自転車世界一周の旅/第104話 「何が楽しくてインドへ?」~壊された自転車
デリーを出発した僕は、南西の方角に向かった。久しぶりの孤独行だった。
インド (India) |
【インド/ジャイプル市街】
【インド/ジャイプル、風の宮殿】
まず訪れたのはラジャスタン州の州都ジャイプル。ラジャスタンは、イスラム教を奉じるムガール帝国の支配に抵抗した、ヒンドゥ藩王マハラジャたちの勢力が強かった地域。
ピンクシティと称されるジャイプルも、そんなマハラジャの城市の一つ。なんでも昔この地方を治めていたマハラジャが赤い色が好きだったため、宮殿や官舎だけでなく、あらゆる建物が同じ色に塗られたのだという。ピンクというと華やかな印象がするが、実際は歳月を経てくすんだ色で、リキシャやバイクが絶えず行き交う喧騒の中にあっては、むしろブラウンシティといった印象だった。
【インド/ジャイプル、風の宮殿】
【インド/ジャイプル、天文台ジャンタルマンタル】
【インド/ジャイプル、アンベール城】
ジャイプルを過ぎると、対面通行の狭い道になった。沿道の景色もぐっと寂れてくる。しかしさすが人口大国インド。町や集落が途切れることなく続いた。いくつもの丘を越え、川を越え、荒野や林間を抜けていく。国産車のタタが、けたたましくクラクションを鳴らしながら、自転車の僕を追い抜いていった。
【インド/クリシュナの格好をさせられた少女】
【インド/ラジャスタン、街道沿いの茶店】
【インド/ラジャスタン、田舎の風景】
国道からはずれ、ヒンドゥ教の聖地プシュカルへ。
小さな湖があり、ガートと呼ばれる沐浴場が囲んでいて、創造神ブラフマンを祀る寺院があった。青い柱や赤い塔など色彩はやたら派手だが、階段を上った奥に本尊があって賽銭箱が置かれているという造りは、日本の寺にも通じているような気がした。ブラフマンは、日本では梵天と呼ばれているのだ。
プシュカルは田舎町であり、オートリキシャやサイクルリキシャの類が走り回っておらず、のんびりした雰囲気があった。しかし一方で長期滞在の欧米人が多く、しっかり観光地化されていた。外国人向けのレストランや土産物屋が軒を連ねていた。日本人や韓国人の姿もあった。歩けば当然、客引きの攻勢に遭う。どこか現実のインドからは乖離した空間に思えた。
【インド/プシュカル、ブラフマンの寺院】
【インド/プシュカルのガート】
【インド/プシュカル付近の峠】
僕が泊まった宿にはイスラエル人が溜まっていた。イスラム圏では出会うことのなかった彼らだが、インドでは非常に多い。昼下がり、挨拶代わりにガンジャを勧められた。すぐ観光に出歩くつもりだったので断ると、真顔で言われた。
「君はなにが楽しくてインドに来ているんだい?」
立ち去る僕の背中から、笑い声が追いかけてきた。
【インド/遠くムンバイまで続く道】
【インド/ナスドワラという町】
【インド/ウダイプル、武王マハラーナの城】
【インド/ウダイプルの湖】
季節はいつの間にか十一月。道はラジャスタン州からグジャラート州に続いていた。看板や標識の文字が、ヒンディ文字のデーヴァナーガリからグジャラート文字に変わった。一つの単語が横棒でつながって書かれるデーヴァナーガリに対し、グジャラート文字は一文字ごとが独立して書かれるという違いがあった。
【インド/ラジャスタンからグジャラートへ】
とある夜、ドライブインの類が見つからなかった僕は、牛乳会社の小さな事務所に泊めてもらった。彼らはちょうど、その日の仕事を終えるところだったが、残った牛乳を一杯くれた。お腹に効きそうな濃厚な味だった。
僕はインドルピー札を取り出し、そこに印刷されている各州の公用語のうち、どれがグジャラート語なのかを訊いてみた。
「これだよ」
一人の男が、上から三番目がグジャラーティであると答えてくれた。
【インド/牛乳工場の事務所にて】
【インド/街道沿いの村、カラフルなヒンドゥ寺院】
僕はなんとか、インドを走る楽しさを見い出そうとしていた。しかしやっぱり気分は盛り上がらなかった。夕方になるといつも、地平に沈む真っ赤な夕日が行く手を塞いだ。正面に夕焼けを見ると、切なくなった。イスタンブール以来、僕はひたすら東を目指していた。その先には、日出ずる処の国があった。しかし今、夕日の向こうに日本はない。
僕は走り続けることに疲れていた。僕はインドという国に期待をしていた。ずっと楽しみにしていた。だが、つまらなかった。
【インド/北回帰線を三たび越えて】
【インド/インド人チャリダー軍団】
グジャラート最大の都市アーメダバード。久しぶりの都会だった。僕はここで自転車をいったん降りることにした。ムンバイ行きの夜行列車に乗った。そして自転車が壊された。
ムンバイのセントラル駅に着いて、僕はその事実に気づいた。後輪の変速機を取り付けるエンドと呼ばれる部分が曲がっていた。分解して輪行袋に入れていた自転車の上に、誰かが腰掛けでもしたのだろう。どうにか手持ちのペンチでエンドを曲げ直し、タイヤを装着することはできたものの、ギアは全く効かず、走行不能だった。おまけに作業をしている間に誰かが盗んでいったのか、工具やザックカバーをなくしてしまった。
意気消沈したまま、僕は歩いて宿を探した。東京やニューヨークよりも賃貸料が高いといわれる商都ムンバイは宿代も高く、唯一手が出るサルベーションアーミーは、朝食付きで百三十五ルピーもした。自転車の保管は有料だと言われ、さらに気落ちした。
【インド/グジャラートの大平原】
【インド/アーメダバードの階段井戸】
出発から26591キロ(40000キロまで、あと13409キロ)
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | アメリカ | 旅立ち 空路アラスカへ | |
08 | 05 | メキシコ | トゥーラ手前 | 5000 |
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11 | 11 | トルコ | イスタンブール手前 | 10000 |
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2002 | 04 | 10 | ジンバブエ | ビクトリアフォールズ先 | 15000 |
05 | 26 | トルコ | 旅立ち1周年 南アフリカから飛行機にて入国 | ||
07 | 20 | アジア全走行を目指し、55日ぶりにイスタンブール発 | |||
08 | 10 | イラン | マクー~マルカンラル間 | 20000 |
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19 | アーベイェク市内 | 21000 |
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09 | 06 | ヤズド~メフリーズ間 | 22000 |
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16 | パキスタン | 自転車にて入国(クイ・タフタン) | |||
17 | クイ・タフタン先 | 23000 |
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27 | デラ・アラー・ヤル付近 | 24000 |
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10 | 07 | ラホール到着 | |||
19 | ワガ国境 | 25000 |
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19 | インド | 自転車にて入国(アムリトサル) | |||
25 | デリー到着 | ||||
11 | 03 | プシュカル先 | 26000 |
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09 | ムンバイ行きの夜行列車で自転車が壊される |