自転車世界一周の旅/第121話 自転車の修理、合羽購入、そしてカジノに大金を
僕にはもう一つ、このカトマンズでしなくてはいけない大事な用事があった。それは自転車の修理である。
イタリアで購入した二代目は、すでに一年四ヶ月の年数を経て、二万キロ以上の道のりを走っていた。エチオピアで壊れ、南アフリカでも壊れ、トルコで数点の部品を交換し、インドでも三たび壊れていた。チューブやタイヤはもう何度交換したかしれない。ハンドルはがたつき、ギアは入りが悪く、音鳴りもひどかった。
ネパール王国 (Kingdom of Nepal) |
【ネパール/タメルゲストハウスの屋上】
自転車をまともに修理しようと思えば、カトマンズしかなかった。旅行者向けのレンタサイクルや、ヒマラヤのマウンテンバイクツアーの需要があるからだろう。ネパールの自転車屋には、インドでは見かけないギア部品が揃っていた。町なかで、普通にギア付きの自転車を見かけることも多かった。
傷んでいたチェーンと後輪ギア板、変速機を交換し、クランク軸部やハンドル部の締め直し、さらに微細の調整や注油など総合的な整備を依頼すると、日本製の部品に工賃を全て合わせて、七千五百ルピー(約一万二千円)になった。一泊百ルピー(約百六十円)の安宿生活を続けている身にしたら、それは驚異的に高額な出費だった。
しかし、旅はまだ長い。中国製の廉価な部品で妥協して、すぐ故障されても困るのだ。修理の終わった自転車を受け取り、試走して、ペダル回りがずいぶん軽くなったことを実感し、僕はその額に納得した。日本まで走り続けるための、これは必要経費だ。
【ネパール/修理を終えた自転車で走る】
カトマンズで僕は合羽も購入した。グアテマラで自転車と一緒に強盗に盗まれて以来、僕は合羽を持たないチャリダーであり、折畳傘しか雨具を持ってはいなかった。砂漠地帯が多く、数えるほどしか雨に降られることもなく、それでも平気だったのだ。
タメル地区に並ぶ登山用品店で、ゴアテックスの合羽が上下三千円ルピー(約四千八百円)で売っていた。中国製のニセモノ説が高く、「生地は本物でも、縫合がまずいから、結局そこから湿気が浸透してくるらしいですよ」などという噂を聞いた。
でも僕は買った。ネパールでは標高四千メートルのトレッキングをしようと思っていたし、今後パキスタンから中国へ至るカラコルムハイウェイには、四千七百メートルのフンジュラブ峠が待っている。雨だけではなく雪風、防寒対策としても合羽は必要だった。
古本屋で『地球の歩き方』中国シルクロード編を見つけ、これも買った。中国から日本を目指す最後の道。旅の最終局面がちらちらと頭に浮かんだ。
【ネパール/第三の古都バグダプル】
【ネパール/郊外の古都パタン】
カトマンズにはカジノがあった。一般のネパール人は立入禁止だが、日本人なら貧乏旅行者でも入場することができた。いったん中に入れば、お金は賭けるも賭けないも自由で、内設されたレストランでは飲食が無料だった。だから一部のせこい長期旅行者たちは、ただ飲みただ食いを求めてカジノを訪れるのだ。
僕は一度体験してみたくて、同行者を誘った。ゴッチンと、エミちゃんと、カマル、ほかにタメルゲストハウスにいた日本人男性二人を含め、総勢六人になった。ネパール人のカマルは本来入場不可だが、僕たちの間に混ざり、日本人御一行のふりをした。
門番に恭しく一礼され、重厚な扉をくぐると、そこは上流階級の社交場。その雰囲気に僕たちはまず気おされた。入口にスロット、右手にトランプやルーレット、正面にビリヤード、そして奥に食事のできるレストランスペースがあった。
客は華僑が多かった。スーツを着込んだ者も、わりとラフな恰好の人たちもいたが、立ち振る舞いがいかにも金持ち然としていた。おしゃれな白人の姿もちらほらと見受けられた。彫りの深い浅黒い顔立ちはインドの富裕層だろう。
【ネパール/タメルゲストハウスのロビー】
エミちゃんは以前も来たことがあるそうで慣れた様子だったが、カマルはあっけにとられた表情でこちこちになっていた。無理もない。彼のようなごく普通のネパール人は、まっとうな勤め人であろうがなかろうが、一切ここには立ち入れないのだ。なのに、僕たちみたいにふらふらと旅を続けている連中は、ただ外国人であるという理由で、平然とやって来ることができる。もし僕が彼の立場だったら、どうしようもなく悔しくてやるせない気分になるだろう。
さらにネパール人にとって屈辱的なことに、カジノチップはインドルピー建てだった。僕はせっかくなので少し遊んでみようと思い、千ネパールルピー(約千六百円)を六百インドルピーに両替し、チップに換えた。トランプはよくルールが分からなかったので、簡単そうなルーレットに賭けた。何度目かに三十六倍の大当たりで、チップは倍になった。大いに白熱した。
しかし結局は負けがこみ、全額をすった。
【ネパール/第三の古都バグダプル】
出発から27639キロ(40000キロまで、あと12361キロ)
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | アメリカ | 旅立ち 空路アラスカへ | |
08 | 05 | メキシコ | トゥーラ手前 | 5000 |
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11 | 11 | トルコ | イスタンブール手前 | 10000 |
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2002 | 04 | 10 | ジンバブエ | ビクトリアフォールズ先 | 15000 |
05 | 26 | トルコ | 旅立ち1周年 南アフリカから飛行機にて入国 | ||
07 | 20 | アジア全走行を目指し、55日ぶりにイスタンブール発 | |||
08 | 10 | イラン | マクー~マルカンラル間 | 20000 |
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10 | 19 | パキスタン | ワガ国境を越えて、インド入国 | 25000 |
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25 | デリー到着 | ||||
11 | 03 | プシュカル先 | 26000 |
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09 | ムンバイ行きの夜行列車で自転車が壊される | ||||
12 | 03 | スリランカ | 飛行機にて入国(コロンボ) | ||
19 | インド | 飛行機にて再入国(チェンナイ) | |||
2003 | 01 | 01 | バラナシにて年越し | ||
04 | ブッダガヤに到着 | ||||
16 | ナーランダ付近 | 27000 |
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21 | ネパール | 自転車にて入国(ビールガンジ) | |||
24 | カトマンズ到着 |