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自転車世界一周の旅/第64話 「いつかイギリスに復讐を」ケニア人青年の意地


 僕はナイロビを発った。二ヶ月ぶりに一人になった。大都会ナイロビからしばらく、モンバサ方面への街道との分岐までは交通量が多く、そのあとは静かな草原の道となった。

 カイロからさらにアフリカに突入していくことを決めたとき、その時点ではナイロビまでのつもりだった。三月に飛行機でトルコに戻る。そして東に進む。その予定だった。

 ケニア共和国
(Republic of Kenya)

ケニア/ナイロビを後にする
【ケニア/ナイロビを後にする】

 この旅のクライマックスとして考えているパキスタン・中国国境のカラコルムハイウェイは冬季閉鎖の峠であり、秋までに通過する必要があった。逆算すると、三月にはアフリカを切り上げる必要があった。また、治安の悪いブラックアフリカに長居したくないという気持ちもあった。

 イラクツアーのときも、カイロに泊まっていたときも、年内帰国を僕は公言していた。ハルツームに滞在している頃までは、たしかにそう決めていたはずだった。気持ちに変化が生じたのは、スーダンからエチオピアへの道のりの過程だった。

 苛酷な道だった。何度も体調を崩した。見所だってあまりなかった。だけど、自分の力でペダルを踏んで、地平線の先を目指す。峠の向こう側の見えない景色を目指す。そんな旅本来の喜びを、僕はたぶん、ようやく取り戻そうとしていた。グアテマラの呪縛から、ついに解き放たれようとしていた。

(俺は今、アフリカを旅しているんだ)

 高揚感がふつふつと沸き上がってくるのを、抑えることはできなかった。二十九歳の誕生日までには帰ろうと、漠然と思っていたのだが、そんな帰国後の社会復帰の打算など、どうでもいいことに思えた。

 一生に一度の長旅である。

(ケープタウンまで行こう)

 僕がそう思い始めたのは、むしろ自然の流れだったのかもしれない。

ケニア/ナイロビ郊外の草原地帯
【ケニア/ナイロビ郊外の草原地帯】

*   *   *

 平坦な草原、やや追い風。やがて緑がより深くなっていく。夕方の五時に、ナイロビと国境ナマンガの中間点、カジアドという町に着いた。宿はすぐに見つかった。

 久しぶりの孤独な夜。夕食後、涼しい風に吹かれながら、小さな商店の並びをぼんやり眺めているのもいいものだと、一人ごちた。

 と、地元の青年が話しかけてきた。

「どこから来たんだい?」

「日本」

「これからどこへ行くんだい?」

「タンザニア」

ケニア/タンザニアへと続く道
【ケニア/タンザニアへと続く道】

 そんなお決まりの質問のあと、不意に彼の口調が変わった。

「日本はアメリカに原爆を落とされただろう。なぜ復讐しないんだ」

 僕は正直度肝を抜かれた。アラブ圏ではよく聞かれた質問だったが、アフリカ人にそういう考え方があるのは意外だったからだ。

「俺はイギリスが嫌いだ。ケニアを植民地にしたからな。アメリカもフランスも嫌いだ。いつか復讐してやる。いつかケニアを発展させて、欧米を追い越してやるんだ」

 彼は熱っぽく語った。

 僕は彼の言葉の勢いに圧倒されつつも、内心ある種の感銘を受けていた。アフリカ大陸上陸以来、スーダンやエチオピアの貧しさを目撃し、白人に対する黒人の劣等感を幾度も感じさせられた。その劣等感を撥ね返すような覇気が感じられないことが、残念でもあった。しかし、中にはこんな気骨のある青年もいるのだ。ひょっとしたら彼は、僕が白人ではないから、そのような気持ちを吐露してくれたのかもしれなかった。

「俺がやるんだ」

 彼は強い決意の言葉で言った。

ケニア/カジアドという町
【ケニア/カジアドという町】

 翌日、自転車を停めて休憩中の僕に声をかけてきた若者がいた。

「私ハまさいデス」

 彼はたどたどしい日本語で言った。日本語と英語の混ざった会話で、彼は、動物の薬の勉強を本業にしているが、観光客相手の商売で役立つため、日本語を独学しているのだと話した。

 あたりはマサイ族の居住区だった。赤い色が鮮やかな布を細身にまとい、長い棒を携え、牛や羊を追って暮らすマサイの人々の姿が多く見られた。ときおり、サファリツアーに出かける途中とおぼしき、白人客を乗せた四駆が走り抜けていく。

 ちなみにケニア国内の人口比率としては、農耕民族であるキクユ族やルヒヤ族が多数を占め、遊牧生活を主体とするマサイ族は少数派である。古くはイギリスに、昨今ではケニア政府によって土地を奪われてきた歴史を持つマサイ族は、現在も定住化政策には抵抗を続けているのだという。

 ケニアからタンザニアへ。標高は徐々に下がり、ぐっと蒸し暑い。

 国境のナマンガでは激しい夕立が降った。

ケニア/タンザニア国境へ
【ケニア/タンザニア国境へ】

ケニア地図

出発から13647キロ(40000キロまで、あと26353キロ)

できごと 距離
2001 05 26 アメリカ 旅立ち 空路アラスカへ
08 05 メキシコ トゥーラ手前
5000
09 04 グアテマラ 強盗事件発生 自転車を失う
6940
10 04 イタリア パナマから大西洋を越え、飛行機にて入国(ローマ)
11 11 トルコ イスタンブール手前
10000
14 W杯サッカー欧州予選を観戦 翌日新聞に載る
12 03 シリア 自転車にて入国(アレッポ)
2002 01 01 イラク バグダッドにて年越し
18 ヨルダン ペトラ先ラジフ
11000
20 エジプト 船にて入国(ヌエバ)
02 04 スーダン 船にて入国(ワディハルファ)
17 ゴタ~ガラバート間
12000
20 エチオピア 自転車にて入国(メタマ)
03 02 アディスアベバ到着
11 ヤベロ~ドブロワ間
13000
13 ケニア 自転車にて入国(モヤレ)
15 赤道通過

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