自転車世界一周の旅/第74話 アフリカ大陸最南端~南十字は空高く
太平洋側と日本海側で気候が異なるように、南アフリカも内陸部と沿岸部では乾期と雨期が逆だった。ロビンソン峠と名づけられた峠を越えると、そこから先、一面どんよりと灰色の空になった。
南アフリカ共和国 (Republic of South Africa) |
【南アフリカ/モッセルベイの灯台】
一気の坂を下り、インド洋に面した港町モッセルベイに着いた。かつてはサン族が、最近ではコイコイ族(ホッテントット)の人々が暮らしていた地域であり、彼らが住居として用いていたという洞窟が、灯台のたもとの海岸線に残されていた。
【南アフリカ/バーソロミュー・ディアスの像】
一方でモッセルベイは一四八八年、アフリカ航路を開拓するために航海に出たバーソロミュー・ディアスが、嵐のため大きく迂回路をとり、それと気づかぬうちに最南端を通過、そして辿り着き「発見」した土地とされる。
彼の名を冠した博物館には、その当時の航海を再現してわざわざリスボンから運ばれてきたという復元船をはじめ、大航海時代を物語る多くの資料が展示されていた。ディアスの跡を継いだポルトガルの船乗りたちが、インド、中国と来て、日本を「発見」したのが一五四三年、当時イスラム勢力に押されっぱなしだったヨーロッパが、やがてアジアを凌駕することになるきっかけの一つがここにあると思うと、とても興味が湧いた。
【南アフリカ/雨のモッセルベイ】
【南アフリカ/モッセルベイのキャンプ場】
《ハワイに次いで世界で二番目に恵まれた気候である》
観光冊子にはそう書かれるモッセルベイだったが、天気はあいにくだった。岬の先端のキャンプ場を宿泊地に選び、海に面した絶好の場所に陣取ったのだが、これは失敗だった。風が強く、雨も強く、テントはたちまち浸水してきて、寝袋までびしょ濡れになった。隣のキャンピングカーのおじさんが、哀れに思ったのか雨よけのシートを貸してくれるほどの惨状であった。
久しぶりの休養のつもりでモッセルベイには二泊したが、雨含みの曇天が続き、気分は浮かなかった。雨雲が次々と山側からやって来ては、インド洋上へと去っていく。降ったり晴れたりの目まぐるしい空模様が繰り返され、何度も空に虹を見た。
【南アフリカ/ダチョウ牧場】
【南アフリカ/南アフリカ南部の道】
そして五月九日。ついにその日がやって来た。
「アフリカ最南端はどこか?」
たいていの人はこの問いに引っかかる。僕もまた数ヶ月前まで、正解は喜望峰だと信じていた。
否。アフリカ大陸で最も南である場所は、有名な喜望峰ではない。喜望峰から南東へ約二百キロ、ポルトガル語で「針」を意味するアグラス岬が真の最南端だ。
【南アフリカ/南アフリカ南部の道】
正午過ぎ、ブレダスドープという町を通過。北中する太陽の位置は低く、この地点ですでに喜望峰の南緯を越えている。雨の気配はなかったが、風が恐ろしく強く、ペダルをいくら踏みつけても、前に進んでいる気がしなかった。アフリカの神々が、簡単にはその場所に辿り着かせてはくれないようであった。
逆風の中三十五キロあまり、通常なら一時間半の距離を三時間もかかって、ようやく前方に海が見えてきた。岬の手前に小さな町があり、「アフリカで最も南にある町」という看板が立つ。小ぎれいな住宅が並び、なんだか別荘地のような雰囲気だ。
【南アフリカ/最南端の町アグラス】
【南アフリカ/アフリカ最南端、アグラス岬】
町外れに灯台が建ち、駐車場があり、遊歩道があった。荷物を積んだ自転車を押して、僕はゆっくりと歩いた。駐車場には一台のバスが停まっていた。観光客が記念碑を囲んではしゃいでいた。あるいは岬の岩場に立ってポーズをとっていた。僕は少し離れたところに立ち、静かに待った。
アグラス岬。アフリカ最南端の地。南緯は三十四度五十分。最南端の記念碑を囲んで整備された小さな園地。少し離れると岩場で、波が打ち寄せている。海が広がっている。
【南アフリカ/アフリカ最南端、アグラス岬】
向かって左にインド洋、右に大西洋。二つの大洋が出会う場所。南極点まで六千百三十五キロと書かれていた。つまり正面の海は南極海であるともいえる。
もちろん南極はあまりに遠く、ここからは見えない……。
【南アフリカ/アフリカ最南端、アグラス岬】
やがて観光客はいなくなり、僕は独りぼっちになった。岩場を歩きながら、僕は大西洋を隔てた遥かな南米大陸を思った。南米最南端ホーン岬は、さらに南緯にして二十度以上も南。南端の町ウシュアイアからは南極ツアーも出ている。八ヶ月前までは、参加するつもりでいた南極ツアーだ。
行けなかった南米。行かなかった南米。そして南極。
(代わりに僕はアフリカに来たのだろうか? 代わりに僕はアグラス岬に立っているのだろうか?)
僕は自問した。
【南アフリカ/アフリカ最南端、アグラス岬】
(カイロで止まらずによかった。ナイロビで引き返さずによかった)
ともあれ僕はアフリカを制したのだ。
やがて橙色の太陽が陸に沈み、大洋は紅く染まった。漆黒の闇の訪れは早い。
南の空高く、南十字星が輝き始めた。
【南アフリカ/アフリカ最南端、アグラス岬】
出発から17806キロ(40000キロまで、あと22194キロ)
年 | 月 | 日 | 国 | できごと | 距離 |
2001 | 05 | 26 | アメリカ | 旅立ち 空路アラスカへ | |
08 | 05 | メキシコ | トゥーラ手前 | 5000 |
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09 | 04 | グアテマラ | 強盗事件発生 自転車を失う | 6940 |
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10 | 04 | イタリア | パナマから大西洋を越え、飛行機にて入国(ローマ) | ||
11 | 11 | トルコ | イスタンブール手前 | 10000 |
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2002 | 01 | 01 | イラク | バグダッドにて年越し | |
20 | エジプト | 船にて入国(ヌエバ) | |||
03 | 11 | エチオピア | ヤベロ~ドブロワ間 | 13000 |
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15 | ケニア | 赤道通過 | |||
28 | タンザニア | サーメ~モンボ間 | 14000 |
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04 | 03 | ザンビア | 鉄道にて入国(ルサカ) | ||
09 | ジンバブエ | 自転車にて入国(ビクトリアフォールズ) | |||
10 | ビクトリアフォールズ先 | 15000 |
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18 | ボツワナ | 自転車にて入国(フランシスタウン) | |||
21 | ディノクエ~ディベテ間 | 16000 |
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25 | 南アフリカ | 自転車にて入国(マフィケン) | |||
05 | 01 | ブリッツタウン~ビクトリアウエスト間 | 17000 |
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09 | 最南端アグラス岬到達 |