自転車世界一周の旅/第98話 ラホール~安心宿リーガルインターネットイン
ラホールは大都会だった。運河沿いに立派な並木道。やがて商店が軒を連ねる繁華街に出ると、欧米系の銀行や外食産業の店鋪が並んでいた。
しかしなにより僕の目を奪ったのは、颯爽と歩く若い女性の姿だった。黒髪を惜しげもなく見せびらかせて歩いていた。僕は唾を飲み込んだ。
パキスタン・イスラム共和国 (Islamic Republic of Pakistan) |
【パキスタン/ラホールの新市街】
(いいのか? 本当に!)
トルコのドゥバヤズット以来、約二ヶ月の時が流れていた。その間、成人女性の髪の露出を目にした機会は、外国人旅行者を除くと、ホトベサラで泊めてもらったときのみだった。
習慣というのは恐ろしい。たった二ヶ月の旅行生活でさえ、女性は髪の毛を隠しているものだという先入観が僕の意識下に根付いていた。そして、ヘジャブをせずに髪をあらわにして街を歩いている女性の姿に、興奮を覚えていた。
(ラホールってやつは、なんて進んだ大都会なんだ!)
そう喝采せずにはいられなかった。
【パキスタン/シャリマール庭園】
一方ラホールは、旅行者泣かせの町とされていた。パキスタンにはホモが多く、駅周辺の安宿に泊まって「襲われた」者がいるという噂が絶えなかった。しかも西洋人に比べると、小柄で幼顔な日本人はモテる。「ラホールなだけにホールに気をつけろ」というブラックジョークが語り継がれ、「僕、髭が薄いんですよ。大丈夫でしょうか」と、本気で心配する者もいるくらいだった。
そんなラホールに新しくできた安心宿、それがリーガルインターネットインだった。雑居ビルの三階、受付で出迎えてくれた宿主の名はマリック。シャルワールカミース姿で、煙草をくわえ、ちょび髭を生やした中年の男だった。
「ハッピー、ハッピー?」
大袈裟に僕に抱きつきながら、きさくに笑った。ウェルカムドリンクならぬウェルカム煙草を勧められたが、僕が断ると、「じゃあ私が代わりに吸おう。君の健康のためだ」と言って、新しい一本に火を点けた。
【パキスタン/リーガルインターネットインの一室にて】
交通の要衝であるラホールには各方面から旅人が集まってくる。インドからが多いが、中国から来た人、アフガニスタンを訪れていた人もいた。長期の沈没者もいて、その一人がヒロくんだった。ビザ延長を繰り返し、パキスタンにかれこれ半年近く滞在していると言った。
ヒロくんやマリックに誘われ、ある晩スーフィーダンスを見に行くことにした。スズキに乗り合わせ走ること三十分、イスラムの聖者廟に着く。明かりの下に露店が並び、縁日のような雰囲気だった。大勢の男たちでごった返していた。
スーフィーというのは神秘主義教団と呼ばれるイスラム教の一派のこと。僕はカイロで観光用にショー化されたものを見たが、ラホールのそれは、地域に密着した土着の祭宴だった。聖者廟の中庭が舞台となり、観客である男たちがぎゅう詰めに取り巻いて座っていた。
何度も通っているヒロくんは馴染みの顔がいるようで、幾人かと親しげに挨拶を交わしていた。やがて低音な太鼓のリズムが始まる。太鼓の音に合わせて踊り手が現れる。その踊りが凄まじい。
首を激しく振る。脳震盪を起こしてしまうのではないかと思えるくらいに激しく振る。手足を伸ばし、くねらせながら踊る。周囲の観客もまた、座りながら首をゆっくりと左右に振っていた。煙をくゆらせ、恍惚の表情を浮かべる。ときおり声を合わせ「ウララー」と合唱する。
男たちの吸っているものはガンジャ、つまり大麻だった。パキスタンでも大麻は違法だが、生活慣習として、とりわけ宗教行事と結びついて、実際のところごく一般的に広まっていた。
酒を禁じるイスラムにあって、麻薬類にはさほど厳しくないといった理由もあるのかもしれないが、パキスタンの場合はむしろヒンドゥの影響がある。
【パキスタン/スーフィーダンス】
「パキスタンにもカーストは残っていますよ」
そう僕に教えてくれたのはヒロくんだった。インドの修行者サドゥは修行を通じ、自らの精神状態を高めようとする。その補助として「神の草」ガンジャを吸うことは広く行われている。同じようにスーフィーにおいても、大麻を用いて、音楽に合わせて精神を高揚することによって神との対話を目指している。ヒロくんいわく、「警察もここには入れない」のだそうだ。
「シャージーマハルーウッララー! マハサヤコーラーウッラーラー!」
今や聖者廟は異様な熱気に包まれていた。僕が今までに見てきた、清潔なモスクで粛々となされている礼拝風景とは、まったく異なるイスラムの姿。いまだ感じたことのない宗教的熱気であった。
踊り手はさっきからずっと首を振っていた。髪の毛を振り乱して激しく振っていた。
【パキスタン/スーフィーダンス】
出発から24948キロ(40000キロまで、あと15052キロ)
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | アメリカ | 旅立ち 空路アラスカへ | |
08 | 05 | メキシコ | トゥーラ手前 | 5000 |
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11 | 11 | トルコ | イスタンブール手前 | 10000 |
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2002 | 04 | 10 | ジンバブエ | ビクトリアフォールズ先 | 15000 |
05 | 09 | 南アフリカ | 最南端アグラス岬到達 | ||
12 | ケープタウン手前 | 18000 |
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26 | トルコ | 旅立ち1周年 飛行機にて入国(イスタンブール) | |||
07 | 20 | アジア全走行を目指し、55日ぶりにイスタンブール発 | |||
28 | アクダーマデニ先 | 19000 |
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08 | 09 | イラン | 自転車にて入国(マクー) | ||
10 | マクー~マルカンラル間 | 20000 |
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19 | アーベイェク市内 | 21000 |
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19 | テヘラン到着 | ||||
09 | 06 | ヤズド~メフリーズ間 | 22000 |
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16 | パキスタン | 自転車にて入国(クイ・タフタン) | |||
17 | クイ・タフタン先 | 23000 |
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27 | デラ・アラー・ヤル付近 | 24000 |
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10 | 07 | ラホール到着 |