自転車世界一周の旅/第112話 バラナシ~伝説の日本人宿久美子ハウス
十二月二十四日、僕はバラナシに戻ってきた。久美子ハウスには見覚えのある顔が二人いた。一人はカズヤくんという学生、ごついロンゲのドレッドヘアで、よくギターを引いていた。ガンジャ好きでもある彼は十一月からずっと沈没しており、宿の主のような存在になっていた。
インド (India) |
【インド/コルカタからバラナシへ向かう列車】
もう一人は短髪で小太りの男、一目見て僕はぎょっとした。去年の十一月、イスタンブールのコンヤペンションで出会ったノブだった。半年後、アフリカ大陸の旅を終えて、再びイスタンブールに戻ってきたとき、彼は別の宿に移り、なぜかコンヤの悪口を触れ回るようになっていた。とりわけ看板娘のエリフと、その家族に対する個人攻撃がひどかった。
僕は、トルコから東に向かう旅の過程でも、彼が懲りずに悪口を言い続けていると知っていた。イスファハンでもラホールでも、日本人バックパッカーたちの間で、ちょっとした話題になっていたからだ。
「彼ずっと旅しているんでしょ。ずっと旅しているうちにおかしくなっちゃったのよ」
エリフの台詞が思い出された。まさかこんなところで再会するとは思わなかった。にらみつけると、ノブは気まずそうに目をそらした。僕はよほど文句をぶつけてやろうかと思ったが、言葉が口をついて出なかった。
インドでもスリランカでも、僕は些細なトラブルで、現地の人とけんかになることが多かった。旅が長くなり過ぎたがゆえの弊害であると、自分でも認識していた。
「キフネさんは彼みたいにならないでよ」
いつかエリフに言われた言葉が、そのときは一笑に付したはずなのに、なぜだか自分に跳ね返っていた。
真っ昼間だったが、久美子ハウスの大部屋には何人かの男女がたむろしていた。そのうちの一人、ヒデくんという男が声をかけてきた。
「旅、長そうすね」
「まあ、そうですね。長いですよ」
僕は答えた。
「今から何人かで飯食いに行くんですけど、よかったら行きます?」
僕はうなずいた。旅の長さをまた見抜かれたことで、複雑な気分だった。
【インド/久美子ハウスにて】
久美子ハウスのすぐ裏手のガートから、ガンジス川を行き来する舟に乗ることができた。ヒデくんやカズヤくんたちと総勢八人ほど、一人だけカナダ人の女がいた。ステファニーという名前で、驚くほど白い髪の毛をしていて、「キマッテル」とか「タイマ」とか、ろくでもない日本語を喋っては、みんなを笑わせていた。
五分ほど舟に揺られ、上流のガートに着いた。舟賃は一人十ルピー。僕がルピー硬貨を取り出したコンヤペンションの財布を見て、切れ長の目をしたユカちゃんと、おかっぱ頭のエミちゃんが言った。
「あれ、あの人もトルコの財布持ってるよ」
「あ、ほんとだ」
聞けば二人ともトルコのほうから旅行を続けているらしい。みんなでピザを食べ、装身具の店を冷やかしつつ、帰りはガンガー沿いを歩いた。大勢でわいわい食事に行く雰囲気は好きだったし、久しぶりに西からの旅行者に出会って、僕は少し嬉しかった。
クリケットをして遊ぶ子供たちがいた。この寒いのに、川に入り沐浴で身を清めている人々がいた。ガートの端に佇み、遠く彼岸を見つめている黒い牛がいた。風が冷たかった。
【インド/ガンガーを眺める黒牛】
猛暑のイメージが強いインドだが、バラナシの冬はとても寒い。数字的には東京の冬よりずっと気温は高いはずだが、なにせ暖房がない。安宿の久美子ハウスもその例外ではなく、すきま風が始終室内に吹き込んできていた。
南インドやスリランカとの寒暖差にやられたのか、僕は体調を崩し、熱を出した。あっというまに高熱になり、一日中ベッドの上で、寝袋にくるまって寝込む日が続いた。
ある日の真っ昼間。僕がふと目覚めると、久美子ハウスの大部屋は閑散として、静かだった。すぐに寝直そうとするが、散々寝すぎたせいか、眠気が来ない。かといって起きあがるのはもっと億劫だ。頭は相変わらず痛いし、熱はちっとも下がっている気がしなかった。
「きゃーゴッチン、久しぶりぃ!」
突然、ユカちゃんの甲高い声が聞こえた。狭い階段をドタバタと駆け下りる音が続いた。ややあって、今度は階段を上ってくる音がした。二人分の足音だった。
「ゴッチン、あたし、超嬉しい」
ユカちゃんのはしゃぐ声。
「なんやここ。すごいな」
もう一人、関西弁の女の声がした。
(また誰か来たみたいだ)
僕は朦朧とする意識の中で理解した。寝袋から顔だけ出すと、真っ赤な派手な帽子が見えた。ユカちゃんがその真っ赤な帽子と話していた。ゴッチンと呼ばれた彼女の横顔がちらと見えた。
左腕の腕時計を見た。午後の二時を回っていた。僕は再び寝袋をかぶった。ひどく頭痛がした。
【インド/久美子ハウスのオーナー夫妻】
出発から26593キロ(40000キロまで、あと13407キロ)
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | アメリカ | 旅立ち 空路アラスカへ | |
08 | 05 | メキシコ | トゥーラ手前 | 5000 |
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11 | 11 | トルコ | イスタンブール手前 | 10000 |
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2002 | 04 | 10 | ジンバブエ | ビクトリアフォールズ先 | 15000 |
05 | 26 | トルコ | 旅立ち1周年 南アフリカから飛行機にて入国 | ||
07 | 20 | アジア全走行を目指し、55日ぶりにイスタンブール発 | |||
08 | 10 | イラン | マクー~マルカンラル間 | 20000 |
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19 | アーベイェク市内 | 21000 |
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09 | 06 | ヤズド~メフリーズ間 | 22000 |
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17 | パキスタン | クイ・タフタン先 | 23000 |
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27 | デラ・アラー・ヤル付近 | 24000 |
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10 | 07 | ラホール到着 | |||
19 | ワガ国境 | 25000 |
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19 | インド | 自転車にて入国(アムリトサル) | |||
25 | デリー到着 | ||||
11 | 03 | プシュカル先 | 26000 |
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09 | ムンバイ行きの夜行列車で自転車が壊される | ||||
12 | 03 | スリランカ | 飛行機にて入国(コロンボ) | ||
19 | インド | 飛行機にて再入国(チェンナイ) |