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自転車世界一周の旅/第116話 熱狂のチベット祭典、ダライ・ラマ来たる


 日が経つにつれ、ブッダガヤはチベット色に染っていた。あちこちで、あずき色の袈裟を着たチベット僧の集団が闊歩し、チベット料理を出す店が開き、チベットパンを売る露店が並んでいた。

 それには理由があった。チベット仏教の祭典であるカルチャクラの開催が迫り、最高指導者のダライ・ラマ十四世が来る予定となっていたのだ。

 インド
(India)

インド/ネーランジャ川
【インド/ネーランジャ川】

「カルチャクラって、漢字だと『時輪』て書くんですよ」

 マサキくんが教えてくれた。毎年この時期にブッダガヤではチベット仏教の祭典が催されるのだが、十数年に一度ダライ・ラマを招いて特に大きな宗教行事が行われる。それがカルチャクラだった。

 中国の露骨な干渉を受けて、多くのチベット人がインドに亡命してきている。ダライ・ラマの亡命政府もインド北部のダラムシャラーに置かれている。道行くチベット人の多くが「FREE TIBET(チベットに自由を)」と書かれたマスクをしていた。中国による虐殺を訴える写真展も開かれていた。

インド/川の対岸、スジャータゆかりの祠
【インド/川の対岸、スジャータゆかりの祠】

 カルチャクラの影響で、宿の値段は高騰していた。僕が泊まっていた宿も倍額になり、追い出されることになった。仕方ないのでブッダガヤを出て行こうかと思ったが、トモノくんの紹介で、民泊先が見つかった。

 日本語を話すスレンドラさんの家は、マハーボディ寺院のすぐ裏手にあった。周囲には土壁の粗末な家が並び、鼻水を垂らした子供たちが駆け回っていた。路上で食事をとる男たちや、毛づくろいをする女たちがいた。

 スレンドラさんの家は少し立派で、敷地の中に井戸があった。テレビもあった。別の部屋にはチベット人たちが泊まっていた。

「お金がない。お金がない」

 スレンドラさんは口癖のように言っていた。彼には子供が七人もいて、上二人の娘はすでに結婚、三番目の十六歳の娘も四月に結婚が決まっていた。息子は末っ子の一人だけなので、大変だと話した。インドでは結婚に際し、嫁側の家族が婿側の家族に仕度金を払わなければいけないという慣習がある。そのためもあって、より男の子を欲しがるのだ。

「もうひと部屋あります。誰か日本人がいたら連れてきて下さい」

 スレンドラさんはしつこいくらいに繰り返していた。

インド/民泊した家の屋上から
【インド/民泊した家の屋上から】

 トモノくんが民泊していたアショカさんの家で、チキンパーティーをやろうという話になり、近所の鶏屋に買いに行った。インドでは生きた鶏が店先に並んでいる。檻に入れられ、コケコッコと騒いでいる。

 アショカさんが適当に選ぶと、店員がその一羽の脚をむんずと掴み、檻から出してくれた。運命を察した鶏は猛然と暴れるのだが、店員は手際よくまな板の上に載せ、あっさり首を刎ねた。

 数時間後、辛味の効いたチキンカレーがお皿に盛られた。もちろん右手で直接食べるのがしきたりだ。インド製のビールで乾杯した。ビールが空になると、アショカさんは地酒を持ってきてくれた。この村でも咲いている白い花から蒸留して作られるというお酒だった。臭みがあったが、慣れてくるとけっこう飲めた。

 夜が更けて寒くなってくると、今度は乾燥させた牛糞が運ばれてきた。牛糞に火をつけて暖をとるのがインド流だった。

「牛糞あったけえなあ」

「ブッダの時代から変わってないんだろうな」

 仏教の聖地で、不殺生戒、不飲酒戒を犯しながら、僕たちは笑った。

インド/地酒を飲み、牛糞で暖をとる
【インド/地酒を飲み、牛糞で暖をとる】

*   *   *

 ダライ・ラマがブッダガヤにやってきた。特設された会場で、カルチャクラの法要が執り行われた。

 会場は広かったが、その大半はチベット人用の敷地であり、外国人向けの観覧場所は狭く限定されていた。そしてまるで花見の陣取りのように、ここは台湾人の団体、ここは西洋人のグループというように占領されていた。若い僧侶たちがバター茶入りのやかんを持って走り回っていた。

 壇上にダライ・ラマが現れた。彼の説法が会場に響いた。チベットの人々にとってはまさに熱狂すべきときなのだろう。とにかく凄まじい混雑で、熱気に包まれていた。用意されたスピーカーからは英語の同時通訳も流された。しかしただでさえ難解な仏教用語であり、僕にはほとんど聞き取れなかった。

インド/カルチャクラ、マハーボディ寺院での儀式
【インド/カルチャクラ、マハーボディ寺院での儀式】

 一方ブッダガヤに増えたのは、チベット人だけではなかった。どこからともなく物乞いも集まっていた。稼ぎ時とにらんで、遠い村からはるばる歩いてやってくるのだろう。その人数は日を追うごとに増加していた。

 子供も多く、決まって「ペンをちょうだい」と手を差し伸べてきた。日本の援助団体が学校を建てているらしいのだが、こうしてペンやノートをねだる子供たちが、それを売って現金化してしまうことも知っていた。

 僕はやっぱり違和感を拭い去ることができなかった。お祭りに浮かれていない、普段の平静な仏教聖地が見たかった。

インド/民泊した家の家族と
【インド/民泊した家の家族と】

出発から26857キロ(40000キロまで、あと13143キロ)

できごと 距離
2001 05 26 アメリカ 旅立ち 空路アラスカへ
08 05 メキシコ トゥーラ手前
5000
11 11 トルコ イスタンブール手前
10000
2002 04 10 ジンバブエ ビクトリアフォールズ先
15000
05 26 トルコ 旅立ち1周年 南アフリカから飛行機にて入国
07 20 アジア全走行を目指し、55日ぶりにイスタンブール発
08 10 イラン マクー~マルカンラル間
20000
19 アーベイェク市内
21000
09 06 ヤズド~メフリーズ間
22000
17 パキスタン クイ・タフタン先
23000
27 デラ・アラー・ヤル付近
24000
10 07 ラホール到着
19 ワガ国境
25000
19 インド 自転車にて入国(アムリトサル)
25 デリー到着
11 03 プシュカル先
26000
09 ムンバイ行きの夜行列車で自転車が壊される
12 03 スリランカ 飛行機にて入国(コロンボ)
19 インド 飛行機にて再入国(チェンナイ)
2003 01 01 バラナシにて年越し
04 ブッダガヤに到着

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