春休みの旅行計画を話す彼らを見て、その若さが僕は羨ましかった。十歳近くも歳の違う男女にちやほやされながら、僕はまた寂しくなった。

※掲載媒体オーマイニュース休刊のため、127話以降未完、簡単な説明と写真のみの掲載となります。

インド/祠に向かって祈る牛
【インド/祠に向かって祈る牛】

インド/結婚式とおぼしき電飾の車列
【インド/結婚式とおぼしき電飾の車列】

出発から29426キロ(40000キロまで、あと10574キロ)

できごと 距離
2001 05 26 アメリカ 旅立ち 空路アラスカへ
08 05 メキシコ トゥーラ手前
5000
11 11 トルコ イスタンブール手前
10000
2002 04 10 ジンバブエ ビクトリアフォールズ先
15000
08 10 イラン マクー~マルカンラル間
20000
10 19 パキスタン ワガ国境を越えて、インド入国
25000
11 03 インド プシュカル先
26000
12 03 スリランカ 飛行機にて入国(コロンボ)
19 インド 飛行機にて再入国(チェンナイ)
2003 01 01 バラナシにて年越し
04 ブッダガヤに到着
16 ナーランダ付近
27000
21 ネパール 自転車にて入国(ビールガンジ)
24 カトマンズ到着
02 15 アンナプルナ内院、標高4000メートルに到達
20 ポカラ~タンセン間
28000
26 インド 自転車にて再々入国(ネパールガンジ)
03 02 仏教八大聖地巡礼達成
03 ビワール先
29000
07 再び、デリー到着

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