自転車世界一周の旅/第91話 ゾロアスターの聖地ヤズド、イスラムの風土
ゾロアスター教の聖地、ヤズド。イスファハンからは三日の道のりであった。イスラム化を受ける以前、アケメネス朝やササン朝といった歴代ペルシア王朝で支配宗教だったゾロアスターは、善神アフラ・マズダと悪神アーリマンの二元論から成る。火を神聖視することから拝火教とも呼ばれている。
イラン・イスラム共和国 (Islamic Republic of Iran) |
【イラン/アミール・チャグマグのタキイェ(複合施設)】
ヤズドはそのゾロアスターがわずかながら生き残っている町であり、町なかにはアーテシュキャデ(火の家)と呼ばれる総本山の寺院があった。
総本山といっても、色気のない四角い建物である。信者の熱気もなく、観光客が押し寄せることもなく、閑散としていた。入場は無料で、中に入ると、ガラス越しに炎が煌々と燃えているのが見えた。千年以上の長きにわたり、絶やさず燃え続けているといわれる、聖なる炎であった。
【イラン/ゾロアスター教の総本山アーテシュキャデ】
市街から十キロほど離れた郊外には、鳥葬のための祭礼の場である沈黙の塔があった。赤茶けた丘の上に、大小二つの円形の壁が建つ。火のほかに水や土も聖なるものとして考えるゾロアスターでは、丘の上に遺体を置き、鳥に啄ばませることで葬儀としたのだ。
殺風景な荒野にたたずむ沈黙の塔は、現在使われてはおらず、地元のバイク野郎の滑走コースになっていた。彼らの残した轍が、幾本も砂地に残されていた。
【イラン/鳥葬の場、沈黙の塔】
【イラン/鳥葬の場、沈黙の塔】
一方でヤズドは、旧市街が実に味わい深い。黄土色のレンガと土壁で造られた家並み、まるで迷路のように入り組んだ細い路地、空調の塔バードギールがそこかしこに見えた。バードギールとは隙間のあいた四角い煙突のような塔で、その隙間から風を取り込み、少しでも室内を涼しくしようという中世以来の知恵の産物だった。
近代的な表通りでは違和感のある黒いチャドル姿の女性たちが、単色の旧市街にはごく自然に溶け込んで見えた。路地を抜けた先に小さな公園があり、幼い子供たちが遊んでいた。
【イラン/ヤズドの旧市街】
ヤズドを背にすると、またひたすらの礫砂漠が始まった。両側に山、直線の道、あとは何もない。ときおり遺跡のような、廃墟のような、土と同じ色の建物がある。店かなと思って期待すると、とうにつぶれて閉じている。水も食料も補給できず、廃虚の日陰にへたり込んで休む。そんなことが何度かあった。
それでも二、三時間走れば町がある。水を仕入れ、食料を調達する。店先ではしばしば、チャイを御馳走になることがあった。先に口の中に角砂糖を含み、チャイを流し込んで溶かしながら飲むのがイラン流。しかし糖分に飢えていた僕は、角砂糖を四、五個まとめて口に放り込み、噛み砕くようにして飲み込んだ。炭水化物も糖分も、胃に入る片端から燃えているような気がした。
【イラン/街道沿いのモスクと集落】
午後一時過ぎの一番暑い盛り、路側帯にトラックが駐車していた。トラックの運ちゃんが水の入ったペットボトルを手に、通り過ぎようとする僕を呼んだ。僕はとっさにブレーキレバーを握った。信号などない真っすぐな道、ブレーキを使用することは滅多にないが、このときばかりは路側帯に吸い込まれるようにして、僕は自転車を停めた。
運ちゃんは僕をトラック下に招いた。トラック下の空間は案外広く、もちろん日陰である。敷かれたござに腰を降ろして、僕はありがたく水をいただいた。おかわりして二杯目の水を飲み干した僕に、運ちゃんはいたずらっぽく笑った。
「ヲカ、ヲカ」
運ちゃんの言った言葉の意味を、僕は最初理解ができなかった。ややあって彼がペットボトルに入ったその液体を注いでくれたとき、僕は苦笑した。ぷうんとアルコールの匂いがしたのだ。イスファハンで密売のビールを買ったのが、つい数日前である。今日はウォッカだ。
いや実際これはチャリダーだからこそ分かることだが、道を走っていると何度も道端に捨てられたビールの空き缶を目撃することがあった。酒の存在を禁じているはずのイランでビールの缶である。イスラム革命の以前、イランはイスラム世界の中で最も自由で欧米諸国に近かったのだという。街角を歩く女性たちはミニスカート姿で、お店には酒が並んでいたと聞く。為政者が変わり法律が変わっても、人々の嗜好までは変えられないということだろうか。
【イラン/野宿地点で出会った家族連れ】
【イラン/街道沿いにて】
かと思うと、道沿いに突然モスクが現れる。駐車場が併設され車も多く停まっている。信仰心の厚いイランの人々は、長いドライブの途中であっても一日五回のメッカへの礼拝を欠かさない。
そしてモスクを訪れれば必ず水があった。ただの水ではなく、驚嘆すべきことに冷水機があった。菓子や果物を売る露店も出ていた。僕の大好きなマンゴーは見かけなかったが、ザクロが数多く並んでいた。ナツメヤシが山のように売られていた。
出発から21605キロ(40000キロまで、あと18395キロ)
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | アメリカ | 旅立ち 空路アラスカへ | |
08 | 05 | メキシコ | トゥーラ手前 | 5000 |
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11 | 11 | トルコ | イスタンブール手前 | 10000 |
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2002 | 01 | 20 | エジプト | 船にて入国(ヌエバ) | |
03 | 15 | ケニア | 赤道通過 | ||
04 | 10 | ジンバブエ | ビクトリアフォールズ先 | 15000 |
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21 | ボツワナ | ディノクエ~ディベテ間 | 16000 |
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05 | 01 | 南アフリカ | ブリッツタウン~ビクトリアウエスト間 | 17000 |
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09 | 最南端アグラス岬到達 | ||||
12 | ケープタウン手前 | 18000 |
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26 | トルコ | 旅立ち1周年 飛行機にて入国(イスタンブール) | |||
07 | 20 | アジア全走行を目指し、55日ぶりにイスタンブール発 | |||
28 | アクダーマデニ先 | 19000 |
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08 | 09 | イラン | 自転車にて入国(マクー) | ||
10 | マクー~マルカンラル間 | 20000 |
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19 | アーベイェク市内 | 21000 |
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19 | テヘラン到着 | ||||
09 | 06 | ヤズド~メフリーズ間 | 22000 |