自転車世界一周の旅/第100話 集う旅人たち、チャリダーの孤独
ビザの準備が整い、いつ出発してもよかったのだが、僕はその後数日をだらだらとラホールで過ごしていた。結婚するいとこに祝電を打ったり、自転車の荷台を修繕したりした。チューブも新しくしたが、パキスタンで手に入るチューブは、なぜかド派手なピンク色だった。
パキスタン・イスラム共和国 (Islamic Republic of Pakistan) |
【パキスタン/ラホールフォート】
ラホールは、かつてインド亜大陸に君臨したムガール帝国の都が置かれた街。入り組んだ迷路のような旧市街の奥には、三代皇帝アクバルの代に建設の始まった城砦ラホールフォートと、六代目アウランゼーブの建てた巨大なバードシャヒーモスクが対峙していた。
ラホールフォートは内部が思った以上に広く、歴代皇帝により増築されていった謁見所、広間、礼拝所が残されていた。緑も多く、旧市街の混沌がまるで嘘のような落ち着いた世界。上流階級らしき地元の家族連れで賑わっていた。着飾ったご婦人たちと、おめかしした子供たちがいた。
リーガルインターネットインはにわかに混雑していた。日本人が大半だったが、韓国人や、ドイツ人、イギリス人がいた。変わったところでは、アルジェリア人の男性がいて、しかも彼は僕と同じチャリダーであった。みな四階のテラスに集まって、旅の情報交換や、たわいもない雑談に興じていた。
「徒歩か、もしくは自転車で来たお客には、インターネットはタダなんだ」
宿主のマリックはそう言って僕に微笑んだ。リーガルインは名のとおりインターネットカフェを併設した宿だったが、スキャナも無料で使うことができた。僕はラホールで現像したばかりの写真を取り込んで、ホームページに公開した。
人数的に多数を占める日本人旅行者は、なんとなく二つのグループに分かれていた。インドや中国方面からラホールに来たばかりの短期組は、外食に出かけることが多かった。僕はよく彼らについてマトンカレーを食べに出かけた。近所のアイスクリーム屋に繰り出すこともあった。
【パキスタン/バードシャヒーモスク】
旅が長くなるにしたがい、される質問というのがたいがい決まってくる。
「どこが一番面白かったですか?」
最も多い質問はこれだった。いつも迷うふりをしながら、僕は答えた。
「アラブかな。シリア、ヨルダン、エジプト、あのあたりが楽しかったですね」
歴史的な見所に溢れ、旅仲間にも恵まれていた。なにより旅に出て半年あまり、強盗事件からも立ち直り、旅への意欲が湧いていた時期だった。
「危険な目には遭いました?」
以前は答えたくない質問だったが、最近は平気になった。
「ありますよ。グアテマラで強盗に」
僕は飄々と答えた。
「後ろから殴られたんですよ」
拳を握り、後頭部を殴りつける仕草をしてみせた。聞いた相手が怯んだ表情をするのを、笑って見られるようになった。
一方のグループは、ヒロくんやアフガン帰りのユースケくんなど、長期沈没組だった。彼らは外食をせず、市場で野菜を買ってきては、毎日自炊しており、僕はたまに混ぜてもらうことがあった。クリームシチューや天ぷら、杏仁豆腐といった凝った献立が食卓を飾った。政府が認める特別の飲酒許可を取って、パキスタン産のマリービールを仕入れてくることもあった。
彼らはまた、よくテーブルの上で作業をしていた。料理の下ごしらえをしている場合もあったが、そうでないこともあった。煙草の巻紙の中から葉を取り出してがらんどうにし、その中にガンジャあるいはハシシを詰めるという作業だった。大麻の草を乾燥させたものがガンジャ、草ではなく樹脂を固めたものがハシシ。煙草の巻紙に巻いて火をつけて吸っていた。
【パキスタン/リーガルインのテラスにて】
「これアフガンゴールドっすよ」
ユースケくんが僕に言った。僕の興味を誘うような口ぶりだった。
「ふうん……」
僕の反応が薄かったので、彼は拍子抜けしたような表情になった。アフガンゴールドというのは大麻のブランドであり、その品質がとりわけ極上とされているものだった。僕は名前だけは知っていた。僕はどうやら、彼ら長期組からも一目置かれていた。
一年半も旅を続けているチャリンコ野郎で、しかもアフリカ帰り。それだけの旅経験を積んでいる人間なら、当然アフガンゴールドのなんたるかを熟知し、話に乗ってくるだろうと、そう思われていたようだった。
誰かと一緒にいれば、決して孤独を感じることはなかったが、自分の居場所が定まらないような、そんななぜか苦しいふわふわした気持ちは、どうしても拭い去ることができなかった。イスファハンで「上級者の朝食っすね」と言われた頃から、僕の心の奥底に澱のように溜まり始めていた。
【パキスタン/アルジェリア人チャリダーと次の国を目指す】
出発から24970キロ(40000キロまで、あと15030キロ)
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | アメリカ | 旅立ち 空路アラスカへ | |
08 | 05 | メキシコ | トゥーラ手前 | 5000 |
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11 | 11 | トルコ | イスタンブール手前 | 10000 |
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2002 | 04 | 10 | ジンバブエ | ビクトリアフォールズ先 | 15000 |
05 | 09 | 南アフリカ | 最南端アグラス岬到達 | ||
12 | ケープタウン手前 | 18000 |
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26 | トルコ | 旅立ち1周年 飛行機にて入国(イスタンブール) | |||
07 | 20 | アジア全走行を目指し、55日ぶりにイスタンブール発 | |||
28 | アクダーマデニ先 | 19000 |
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08 | 09 | イラン | 自転車にて入国(マクー) | ||
10 | マクー~マルカンラル間 | 20000 |
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19 | アーベイェク市内 | 21000 |
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19 | テヘラン到着 | ||||
09 | 06 | ヤズド~メフリーズ間 | 22000 |
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16 | パキスタン | 自転車にて入国(クイ・タフタン) | |||
17 | クイ・タフタン先 | 23000 |
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27 | デラ・アラー・ヤル付近 | 24000 |
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10 | 07 | ラホール到着 |