自転車世界一周の旅/第79話 日の丸墜つ~トルコサッカー行進曲
「あのときの日の丸、どこにある?」
ワールドカップが始まってまもなく、僕はエリフに尋ねた。半年前、トルコ代表がワールドカップ出場を決めた日に作った、四メートル×三メートルの巨大な日の丸のことだった。その日の丸を持ち出して、日本代表を応援しようと考えたのだ。
トルコ共和国 (Republic of Turkey) |
【トルコ/スルタンアフメット広場】
奇しくも、僕にとって懐かしい顔が、コンヤペンションにやって来ていた。去年の十一月、一緒にサッカー観戦した仲間であるヤマグチくんだった。彼は再び自転車を抱え、昨年の旅が冬を向かえて途中で終わってしまったので、改めてロカ岬を目指すのだと言った。
最初は日本戦用に広げた日の丸だったが、六月十三日、トルコが中国を下して予選突破を決めるにあたって、僕たちはふと閃いた。トルコを含むCグループは韓国での試合だったが、決勝トーナメント進出を決めたトルコの次の試合は、日本で行われる予定だった。
《JAPONYA’YA HOSGELDiNiZ》
日の丸に書かれた「日本へようこそ」という意味のトルコ語。この言葉が再び使えることに気づいたのだ。
【トルコ/スルタンアフメットの界隈】
「日の丸持って外へ行こうぜ!」
僕とヤマグチくんは日本人の宿泊者に声をかけた。半年前のお祭り騒ぎを知らないテルくんやテツさん、マサくんたちは気の進まなそうな顔をしていたが、僕らは強引に誘った。熱狂的なトルコ人が、今日この日、ワールドカップ決勝リーグ進出を決めたこのめでたい日に、広場に繰り出し騒いでいないわけがない。僕たちには、そう確信があった。
果たしてスルタンアフメットの広場に赴くと、期待通り巨大なトルコ国旗を広げて気勢をあげている軍団がいた。すでに相当な盛り上がりで、行進していた。
【トルコ/ガラタ橋手前の歩道橋】
「トゥーキィエ! ジャポニャ!」
僕たちの日の丸がその隊列に加わるのに、時間はかからなかった。気乗りしていなかったはずのテルくんたちも、完全に呑み込まれ、一緒になって雄叫びをあげていた。
「タキシムまで行こうぜ」
スルタンアフメットを何周かしたあと、僕たちは新市街まで移動することにした。途中で軽く腹ごしらえし、景気づけにビールも飲んだ。路面電車通りを下ると、金角湾とガラタ橋が見えてくる。大通りに架かる歩道橋を渡る途中、道路を走る車から、歓喜のクラクションが鳴り響くのが聴こえた。イスタンブールの街全体が浮かれていた。
ガラタ橋を越え、急坂をのぼり、イスティクラール通りに出る。半年前は深夜だった。新市街のタキシム広場からこの道を逆方向に行進した。そのことを僕は思い出していた。
【トルコ/イスティクラール通り】
通りの真ん中ほどまで進んだとき、向こうから押し寄せる大群衆があった。路面電車を運休させ、道幅の全てがトルコの決勝リーグ進出を祝う男女で埋め尽くされていた。誰彼かまわず、握手し、ハイタッチし、抱き合い、喜びを爆発させていた。マサくんは若い女性ばかりを狙って抱擁していた。
「うまいな、あの人、いつのまに」
テルくんが悔しそうに笑っていた。僕たちの日の丸も、ちぎれんばかりに揉みくちゃにされていた。
【トルコ/タキシム広場】
翌日、僕たちは再び新聞に載った。日の丸と、その中央になんと両手を広げてガッツポーズをする僕がいた。テルくんやマサくんも写っていた。
「キフネさんのお陰です。ありがとうございます」
お礼を言われて、僕は照れた。しかし、今回の宴はそれだけでは終わらなかった。その日、日本がチュニジアを破り、見事決勝トーナメント進出を決めたのだが、次の相手というのが、ほかならぬトルコであった。
【トルコ/コンヤペンションの中庭にて】
午前中に試合が終わり、昼過ぎのこと。
「テレビが来た!」
そう叫んだのはテルくんだった。なんとテレビ局が取材に来たのだ。コンヤペンションは日本人が多くいる場所として、マスコミにも知られているのだった。
中庭に貼り出した日の丸をバックに、僕らはテレビカメラを向けられた。テルくんらに背中を押され、僕がマイクの前に立った。
【トルコ/日本対トルコ戦、報道陣来たる】
インタビュアーは英語で問いかけてきた。
「トルコ代表をどう思うか」
「いいチーム、強いチームだと思います」
「次の試合結果の予想をして下さい」
「ジャポニャ、ウチュ、トゥーキィエ、イキ」
僕はぎこちなく、それでも最後は精一杯トルコ語で、日本が三点、トルコは二点と答えた。さらにインタビューはエリフのお父さんやお母さんにもなされ、最後僕はお父さんと握手をするよう求められた。
【トルコ/日本対トルコ戦、報道陣来たる】
取材陣は、試合当日の十八日にもコンヤペンションにやって来た。テレビも新聞も来て、中庭でテレビを囲む僕たちの様子を撮っていた。一点を争う渋い展開。しかし、残念ながら日本は敗れてしまった。
その晩テレビのニュースをはしごしたが、僕たちが映っている番組を見つけることは、できなかった。
【トルコ/ブルーモスク前】
【トルコ/アヤソフィア前】
出発から18046キロ(40000キロまで、あと21954キロ)
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | アメリカ | 旅立ち 空路アラスカへ | |
08 | 05 | メキシコ | トゥーラ手前 | 5000 |
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09 | 04 | グアテマラ | 強盗事件発生 自転車を失う | 6940 |
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10 | 04 | イタリア | パナマから大西洋を越え、飛行機にて入国(ローマ) | ||
11 | 11 | トルコ | イスタンブール手前 | 10000 |
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2002 | 01 | 01 | イラク | バグダッドにて年越し | |
20 | エジプト | 船にて入国(ヌエバ) | |||
03 | 15 | ケニア | 赤道通過 | ||
04 | 03 | ザンビア | 鉄道にて入国(ルサカ) | ||
10 | ジンバブエ | ビクトリアフォールズ先 | 15000 |
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18 | ボツワナ | 自転車にて入国(フランシスタウン) | |||
21 | ディノクエ~ディベテ間 | 16000 |
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25 | 南アフリカ | 自転車にて入国(マフィケン) | |||
05 | 01 | ブリッツタウン~ビクトリアウエスト間 | 17000 |
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09 | 最南端アグラス岬到達 | ||||
12 | ケープタウン手前 | 18000 |
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25 | 南アフリカ出国 空路トルコへ | ||||
26 | トルコ | 旅立ち1周年 飛行機にて入国(イスタンブール) |