自転車世界一周の旅/第103話 物乞いと、牛と、バックパッカーが行き交う首都
デリーの安宿街パハールガンジには、宿や食堂や土産物屋が密集していた。英語や日本語の看板に溢れていた。通りはゴミだらけで、物乞いが多かった。牛が闊歩していた。大きなザックを背負ったバックパッカーたちが、きゃっきゃ言いながら歩いていた。その人混みの中を、客を乗せたサイクルリキシャが走っていた。
インド (India) |
【インド/デリー市に突入】
サイクルリキシャとは、自転車を改造して客席を取り付けたリキシャだ。バイクを改造したものはオートリキシャと呼ばれていた。ただでさえ狭苦しい道が、まるでラッシュ時の駅のホームのように渋滞していた。
僕とムハンマドは結局デリーまで一緒に走り、同じ宿に泊まっていた。デリーでは別行動で、宿でもあまり顔を合わすことはなかったが、代わりに何人かの日本人と遭遇した。
【インド/安宿街パハールガンジ】
普段はタイに住んでいるというおじさんがいた。インド北部のマナーリーから来たのだと言った。そこで宿を経営しているというインド人の若者と同室だった。マナーリーはガンジャの名産地として有名であることを僕は知っていた。どうやら買い付け目的でマナーリーを訪れたようだった。僕が若者と英語で喋っているのを聞いて、「すごいな、ペラペラだねえ」と妙に感心してくれた。
学生風の二人組がいた。彼らは僕がドミトリーに泊まっていると聞いて驚いた。どうやら宿のおやじは、僕やムハンマドには値段の安い部屋を提供する一方、旅慣れていない彼らには嘘をつき、値段の高い個室を案内していたようだった。
また二人は、「さっき猿を買ったんですよ」と、突然話し始めた。なんでも道を歩いていて、露店で売っていたものを千ルピーで衝動買いしたそうだ。
「面白いから日本に持って帰ろうかと思ったんですよ」
「検疫で引っかかるから無理でしょ」
僕が真面目に答えると、「あ、でも、もう棄てました。腕の中で小便されたんで」と、あっけらかんと言ってのけた。
【インド/ニューデリー鉄道駅】
【インド/第一次大戦の戦没者慰霊碑でもあるインド門】
二ヶ月で北インドを回ったというウエノくんは、唯一旅行者としての波長の合った相手だった。立派なカメラを持っており、写真を撮る目的で来たのだと言った。
「この旅で出会った中でキフネさんの旅が一番すごいですよ」
そんな言葉で誉められても、さして気分は浮かなかった。
【インド/シャーマスジッドモスク】
穴の開いたフロントバッグを補修していると、隣室のイタリア人女性が裁縫道具を貸してくれた。僕はムハンマドが例によって彼女を狙っていることを知っていた。話しかけてきた彼女に、僕は適当な愛想笑いを返したが、あとになって、食事にでも誘ってみればよかっただろうかと、少し後悔もした。ムハンマドだったら間違いなくそうしていただろうし、そのことで彼とけんかになったとしても、それはそれで面白い。
淡々と僕は観光した。オールドデリーに建つ赤い城ラール・キラーや、巨大なシャーマスジッドモスクを訪れた。同じムガール帝国の遺構だから当たり前なのだが、ラホールのラホールフォートやバードシャヒーモスクに、とても似た造りをしていた。巨大な城門や、広々した庭園。たしかに立派だが、新鮮味はなかった。
気に入らないのは観光地の入場料の高さだった。地元インド人は十ルピーなのに、外国人はなんと二百五十ルピー。イランやパキスタンにも外国人料金は存在したが、二十五倍という格差は、あまりにボッタクリに思えた。
【インド/オールドデリー、ラールキラー】
【インド/オールドデリー、ラールキラー】
「エク(一枚)」
「ダスルピー(十ルピー)」
多民族国家インドには、様々な顔立ちの人がいる。僕はインド人のふりをして、地元料金で入ってやろうと企んだ。ラール・キラーでは成功したが、奴隷王朝時代の塔クトゥブ・ミナールでは失敗した。警備員に「お前は外国人だろ」とばれて、追い返された。
泊まっていた宿の宿代が百ルピー、従業員の月給が千五百ルピーと聞いていた。現地の物価感覚に慣らされていた僕は、二百五十ルピーも払う気がせず、そのまま退散した。
一週間滞在しようと思っていたデリーだったが、五日間で去ることにした。
【インド/郊外のクトゥブ・ミナール】
最後の夜、僕はまたムハンマドと飲みに行った。パハールガンジの一角にある、外国人向けのバー兼レストランで、店内には大型スクリーンがあり、空調は当然ばっちり効いていた。僕らはチャーハンを注文し、キングフィッシャービールを飲んだ。
明日デリーを出ると言うと、彼は少し寂しそうな顔をした。パスポートやビザの手続のため、まだ数日はデリーにいるつもりだと話した。イタリア女を落とすことはできなかったらしく、僕に愚痴をこぼした。
「この旅のゴールは日本なんだ。アジアの東の端は日本だろう」
ムハンマドは言った。
「そのときは連絡してくれよ」
僕らは再会を誓い、そして別れた。
【インド/オールドデリー旧市街】
【インド/首都デリーをあとにして】
出発から25570キロ(40000キロまで、あと14430キロ)
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | アメリカ | 旅立ち 空路アラスカへ | |
08 | 05 | メキシコ | トゥーラ手前 | 5000 |
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11 | 11 | トルコ | イスタンブール手前 | 10000 |
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2002 | 04 | 10 | ジンバブエ | ビクトリアフォールズ先 | 15000 |
05 | 26 | トルコ | 旅立ち1周年 南アフリカから飛行機にて入国 | ||
07 | 20 | アジア全走行を目指し、55日ぶりにイスタンブール発 | |||
08 | 09 | イラン | 自転車にて入国(マクー) | ||
10 | マクー~マルカンラル間 | 20000 |
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19 | アーベイェク市内 | 21000 |
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19 | テヘラン到着 | ||||
09 | 06 | ヤズド~メフリーズ間 | 22000 |
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16 | パキスタン | 自転車にて入国(クイ・タフタン) | |||
17 | クイ・タフタン先 | 23000 |
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27 | デラ・アラー・ヤル付近 | 24000 |
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10 | 07 | ラホール到着 | |||
19 | ワガ国境 | 25000 |
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19 | インド | 自転車にて入国(アムリトサル) | |||
25 | デリー到着 |