自転車世界一周の旅/第99話 運命のインドビザ、いざイスラマバードへ
僕はラホールに自転車など荷物を預け、ラワールピンディに滞在していた。ピンディは首都イスラマバードに隣接した街。人工的に建設されたイスラマには手頃な安宿がないため、ビザ手続などの都合で首都に用事があるバックパッカーはピンディに宿をとるのが常だった。
人口七十万のピンディは、蛇行する川を挟んで、雑然とした旧市街と、碁盤目に区画された新市街に分かれていた。ラホールに比べるとこぢんまりとした街だったが、さすがは首都圏、航空会社のオフィスや外資系の店舗が軒を連ね、髪を風になびかせて歩く女性たちの姿があった。
パキスタン・イスラム共和国 (Islamic Republic of Pakistan) |
【パキスタン/ラホールの鉄道駅】
旧市街の一角には新疆料理店があった。ラグメンと呼ばれるウイグル式の麺料理を出すことで、日本人旅行者の間で評判の店だった。
ケバブばかりのイラン、カレーのみのパキスタン、その限られた食生活で体調を崩していた僕にとって、きしめんのような麺に肉野菜炒めをかけたというその味は、極めて新鮮だった。出されるお茶も、甘ったるいミルクチャイではなく、さっぱりしたジャスミン茶。胃腸にも優しく感じられた。
ピンディ滞在中の懸念はビザである。五月の銃撃戦以来、印パの関係は緊張していた。僕がイスラマを訪れたのは、もちろん次なる国インドのビザ申請のためだった。テヘランでの取得を見送り、イスラマに賭けたのだが、無事にビザがもらえるのか、希望の六ヶ月滞在が許可されるのか、気が気ではなかった。
国境をいくつも越えていく長い旅をする旅人にとって、ビザは最大の不安材料である。取得にお金と時間がかかることもさりながら、政治情勢や外交関係によって、いとも簡単に発給が停止されたり、制限されることがあるからだ。インドビザも、通常なら六ヶ月のマルチプルが発給されるのだが、この数ヶ月間、一ヶ月しか取れない、あるいは三ヶ月が上限だと、様々な噂が旅行者の間で飛び交っていた。
僕は無事に六ヶ月のビザが取得できたら、来年の春まで、冬の間をインドおよび周辺国で過ごすつもりでいた。半年後、暖かくなってきたら、パキスタンに戻り、情勢が許せばアフガンに寄り道、五月のカラコルムハイウェイ開通を待って、いよいよ中国を目指す算段だった。
インドと中国の間に外国人に開放された国境はなく、東に進んでミャンマーも陸路での入国はできない。シルクロードを自転車で完全走破するには、カラコルムハイウェイを越えるのが唯一の方法だった。
ラワールピンディの街にさしたる見所はなく、ビザ待ちといっても、ほかにすることはない。新疆料理店でラグメンを啜ることだけを楽しみに、僕はじりじりと過ごした。
【パキスタン/ラワールピンディの鉄道駅】
二日後、いざイスラマバードへ。ピンディとイスラマの間は、バランという国営会社のバスが頻発していた。
宿からほど近い白いモスクの前に、ターミナルがあった。すっきりとした外観のバランバスは車内も清潔で、首都に通う通勤客や学生たちで混んでいた。他の都市ではまったく見かけないスーツ姿の男性も多かった。バスの中には仕切りがあり、そこより前は女性客専用となっていた。切符を売る車掌だけが、仕切りを越えて行き来していた。
午前十時、インド大使館に到着、早速二千八百ルピーの手数料を支払うが、受領は午後二時だと言われた。日本大使館で新聞を読み、昼食をとって、二時に再訪すると、当然のように三時まで待たされ、そしてやっと名前を呼ばれた。
「ミスターキフネ」
女性の係員が僕のパスポートを突き出した。僕はその場でページをめくった。真新しいインドビザのシールはすぐに発見できた。有効期限の欄に、《15.1.2003》の手書き文字があった。
(三ヶ月ビザじゃないか)
僕は落胆した。
【パキスタン/イスラマバードのファイサル・モスク】
「六ヶ月の申請をした。六ヶ月もらえると聞いた」
とっさにはったりをかけた。
「…………」
女性係員は僕の顔をじろりと見て、僕のパスポートを手に取った。
(ダメだったか)
ほんの数分待たされている間に、僕の思考はぐるぐると回った。六ヶ月が無理となると、ネパールかスリランカで再申請をする必要があった。しかし短期間で二度目の申請は却下の可能性がある。今後の旅行計画を全面的に見直さなくてはならない。
と、男性の係員が現れた。彼は僕のパスポートを持っていた。おととい僕が「六ヶ月マルチが欲しいんだ」と言った相手だった。
パスポートを受け取った僕は、おそるおそるそのページを開いた。色違いのペンで「1」が「4」に書き換えられていた。来年四月まで有効の六ヶ月ビザ! 僕は驚いた。まさか抗議が受け入れられるとは、正直思わなかったからだ。
出発から24970キロ(40000キロまで、あと15030キロ)
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | アメリカ | 旅立ち 空路アラスカへ | |
08 | 05 | メキシコ | トゥーラ手前 | 5000 |
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11 | 11 | トルコ | イスタンブール手前 | 10000 |
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2002 | 04 | 10 | ジンバブエ | ビクトリアフォールズ先 | 15000 |
05 | 09 | 南アフリカ | 最南端アグラス岬到達 | ||
12 | ケープタウン手前 | 18000 |
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26 | トルコ | 旅立ち1周年 飛行機にて入国(イスタンブール) | |||
07 | 20 | アジア全走行を目指し、55日ぶりにイスタンブール発 | |||
28 | アクダーマデニ先 | 19000 |
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08 | 09 | イラン | 自転車にて入国(マクー) | ||
10 | マクー~マルカンラル間 | 20000 |
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19 | アーベイェク市内 | 21000 |
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19 | テヘラン到着 | ||||
09 | 06 | ヤズド~メフリーズ間 | 22000 |
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16 | パキスタン | 自転車にて入国(クイ・タフタン) | |||
17 | クイ・タフタン先 | 23000 |
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27 | デラ・アラー・ヤル付近 | 24000 |
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10 | 07 | ラホール到着 |