自転車世界一周の旅/第113話 初転法輪の地サールナート~耳に届かぬブッダの声
「サールナートヘ行こうよ」
久美子ハウスで、誰からともなく言い出した。熱が収まり、ようやく体調が回復してきた頃だった。カズヤくん、ステファニー、ユカちゃん、ゴッチン、イスラエル人のロタ、ほかに近所の宿に泊まっている数人も加わって、総勢十名のツアーになった。
インド (India) |
【インド/バラナシ、ガンガーを望んで】
サールナートはバラナシ郊外に位置する仏教の聖地、十キロほど離れているため、オートリキシャで行くのが便利だった。人数が多いので二台に分乗した。三十分くらいだろうか、僕たちを乗せたオートリキシャは狭い道をくねくねと進み、やがて少し開けた道に出た。前方に大きな仏塔が見えた。
サールナート。日本では漢訳で鹿野苑と呼ばれている。ブッダガヤの地で悟りを開いたブッダは、まず黙々とバラナシを目指した。ガンガーのほとりのバラナシは、当時から修行者が集まる宗教的に重要な場所とされていたのだ。そしてブッダは、バラナシ郊外に広がる鹿たちの遊ぶ園、鹿野苑で、かつて苦行を共にした五人の旧友たちに出会った。
サールナートこそは、ブッダが、自らが会得したこの世の真理を、初めて他者に語って聴かせた場所である。仏教が歴史的な第一歩を踏み出した土地であり、それ故に仏教四大聖地の一つとされていた。
「こっちだ」
カズヤくんが僕たちを先導した。病み上がりのせいか、リキシャに酔ったのか、僕はふわふわとした足取りで、周囲の会話がなぜか遠くから聞こえてくるような気がした。隣を歩いていたゴッチンの声さえ、あるいは自分の口から発せられている声さえ、少し離れたところに置かれたスピーカーから拡声されて聞こえてくるような感覚だった。
【インド/サールナート、最初の説法】
六世紀に建造された仏塔ダメーク・ストゥーパの横を迂回し、僕たちは園地に入った。整備された緑の芝生が広がっていた。生い茂る菩提樹の下に数体の像が鎮座していた。最初の説法を行うブッダと、五人の修行者たちの像だった。
あずき色の袈裟を着たチベット人の巡礼者たちが、全身を地面に投げ出す五体投地を繰り返していた。日本人か韓国人か台湾人か分からないが、額の前で手を合わせ、そっと祈っていた。西洋人の観光客が記念撮影をしていた。僕はその模様を、まるで全くの部外者であるかのように、外側から眺めていた。
中央に小さな寺院があった。熱がぶり返したのか、先程飲んだラッシーがまずかったのか、宙に浮いたような意識のまま、靴を脱ぎ、僕は寺院の中に入った。その刹那、まるで映画の場面が切り替わるような感覚があった。
静寂とした寺院の内部だった。日本人絵師が描いたという仏画が壁に描かれていた。座禅を組むブッダや、祈りを捧げる弟子たちや、ブッダの成道を邪魔しようとする悪魔たちの姿が、次から次へと僕の眼前に押し寄せてきた。場面がまた切り替わった。
寺院の外にいた。いつのまにか緑の園地に、車座になって座っていた。
「やばかったねえ、さっきの絵」
カズヤくんが楽しそうに言った。彼は久美子ハウスから持ってきたギターを静かに演奏していた。
【インド/サールナートの園】
ブッダの言葉を聴いた五人の旧友は、最初の弟子になった。やがてブッダのもとに集まる修行者は増え、一般庶民も、賤民も、一国の王さえも、その教えに心を打たれるようになる。
先程と同じ静寂。みんな黙っている。近くの音が小さく聴こえ、遠くの音が大きく聴こえた。木々のざわめきとか、遠くでエンジンを噴かすリキシャの音などが、静かにはっきりと響いた。カズヤくんの奏でるギターの音が聴こえた。しじまが破られ、ユカちゃんがゴッチンに話しかける声が聞こえた。周囲を歩いているインド人たちのざわめきが妙に耳に障った。
その全てがブッダの声のようであり、同時にまるで意味のないただの雑音のようであった。
そして二〇〇二年の最後の日が訪れた。バラナシは雨。一段と寒かった。冴えない年越しだなと、僕は思った。本当は年内にバラナシを発ち、ブッダガヤで正月を迎えたかったのだが、風邪が長引いたために計画が狂っていた。
大晦日の夕食は、すき焼きと年越しそばだった。クミコさんの作る日本食が、久美子ハウスの大きなウリであり、たしかにとても美味しかった。
「来年てなに年だっけ?」
「ひつじ!」
女性の宿泊者が多いこともあって、宿の雰囲気も随分と明るかった。でも、何かが物足りない。僕はバグダッドで食べた昨年の年越しそばを思い出した。旅に前向きだったあの頃が懐かしかった。日本を離れてからすでに一年七ヶ月、当初の予定では、もう帰国しているはずの時期だった。
(僕はこの旅でいったい、何を得て、何を失ったのだろう? 旅に飽いてまで、なお、どこまで旅を続けるのだろう)
【インド/バラナシのガートの階段】
出発から26593キロ(40000キロまで、あと13407キロ)
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | アメリカ | 旅立ち 空路アラスカへ | |
08 | 05 | メキシコ | トゥーラ手前 | 5000 |
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11 | 11 | トルコ | イスタンブール手前 | 10000 |
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2002 | 04 | 10 | ジンバブエ | ビクトリアフォールズ先 | 15000 |
05 | 26 | トルコ | 旅立ち1周年 南アフリカから飛行機にて入国 | ||
07 | 20 | アジア全走行を目指し、55日ぶりにイスタンブール発 | |||
08 | 10 | イラン | マクー~マルカンラル間 | 20000 |
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19 | アーベイェク市内 | 21000 |
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09 | 06 | ヤズド~メフリーズ間 | 22000 |
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17 | パキスタン | クイ・タフタン先 | 23000 |
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27 | デラ・アラー・ヤル付近 | 24000 |
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10 | 07 | ラホール到着 | |||
19 | ワガ国境 | 25000 |
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19 | インド | 自転車にて入国(アムリトサル) | |||
25 | デリー到着 | ||||
11 | 03 | プシュカル先 | 26000 |
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09 | ムンバイ行きの夜行列車で自転車が壊される | ||||
12 | 03 | スリランカ | 飛行機にて入国(コロンボ) | ||
19 | インド | 飛行機にて再入国(チェンナイ) | |||
2003 | 01 | 01 | バラナシにて年越し |