自転車世界一周の旅/第124話 生誕の地ルンビニ~太鼓を叩いて経を読む
ポカラから南の峠を越え、次の目的地はルンビニ。仏教四大聖地の一つ生誕の地、すなわちブッダが生まれた場所である。
ネパール王国 (Kingdom of Nepal) |
【ネパール/ポカラからルンビニへ】
【ネパール/ルンビニの入口バイラワの町】
僕はルンビニ村の北端に建つ日本山妙法寺を訪れた。妙法寺は日蓮宗の流れを汲むが、日本国内よりもむしろ海外での活動に重きをおく独立した宗派だった。
ルンビニ妙法寺の上人はサトウ上人といい、まだ若く三十代だろうと思われた。もう一人デェプくんという眼鏡のお坊さんがいて、外見からてっきり日本人だと思ったのだが、ダージリン出身のインド人だった。
「厳しいですよ、うちは」
泊まりたいと申し出る僕に、サトウ上人はきっぱりと言った。妙法寺は旅行者の宿泊が可能だが、朝晩のお勤めが課せられ、これが生半可ではないと評判だった。
【ネパール/ルンビニの園】
朝のお勤めは午前五時から。円くて薄いフライパンのような太鼓を叩きながら、ルンビニの村を歩いて巡る。
「南無妙法蓮華経~、南無妙法蓮華経~」
お経を唱えながらサトウ上人はとても早足で、僕はついていくのが大変だった。まだ薄暗い時間帯、妙法寺から南に進むと、広々とした野っ原に、やがて左右に寺院の姿が見えてきた。そのたびに上人は立ち止まり、太鼓を鳴らし、三回礼をした。
「タイのお寺です。向こうは中国のお寺です」
【ネパール/ルンビニの園】
短く説明をしてくださった。やがてマーヤー堂に達した。沐浴場があり、アショカ王の石柱があった。真新しい四角い建物が建設中であった。中に入ることはできなかったが、窓から中を覗き込むと、古い仏像と石板がそこにはあった。
「ブッダのお生まれになった場所です」
仏典によれば、ブッダの実母マーヤー夫人は故郷に帰る途中、ここルンビニの園で急に産気づき、そして長男シッダルタを出産した。脇の下から生まれたシッダルタは七歩歩き、「天上天下唯我独尊」と宣言したとされている。
マーヤー堂をあとにして、近郊の集落に向かう。空は徐々に白み始めていた。
【ネパール/マーヤー堂】
【ネパール/マーヤー堂】
東の地平からオレンジ色の太陽が昇ろういうとき、上人は畑のただ中で歩みを止めた。
「南無妙法蓮華経~」
やがて村に入ると、太鼓の音を聞きつけて、家々から子供たちが現れた。そのたびに上人は立ち止まり、祈り、子供たちの頭を撫でた。子供たちもまた、上人と僕が太鼓を叩いている間は、じっと両手を合わせておとなしくしていた。
一人の男性がサトウ上人を呼んだ。そこは茶店であり、男性は僕たちに一杯のチャイをお布施してくれた。すでに一時間以上早足で歩きっぱなしである。半端な体力ではない自信はあったが、それでも僕は相当に疲れていた。徒歩と自転車では、使う筋肉が違うのだ。砂糖とミルクたっぷりのチャイが身と心に滲みた。
さらに村を巡り、妙法寺に戻ってきた頃には太陽はもうかなり高く、午前八時半を過ぎていた。
【ネパール/ルンビニの日本山妙法寺】
夕方もまたお勤めがあった。仏前にて二時間、お経を唱えるのだ。
「南無妙法蓮華経~」
お寺の境内に座して、太鼓を叩く。一定のリズムで、ひたすら繰り返す。ときどきネパール人の家族連れがお参りに来た。お祈りをする子供たちに、サトウ上人は粉のようなものをふり渡す。プージャと呼ばれる礼拝の儀式だ。何人かの子供たちは太鼓を渡され、しばらく叩いたあとで帰っていった。
夕方のお勤めはデェプくんも一緒だった。彼は二年半ルンビニにいるそうで、母語はチベット語だが、よく話せるのはヒンドゥ語と英語だと言った。妙法寺で唱える日本のお経を、彼はローマ字文で読んでいた。
ただ座ってお経を唱えているだけではあったが、正座し続けるのは楽ではなく、朝の歩き続けのお勤めと同じくらい、これもまた大変だった。最後に敷地内をぐるりと歩き、真っ白なストゥーパを一巡り。そして七時すぎ、ようやく終了となった。
【ネパール/ルンビニの日本山妙法寺】
食事はご飯にふりかけに味噌汁。簡素だが和食であるのが嬉しかった。食事をとりながら、サトウ上人は自分の話をしてくださった。
ルンビニには三年ほどいること、その以前はアフリカにいたこと、南アでは強盗に遭ったが、「南無妙法蓮華経」と太鼓を叩き続けることで、強盗を追い払ったこと。
「私も昔はバックパッカーだったんですよ」
サトウ上人は話を続けた。かつて僕と似たような長い旅を続けていたが、その途上で妙法寺に出会い、ザンビアにある妙法寺で出家したのだと言った。
「こうして仏に仕え、平和を祈る生活は幸せです」
夜、僕はここの名物であるというお風呂に入った。ただのお風呂ではない。囲いこそしてあったが、それは露天であり、五右衛門風呂だった。ドラム缶風呂につかり、空を見上げると、満天の星が広がっていた。
ブッダの生まれた夜にも、変わらず輝いていたはずの星々である。
【ネパール/カピラバストゥ遺跡】
【ネパール/カピラバストゥ遺跡】
【ネパール/カピラバストゥ裏手の川】
出発から28138キロ(40000キロまで、あと11862キロ)
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | アメリカ | 旅立ち 空路アラスカへ | |
08 | 05 | メキシコ | トゥーラ手前 | 5000 |
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11 | 11 | トルコ | イスタンブール手前 | 10000 |
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2002 | 04 | 10 | ジンバブエ | ビクトリアフォールズ先 | 15000 |
05 | 26 | トルコ | 旅立ち1周年 南アフリカから飛行機にて入国 | ||
07 | 20 | アジア全走行を目指し、55日ぶりにイスタンブール発 | |||
08 | 10 | イラン | マクー~マルカンラル間 | 20000 |
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10 | 19 | パキスタン | ワガ国境を越えて、インド入国 | 25000 |
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25 | デリー到着 | ||||
11 | 03 | プシュカル先 | 26000 |
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09 | ムンバイ行きの夜行列車で自転車が壊される | ||||
12 | 03 | スリランカ | 飛行機にて入国(コロンボ) | ||
19 | インド | 飛行機にて再入国(チェンナイ) | |||
2003 | 01 | 01 | バラナシにて年越し | ||
04 | ブッダガヤに到着 | ||||
16 | ナーランダ付近 | 27000 |
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21 | ネパール | 自転車にて入国(ビールガンジ) | |||
24 | カトマンズ到着 | ||||
02 | 15 | アンナプルナ内院、標高4000メートルに到達 | |||
20 | ポカラ~タンセン間 | 28000 |