自転車世界一周の旅/第109話 南海の島国スリランカ、古都キャンディで日本を想う
十二月三日、僕はスリランカに飛んだ。内戦で運休した船便が復活しているという噂があったが、結局確認はとれず、仕方なくトリヴァンドラムから飛行機を利用した。
スリランカ民主社会主義共和国 (Democratic Socialist Republic of Sri Lanka) |
【スリランカ/ダンブッラの石窟寺院、黄金大仏】
【スリランカ/ダンブッラの石窟寺院、ブッダの足】
内陸の古都キャンディ。四世紀にこの島に運ばれてきたというブッダの左の犬歯が、その名も仏歯寺に納められていた。
スリランカは仏教国である。本国インドでは仏教はヒンドゥ教に呑み込まれ、衰退してしまうが、この島では歴代シンハラ王朝が南インドからの侵攻勢力に抗し、仏教を護りぬいた。仏歯寺は、その聖地とも呼べる場所であった。
【スリランカ/キャンディの仏歯寺】
西洋人は拝観料を要求されたが、仏教徒と見なされる日本人は無料だった。数年前タミル過激派のテロにより損傷を受けたという寺院は、現在もところどころ修復中だったが、内部は木材を多用した造りで、温もりがあった。プージャと呼ばれる香を焚く儀式が始まる時間になると、大勢の参拝客で混み合い、太鼓の音が入り、熱気がこもった。
同じ仏教でも、日本とスリランカでは作法も熱狂度もまったく違う。地元スリランカの参拝客はみな、手を合わせ、床に頭をこすりつけて一心不乱に祈っていた。お金を、あるいは花を、争うようにして祭壇に捧げていた。
【スリランカ/キャンディの仏歯寺】
【スリランカ/ダンブッラの石窟寺院】
そのような光景を見るたびに、僕はここにいていいのだろうか、許されるのだろうかと思ってしまう。
中米や欧州やアフリカでキリスト教の教会を訪れたとき、中東や西アジアでイスラム教のモスクを訪れたとき、周囲の雰囲気がより真剣であり熱狂的であればあるほど、常に感じた場違いな居たたまれなさと似た気持ち。隣でビデオカメラを回し続けている白人旅行者と同じように、僕もまた観光客という立場でカメラを構え、外側から祈りの光景を眺めている。
しかし、僕と白人たちでは一点だけ異なることがある。ギリシアの修道院で、首からカメラをぶら下げた彼らが、それでも必ず胸で十字を切っていたように、僕はスリランカの寺で、カメラをいったんしまい、目を閉じて静かに手を合わせた。
その刹那、僕はちらと思うのだ。インドで生まれた仏教は、野を越え、山越え、海越えて、やがて遠く日本にも伝わったのだということを。
【スリランカ/岩上の都市シーギリヤ】
【スリランカ/シーギリヤ・ロックからの眺望】
キャンディの宿はこぢんまりとした民宿だった。太ったおばちゃんが切り盛りしていたが、よほどかつかつの自転車操業なのか、夕食の材料費がないからと言って、宿代の先払いを求めてきた。もう一人ベルギー人の男性が泊まっていて、共に食卓を囲んだ。
この宿には情報ノートがあって、日本人の書き込みも多かった。
《おばちゃんの料理は最高。これを食べるだけでもこの宿に泊まる価値がある》
《ここのおばちゃんは日本人を馬鹿にしているところがある。西洋人に対してと日本人に対してで、態度が明らかに違う》
賛否両論の色々な意見があった。
【スリランカ/キャンディのペラデニア植物園】
【スリランカ/ポロンナルワ遺跡】
そしておばちゃんが言った。
「日本人はなんで英語が下手なのかしら。私は会話を楽しみたいのに、たいていの日本人ときたら英語ができないから困るのよ」
同じような話題で、僕は今までに何度も誰かと口論したことがあった。このときもそうだった。
「スリランカはシンハラ語でしょう。英語が、と言うのはおかしくないですか」
僕が口をとがらすと、おばちゃんは少したじろいだ様子を見せ、しかし、受け流すように言った。
「あなたはいいのよ。英語が通じるから。でも、英語がまったくできない日本人がたまにいるの。それが困るんだわ」
【スリランカ/キャンディの宿】
横で見ていたベルギー人が、場を和ませようとするかのように口を挟んだ。
「だとするとうちの両親はここには来られないね。なにせ二人とも英語はまるきり喋れないから」
「ええ、そうだわ」
おばちゃんは平然と肯定した。その返答を苦々しく聞きながら、僕はふと思った。
各国旅行者の中で、たしかに日本人は一番英語が下手だ。同じ東洋の韓国人と比べても下手だ。世界中どこへ行っても、日本人旅行者はいるし、日本人宿はあるし、情報ノートなどの媒介情報も充実している。だから英語が上達しないのだが、それで決定的な不自由はない。片言の英語でも旅ができることを、また英語が全てでもないことを、僕たちはちゃんと知っているのだ。
【スリランカ/民族舞踊、キャンディアンダンス】
【スリランカ/民族舞踊、キャンディアンダンス】
(では、英語の話せないヨーロッパ人は?)
一年半以上になるこの旅で、僕が出会った西洋人バックパッカーは、フランス人も、スウェーデン人も、チェコ人も、みな必ず上手な英語を話した。片言の英語で世界を渡り歩いている西洋人なんて、一人もいやしなかった。そう考えると、日本人て実はすごい。
「うちに来るなら、英語はできなくっちゃ」
おばちゃんがまた言った。
「そんなことはない」
僕は答えた。また反論した。
【スリランカ/ポロンナルワ遺跡】
【スリランカ/ポロンナルワ遺跡】
出発から26593キロ(40000キロまで、あと13407キロ)
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | アメリカ | 旅立ち 空路アラスカへ | |
08 | 05 | メキシコ | トゥーラ手前 | 5000 |
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11 | 11 | トルコ | イスタンブール手前 | 10000 |
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2002 | 04 | 10 | ジンバブエ | ビクトリアフォールズ先 | 15000 |
05 | 26 | トルコ | 旅立ち1周年 南アフリカから飛行機にて入国 | ||
07 | 20 | アジア全走行を目指し、55日ぶりにイスタンブール発 | |||
08 | 10 | イラン | マクー~マルカンラル間 | 20000 |
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19 | アーベイェク市内 | 21000 |
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09 | 06 | ヤズド~メフリーズ間 | 22000 |
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17 | パキスタン | クイ・タフタン先 | 23000 |
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27 | デラ・アラー・ヤル付近 | 24000 |
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10 | 07 | ラホール到着 | |||
19 | ワガ国境 | 25000 |
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19 | インド | 自転車にて入国(アムリトサル) | |||
25 | デリー到着 | ||||
11 | 03 | プシュカル先 | 26000 |
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09 | ムンバイ行きの夜行列車で自転車が壊される | ||||
12 | 03 | スリランカ | 飛行機にて入国(コロンボ) |