自転車世界一周の旅/第108話 南インド水郷地帯を優雅に舟で往く
ハンピを出た僕は、インドのシリコンバレーと称されるバンガロールを経由し、インド南西部のケーララ州に来た。ケーララは海岸線が複雑に入り組んだ水郷地帯を成し、古くから海運が発達した地方であった。
インド (India) |
【インド/バンガロール鉄道駅】
【インド/バンガロール中心部】
その水路を往く観光客向けの船が、アラプッザという村から出ていた。同時多発テロの影響か、印パ緊張のためか、乗客は十名あまりと非常に少なかった。おかげで一人当たりのツアー料金は値上がりしていたが、船旅そのものはのんびりとして、しかし飽きず、楽しいものだった。
椰子の木に囲まれた水路を船はゆっくりと進んだ。水路はときおり狭く、ときおり広く、交差点もあって迷路のように複雑に続いた。周囲では、人々が水辺で洗濯していたり、クリケットをして遊んでいたり、あるいはカヌーを漕いでいたりした。
【インド/ケーララ、バックウォーター舟の旅】
【インド/コーチンの聖フランシス教会】
何度か白人を乗せたハウスボートとすれ違った。ハウスボートというのは、台所や寝室などの生活設備を整えた舟で、僕らを乗せたツアー船の半分以下の速度でゆっくりと走っていた。デッキチェアに身体を横たえバカンスを満喫しているのは年配の白人客で、その世話を焼いているのが褐色の肌のインド人乗組員だ。
昼食は岸辺のレストランで魚のカレー。バナナの皮に載せられて運ばれてきた。スプーンを使わず右手で食べるのがインド式であり、魚の小骨もうまい具合に取り除きながら食べることができる。たまにご飯が熱く、火傷しそうになることがあるが、これも慣れだ。十人あまりの乗客のうち、インド人カップルと僕を除けばあとはみな西洋人だったが、そのうち半数はスプーンで食べ、残りの半数は手で食べていた。
【インド/舟旅、昼食のレストラン】
【インド/コーチンのチャイニーズフィッシングネット】
やがて舟はさらに進み、夕暮れ時。舟は広々とした湖に入った。紫色に黄昏ていく景色、ぽつぽつと小舟の浮かぶ様子は幻想的だった。自転車旅行だったら見られない光景だったなんと、僕はバラナシに自転車を置き去りにしてきたことを肯定した。
その夜、僕は舟で一緒だったイギリス人のエリザベスと同じ宿に泊まった。
【インド/ケーララ、バックウォーター舟の旅】
【インド/コーチンの水上バス】
「私たちの両親の世代は、なかなかこういう旅行はできなかったわ。だから私たちの世代はとても運がいいと思うの」
二人でトランプをしながら、彼女は言った。僕はうなずいた。日本人の常識で考えれば、間違いなく、僕らの親の世代にとってバックパッカー旅行というのは稀有だった。イギリス人でもそうなのだ。時代の移り変わりが加速する現代、国籍という生まれた地域の差よりも、世代という生まれた時代の差のほうが大きいのかもしれない。
日本のことが恋しくならないかと問われ、僕は答えた。
「なるよ、もちろん。日本には居酒屋というお酒が飲めて食事もできる店があるんだけど、なんといっても居酒屋に行きたいね」
【インド/ケーララ、バックウォーター舟の旅】
「私もイギリスのパブが懐かしい」
にこやかに笑いつつ、エリザベスは続けた。
「私は今度は、南米に行きたいわ。あと行きたいのは、カナダと、オーストラリアと、ニュージーランドね」
(南米以外は英連邦ばかりじゃないか)
僕は内心そう思ったが、黙っていた。彼女は昼間の魚カレーを手で食べていた。その点で好感が持てた。
【インド/バックウォーター終着、コーラムのバスターミナル】
僕ら日本人旅行者は、長期旅行になればなるほど、日本文化に対するとてつもない渇望感が湧いてくる。どうしようもなく日本食が食べたくなったり、どんなつまらない本でもいいから漢字と平仮名が読みたくなる。そして日本語を話したいという欲求にとらわれる。
世界中で英語が共通語とされている現在、エリザベスはきっとどこへ行っても楽に英語で会話をすることができる。英語の本だって簡単に手に入る。単純に考えれば、それはとても羨ましいことのように思える。
しかし……。
(旅の一番の醍醐味を、実は失っているのではないだろうか)
僕はそんなことをうまく言いたかったが、彼女の機嫌を損ねずに話題にするだけの英語力の自信がなかった。
【インド/コーチンのユダヤ人街】
【インド/トリヴァンドラムの空港】
カニャークマリに到達した。インド亜大陸の最南端。とはいえさほどの感慨はない。それはやはり、自転車ではないからだと、僕は思った。充実感がなかった。
【インド/最南端カニャークマリの日の出】
【インド/最南端カニャークマリの日の出】
岬が賑わうのは日に二回、日の出と日没の刻だった。ヒンドゥ教の聖地とされているこの場所には、聖なる太陽が大海に没しそしてまた昇ってくる姿を見つめようと、そして祈りを捧げようと、インドじゅうから信徒がやって来た。昼間は閑散としている砂浜が、岩場が、その時刻だけは人の群れで満杯になった。
沐浴というのか、海水浴ともいえるのか、服を着たまま海に入る人たちがいた。一心不乱に水平線の陽光に向かって両手を合わせる人たちもいた。立入禁止の岩場に登ろうとする輩に向かって、警官が大声をふりあげ喚いていた。
【インド/最南端カニャークマリ】
【インド/カニャークマリの沖に浮かぶヴィヴェカナンダ島】
出発から26593キロ(40000キロまで、あと13407キロ)
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | アメリカ | 旅立ち 空路アラスカへ | |
08 | 05 | メキシコ | トゥーラ手前 | 5000 |
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11 | 11 | トルコ | イスタンブール手前 | 10000 |
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2002 | 04 | 10 | ジンバブエ | ビクトリアフォールズ先 | 15000 |
05 | 26 | トルコ | 旅立ち1周年 南アフリカから飛行機にて入国 | ||
07 | 20 | アジア全走行を目指し、55日ぶりにイスタンブール発 | |||
08 | 10 | イラン | マクー~マルカンラル間 | 20000 |
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19 | アーベイェク市内 | 21000 |
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09 | 06 | ヤズド~メフリーズ間 | 22000 |
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16 | パキスタン | 自転車にて入国(クイ・タフタン) | |||
17 | クイ・タフタン先 | 23000 |
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27 | デラ・アラー・ヤル付近 | 24000 |
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10 | 07 | ラホール到着 | |||
19 | ワガ国境 | 25000 |
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19 | インド | 自転車にて入国(アムリトサル) | |||
25 | デリー到着 | ||||
11 | 03 | プシュカル先 | 26000 |
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09 | ムンバイ行きの夜行列車で自転車が壊される |