自転車世界一周の旅/第110話 いつのまにか無くしてしまったうぶな旅心
およそ二週間かけて、スリランカの島じゅうを僕は巡った。小さな出会いがたくさんあった。
スリランカ民主社会主義共和国 (Democratic Socialist Republic of Sri Lanka) |
【スリランカ/コロンボの鉄道駅】
【スリランカ/高原鉄道、キャンディから南へ】
茶畑に囲まれた山間の町ハプタレー。ここではタミル人の青年と仲良くなった。タミル人はスリランカの北部に多く居住するヒンドゥ教徒で、多数派である仏教徒のシンハラ人と対立している。彼の家族は、内戦で故郷ジャフナを追われてしまったらしい。
「何もかも失ってしまった。私たちは難民なの」
彼の家に招かれた僕は、彼の母親が流暢な英語を話すことに驚いた。父親や兄弟は都合により各地に散っているそうだが、もともとジャフナでは裕福な上流階級だったようだ。彼はギターで自作の曲を披露してくれながら、スリランカでは機会がない、外国へ出て才能を試したいと嘆いた。
【スリランカ/ハプタレーの家族】
【スリランカ/ハプタレーの町】
港町マータラでは、日本語で話しかけられた。恰幅のいいおじさんで、以前日本で働いていたのだと言う。
「また日本に行きたいよ。日本を離れるとき、私泣いたね」
おじさんは僕を車に乗せ、デウンダラ岬やウェヘラヘナ寺院といった名所を巡ってくれた。
【スリランカ/マータラ、ウェウルカンナラ寺院】
【スリランカ/島の最南端デウンダラ岬】
「仕事はいいんですか?」
「ここで働いてもお金にならない。景気悪いですよ」
おじさんは笑いながら答えた。家に招かれた僕は、近所の少女に「コンニチハ」と話しかけられ、またびっくりした。
【スリランカ/マータラ、ウェヘラヘナ寺院】
【スリランカ/マータラの宿の兄妹】
遺跡の町アヌラーダプラでは、青森に住んでいたことがあるという青年に出会った。その友人にイスラム教徒だという男がいて、断食月ラマダン明けのお祝いに誘われた。僕は喜んで誘いに乗ったが、このとき些細なもめ事を起こした。
【スリランカ/アヌラーダプラ遺跡】
【スリランカ/アヌラーダプラ遺跡、アバヤギリ大塔】
「祝いの酒を買いたいのだが今ちょっとお金がない、あとで兄貴が来たら返すから貸してくれないか」
昼食のあと、ムスリム男がそう僕に言ってきた。現地人とのお金の貸し借りなどしたくない僕は、いったんはとぼけた。
しかし、結局酒代を貸したのは、仲間の誰かがお酒を持ってきたり、露店で焼そばのような麺料理を買ってきたりと、すでにかなりご馳走になっていたからであり、断りづらかった。酒代は三百四十九スリランカルピー、この国では一泊して三食食べられるだけの金額であった。
そのあとムスリム男はいなくなった。青森男を含め、何人かの仲間たちは残っていたが、みんなすでに酔っ払いになっていた。外は雨。バケツをドラムにし、板きれを木琴にして、歌を歌っていた。夜になったが、結局ムスリム男は戻ってこなかった。返すと約束されたはずのお金ももちろん戻ってこない。
「あいつはそんな仲のいい友達じゃない」
青森男は答えた。僕は怒った。口論になった。しかし埒はあかなかった。騙されたのか、そうでないのか、結局のところ分からなかった。ただ苛立たしかった。悪態をつき、僕は彼らの元を去った。
【スリランカ/アヌラーダプラ遺跡】
【スリランカ/ルワンウェリ・サーヤ大塔】
そしてコロンボに戻ってきた。首都コロンボは蒸し暑かった。気温はさして変わらないのかもしれないが、熱気があった。
僕は早めに空港へ行こうと思い、雨の中バスを待っていた。目的のバスが来た。乗ろうとしたが、そのバスは混んでいた。でも、同じように駆け込んできた二人組は乗り込んだ。後に続こうとした僕は、車掌の男に押された。扉口の外に押し返され、バスに乗せてもらえなかった。
僕は瞬間的にかっとなった。反射的に「乗せろ!」と怒鳴りながら、足を振り上げていた。その足が運悪く、走り去ろうとするバスの後ろのライトに当たり、ライトカバーを割った。
【スリランカ/コロンボ市街】
【スリランカ/コロンボ鉄道駅】
警察沙汰になった。三十ドル弁償しろと命じられた。僕は抗議した。僕を押し返し、乗せようとしなかったバスが悪いと言った。
海外の一人旅においては、自分を強く持たなくてはいけない。確固たる自我を持ち、強く自分を主張しなくてはいけない。遠慮は美徳だなどと、夢にも思ってはいけない。そうでなければ負けてしまう。僕はいつのまにか、怒りをはっきりと外に表す人間になっていた。自分の主張を真っ先に押し出す人間になっていた。
(いつから変わってしまったのだろう)
警察署をあとにして、僕は自己嫌悪に陥った。家に招いてくれたり、ご馳走してくれたりと、自分に利益をもたらしてくれる相手にはニコニコとし、自分を馬鹿にしたり、お金を要求してきたり、自分に不利益をもたらそうとした相手には猛然と反発する。今の僕はそうだった。
【スリランカ/首都スリジャヤワルダナプラ・コッテ】
以前だったら、動きだそうとするバスから押し返され、アスファルトの上で危うくよろめいて倒れそうになっても、仕方ないなあと首を振って、笑ってすますことができた。降りしきる雨に打たれながら、こんな経験もまた旅の醍醐味の一つだと、肯定的に楽しむことができたはずだった。
しかし僕にはもう、そんな純粋に旅を喜ぶうぶな気持ちは残ってはいなかった。心が尖っていた。
【スリランカ/コロンボの浜辺】
出発から26593キロ(40000キロまで、あと13407キロ)
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | アメリカ | 旅立ち 空路アラスカへ | |
08 | 05 | メキシコ | トゥーラ手前 | 5000 |
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11 | 11 | トルコ | イスタンブール手前 | 10000 |
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2002 | 04 | 10 | ジンバブエ | ビクトリアフォールズ先 | 15000 |
05 | 26 | トルコ | 旅立ち1周年 南アフリカから飛行機にて入国 | ||
07 | 20 | アジア全走行を目指し、55日ぶりにイスタンブール発 | |||
08 | 10 | イラン | マクー~マルカンラル間 | 20000 |
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19 | アーベイェク市内 | 21000 |
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09 | 06 | ヤズド~メフリーズ間 | 22000 |
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17 | パキスタン | クイ・タフタン先 | 23000 |
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27 | デラ・アラー・ヤル付近 | 24000 |
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10 | 07 | ラホール到着 | |||
19 | ワガ国境 | 25000 |
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19 | インド | 自転車にて入国(アムリトサル) | |||
25 | デリー到着 | ||||
11 | 03 | プシュカル先 | 26000 |
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09 | ムンバイ行きの夜行列車で自転車が壊される | ||||
12 | 03 | スリランカ | 飛行機にて入国(コロンボ) |