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自転車世界一周の旅/第119話 カトマンズ~食と宗教の都で生命の重さを知る


 一月二十四日、僕はカトマンズに入京した。

 ネパール王国
(Kingdom of Nepal)

ネパール/国境の町ビールガンジ
【ネパール/国境の町ビールガンジ】

ネパール/標高2488メートルの峠
【ネパール/標高2488メートルの峠】

 標高千メートルの盆地にもかかわらず、日が射すため、北インドの平野部よりも暖かかった。バラナシで熱を出し、モティハリで極寒の夜明かしを体験した身としては、ネパールがどれほど寒いかというのは恐怖だったが、これは意外な嬉しさだった。

 表通りは道も広く、こぎれいな店鋪が並んでいた。そこから小道に入り、ジグザグの路地を抜けていくと、突然視界が開けた。木造の五重の塔が、どん、と目の前に現れた。ネパール王国の中心、木造寺院に囲まれたダルバール広場だった。外国人旅行者は入場料が必要なはずだが、僕はいつの間にか自転車のまま迷い込んでしまったようだ。

 おびただしい数の鳩の群れがいた。インド系の彫りの深い顔と、東洋系の丸まっこい顔が入り混じっており、不思議な気持ちがした。日本人にも似た顔立ちにほっとするのか、木のぬくもりに癒やされるのか、はたまたヒマラヤに抱かれたこの土地が醸し出す独特の宗教空間が心地よいのか。僕はこの町を気に入っていた。

ネパール/カトマンズの中心、ダルバール広場
【ネパール/カトマンズの中心、ダルバール広場】

ネパール/インドから続く平原の北端
【ネパール/インドから続く平原の北端】

 また長期旅行者にとって、カトマンズは食の都である。世界中からヒマラヤ目当ての旅行者が集まるからだろう。安宿街タメルには、イタリア料理や韓国料理など、各国料理の店が充実していた。もちろん、日本食もあった。

 学生時代、長くても一ヶ月程度の旅行しか経験がなかった頃は、外国に来てまで和食が食べたいとはさほど思わなかったが、日本を離れて一年以上も経つと、恋しくてたまらなくなる。海外での日本食というと、やたらに高額だったり、あるいは勘違いのまがい物だったりするが、カトマンズでその心配はなかった。初日の夜、百五十ルピーのナス味噌炒め定食に、僕は涙した。

 地酒が飲めるというチベット式の居酒屋を訪れたこともあった。狭い店内に男たちがたむろしていた。樽の形をした容器に、白い小さな発酵したつぶつぶが入っている。それにお湯を注いで、ストローで飲む。お湯を何度でもつぎ足してくれるから、おかわりが自由だった。トゥンバと呼ばれるそのお酒は、ちょっと癖のある日本酒のような味がした。

 ネパールの主要宗教はヒンドゥ教であるが、市内には仏教寺院も多かった。文殊菩薩が建てたという伝説の仏塔スワヤンブナート、チベット系のボダナート寺院などを訪れた。ブッダガヤでは一種のお祭り騒ぎで感じ取れなかった、生活に密着したチベット仏教の姿がそこにはあった。

ネパール/カトマンズ、スワヤンブナート寺院
【ネパール/カトマンズ、スワヤンブナート寺院】

ネパール/カトマンズ、ボダナート寺院
【ネパール/カトマンズ、ボダナート寺院】

*   *   *

 そんなカトマンズの観光で最も印象に残ったのは、ヒンドゥ寺院のパシュパティナート。市街の西を流れるバグマティ川沿いに立地し、川原ではいくつもの焚き火が焚かれていた。焚き火の周囲には、地元の人も、外国人観光客もいて、重苦しい空気があった。

 その人だかりの多さに、僕はまず驚いた。しかし、僕ははじめ、その炎の意味を理解できなかった。

「腕が上がってきてる……」

ネパール/カトマンズ、パシュパティナート寺院
【ネパール/カトマンズ、パシュパティナート寺院】

 震える声で誰かがつぶやいた。僕はそこでようやく気づいた。炎に焚かれていたもの、それは人間だった。人間の骸が台上に横たわり、薪の上に盛られた藁の山から、黒く焦げた手足が剥き出しになっていた。係の男がねじれ曲がった黒い腕を棒で無造作に押し込み、新たな薪をくべていた。啜り泣く声が聞こえた。大声で泣いている女性もいた。家族に抱きかかえられ、すがるようにして、泣き続けていた。

 この旅に出る二ヶ月ほど前に祖父が亡くなった。そのときの葬儀の様子を、僕は思い出した。死装束に包まれた祖父は、棺の中に納められ、電子制御の竈の中に入れられた。鉄扉の向こうで、僕たちの見えないところで、高温の炎に焼かれた。

 一方ここでは、視界を遮るものはない。目の前で遺体が焼かれている。人間が焼かれている。

(人が死ぬというのはこういうことなんだ。火葬というのはこういうものなのだ)

ネパール/首都カトマンズを目指す
【ネパール/首都カトマンズを目指す】

ネパール/峠道の途中
【ネパール/峠道の途中】

 僕は頭を殴られるような衝撃を覚えた。死はそこにある。どんなに隠そうとしても、死はそこにある。炎がぱちぱちと音をたてて弾けた。昨日カトマンズの郊外でバス事故があり、数十人が命を落とした。そのため今日は特に火葬が多いらしい。

 小さな火葬台には、新しい白い布に包まれた亡骸がまた載せられた。目の前で薪と藁がくべられ、火が点けられた。人間の遺体は水分が多いから、燃え切るにはかなりの時間がかかるという。

 家族が泣いていた。炎がゆらりと燃えていた。人はいつか死ぬ。寿命の尽きる死であろうと、不意の不幸な死であっても。僕は三十年近く生きてきて、そんな当たり前のことを、初めて実感したように思った。

 その生命の重さの分だけ、炎は燃え続ける。

ネパール/山腹の集落ラミタンダ
【ネパール/山腹の集落ラミタンダ】

ネパール/ヒマラヤを望む下り坂
【ネパール/ヒマラヤを望む下り坂】

出発から27570キロ(40000キロまで、あと12430キロ)

できごと 距離
2001 05 26 アメリカ 旅立ち 空路アラスカへ
08 05 メキシコ トゥーラ手前
5000
11 11 トルコ イスタンブール手前
10000
2002 04 10 ジンバブエ ビクトリアフォールズ先
15000
05 26 トルコ 旅立ち1周年 南アフリカから飛行機にて入国
07 20 アジア全走行を目指し、55日ぶりにイスタンブール発
08 10 イラン マクー~マルカンラル間
20000
10 19 パキスタン ワガ国境を越えて、インド入国
25000
25 デリー到着
11 03 プシュカル先
26000
09 ムンバイ行きの夜行列車で自転車が壊される
12 03 スリランカ 飛行機にて入国(コロンボ)
19 インド 飛行機にて再入国(チェンナイ)
2003 01 01 バラナシにて年越し
04 ブッダガヤに到着
16 ナーランダ付近
27000
21 ネパール 自転車にて入国(ビールガンジ)
24 カトマンズ到着

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